第八話 コボルトリーダーのおはなし
エイミィは走らない。
やや先行する魔力の明かりを追いかけ、左のダガーを前に構えながら一定の早足で歩いていた。
ラットはそれを必死に追う。右にぶら下げるのは不慣れな長刀だが、これでは刃物を持った手を振り回すわけにもいかないので、柄を腰骨に押し付けるようにして保持していた。
と、その目がエイミィが進む先、その地面を見て、何か引っかかるものを感じる。こういった洞窟内に来たことはあまり無いが、一人で色んな街を回る中での経験がかすかな違和感を訴えていた。
「おい、待った! 止まれエイミィ!」
思い過ごしかも――などという躊躇いも無くラットは声を張り上げる。
エイミィも即座に止まって振り向こうとしたが、声を聞いてから二歩ほどは進んでしまっていた。
その足が、沈む。
「……え?」
左足はもうそれなりに深く、そこを踏み抜いていた。右足は未だ空中にあった。
何とか身体を後ろに倒して耐えようとするも、お尻をついた場所もそのまま引き込まれて滑り落ちてゆく。
落とし穴だった。裂け目の上にロープを渡し、ぼろ布を引っ掛けただけの代物だが、目の高さに浮かぶ魔力の明かり一つだけではそれに気付けなかった。
「でぇーいっ!」
ラットは両手に持っていた武器を投げ捨て、未だ穴の上に残るエイミィの上半身に向かって飛びかかる。
自身も倒れ、後ろから彼女を抱きすくめるようにしながら、何とかその落下を止める。
彼女は腰までを深い裂け目に落とし、肘だけで耐えるような状態になっていた。
「くっそ、マジかよ……!」
安堵の息を吐こうとしたラットだが、裂け目の先、魔力の明かりによって照らし出された場所に弓を構える2匹のコボルトを見て顔色を青ざめさせていた。
そりゃ、そうだ。こんな場所に待ち構えてない筈がない。
戦力的に自分がドベだ、などという思考があったわけではなかったが、もう反射的にそのままにじり寄ってエイミィの顔の前に自身の肩を押し出す。そうしてから、自分が撃たれりゃ彼女もそのまま落ちるのではないかと思ったが、後の祭りだった。
弓がコボルトたちの手の中で回り、矢が弾き出される。
そしてそれは、その一瞬前にミリィが展開した水幕によって流されていた。
「もぅっ!」
ミリィも、珍しく焦燥を滲ませた表情でそう口にする。攻撃が失敗したことに気づいて逃げるコボルトたちを続けて彼女が詠唱した散弾針の魔術が襲い、蜂の巣に射抜いていた。
上級魔術師たちには、消費が軽く防ぎにくい対魔法障壁殺しとして多用される散弾針だが、ミリィ程度の魔術師にとってはやはり負担が大きい。
針の飛散範囲を制限するために高い魔法制御力を必要とするため、使いこなせない状態では無駄に魔力を消費してしまうのだ。ラットとエイミィを巻き込まないようにするだけでミリィには精一杯だったが、何とか向こうのコボルト達を殺傷するだけの威力を出せた、といったところだった。
他には居ないだろうか。魔力残量を気にしながらもミリィは探知魔術を使っていた。
少なくともエイミィがあそこから這い上がるまで、別な敵には会いたくないが。
しかし、至近に微弱な反応を感じ取り、ミリィは息を飲んでいた。
「これ……まさか、壁の中に!?」
そう彼女が口にした途端、土壁が崩れる。そこから槍を手にしたコボルトが一体現れる。
悲鳴をあげようとした彼女を、その肩を右腕で抱くようにして引き寄せるカイル。
彼はいつの間に拾っていたのか、コボルトの持っていたらしき錆びた槍を左に構え、入れ違いにそれを壁の中から現れたコボルトに向けて突き出していた。
胸の中央を突いてコボルトを穴の中へと押し戻す槍。粗末なとはいえ厚い革鎧を貫き通せはせず、先端を数センチほどめり込ませた程度で止まった槍だが、刺さったのならばそれで良しとばかりにカイルはその石突へと体重をかけてコボルトの身体をそれで貫いていた。
血泡を吹いて暴れ、動かなくなるコボルト。カイルは目にかかるほどの黒髪を揺らしながら、無言、無表情のままでそれを見下ろしている。
「あ……ありがとう」
未だにカイルに肩を抱かれたままそう言うミリィには、カイルのそんな顔は見えなかった。
「ちょっと待って、ラット。引っ張り上げようとしなくていいから、そのままちょっと踏ん張ってて」
「はあ?」
何をするつもりなのかと聞く前に、エイミィの両手がラットの首にかかる。
続いて彼女の身体各所に浮かび上がる魔法陣。軽量化の魔術を重ねがけしながら、エイミィは下腹に力を入れる。
横目で見るラットの視線の先で、エイミィの足が振り子のように裂け目の下から跳ね上がってくるのが見えた。そして勢いのままに二人は転がる。ラットは首をもがれそうになりながら、声にならない悲鳴をあげていた。
「……ひでえ目にあったな」
首をさすりながら言うラット。先程よりも歩くペースを落としたエイミィに、探知を使いながらミリィ、そして錆びた槍を持ったカイルが続く。
残りはもう4体ほどの筈だった。しかし探知を使っていたミリィが首をかしげる。
「変ね。一箇所にまとまって、もっと多い反応を感じるんだけど」
では依頼の内容が違っていたのか。これは良くある事だ。元々巣の中にいる敵の総数など、ある程度は推測にたよらなければいけないことだし。
もしくは依頼がなされてから今までに増えたのか。これも良くある事だった。特に魔族の軍勢の残党などは、後から合流して増えることはままある。
「そして、その前に一体。……あれがそうね」
ミリィが示す先には、片手剣と盾で武装したコボルトが一体立っていた。
それを見たエイミィの表情に緊張が漂う。これまでのような、死体から剥いだ不慣れな武器を振り回していた新兵とは違う、それなりに長い時間を生き延びている個体とわかったのだ。
エイミィは全員に下がっているよう告げると、その前に進み出ていった。
そして、左の防御用ダガーを鞘へと収める。右の曲剣を両手で持ち、刃先を地面すれすれに置くような下段に構え、やや前かがみになりながら間合いを詰めてゆく。
コボルトはやや躊躇ったようだった。まるで無防備に差し出されるエイミィの頭部に、ただ攻撃を加えて良いものかと。だが、それでも彼女の姿が近くなると迷いを捨てたように剣を振り上げる。
そして、そのまま絶命していた。
振り上げた剣を下ろそうとした瞬間、跳ね上がったエイミィの剣がコボルトの喉を突いていた。
「……あれ、で……いいのか?」
息を吐きながら戻ってくるエイミィに、ラットは声をかけていた。狐につままれたような気持ちで。
「ええ。振り上げて下ろすより突く方が速いって、横から見てたら分かるだろうけど、実際剣を持って向かい合ってたら冷静に考えられるひとはあんま居ないわ」
こともなげに言う彼女の度胸に、ラットは何も返すことが出来ないまま自分の曲刀を見下ろしていた。
その後、踏み込んだ洞窟の最奥部で、ラット達はやや顔をしかめながらそれを見ていた。
怯えた顔でこちらを見るコボルトたち。さきほど会った連中より若干小さい個体も多い。
「……非戦闘員か」
ゴブリンとの最大の違いはこれだったなあ、と。ラットはそう今更ながらに思い出していた。
コボルトはゴブリンより武装度が高い。出てくる者は大体それなりな武装をしている。
ではそうでない者はどうなのか、というと――目の前にいるこんな感じなのだ。
「どうするの、エイミィ」
聞いたミリィに、エイミィは困ったように返していた。
「うぅん……ちょっとねえ、武器を持って向かってくるなら何も考えず倒せるけど」
こういうのはちょっとやり難いよね、と言う。
だが、彼等と先ほど倒した連中の違いはそれだけだ。駆除にやって来たのだから倒さず帰るわけにもいかない。
仕方ない、と曲刀を抜くラット。
しかしその横で、カイルは躊躇いもなくそのうちの一匹に錆びた槍を突き出していた。
止める間もなく――というか、止める意味に悩んでいるうちに――カイルはそこに居たコボルトの非戦闘員全てにとどめを刺し、槍を捨てる。
「僕は……今回ほとんど何も出来てませんからね」
言って振り返った彼の顔には、いつもと特に変わらない微笑が浮かんでいた。