第七十七話 次の目的を決めるおはなし
「おはよ、ラット。って言っても、もうお昼近いけど」
ラットは、いつも通りまくらを足で挟むような格好で目を覚ましていた。
「ああ……ちっと寝すぎたな」
ベッド脇に立って顔を見下ろしてくるエイミィにそう答え、ベッドからずり落ちる。
身支度を整えて一階の酒場へ降りると、だいぶ遅くなってしまった朝食を軽く注文する。
あれから。ラットたちはエドの死体を埋め、捕縛した盗賊を引き連れて街へと帰還していた。
盗賊たちを衛兵に引き渡し、トアを教会へと連れてゆくベティたちと別れて洞窟へと向かい、エイミィの装備を回収してから応急的に鍾乳洞へと続く穴を埋め戻し。
ギルドに繋がった洞窟の先が黒き森へと繋がっていたこと、そしてその出口が開いた場所を告げて報酬を貰い宿へと帰ってきたというわけだ。
洞窟の扱いをどうするかはギルド側で協議のうえ、決めるらしい。幻獣種がそこから這い出てくる可能性があるためそのままという訳にはいかないだろうが、とりあえずラットたちの仕事は終わった。
そしてラットは――今、どうにも気が抜けたようになってしまっていた。
「ねえ、なんだかずっとぼんやりしてない?」
エイミィにそう言われて、ラットはくわえていた薄いパンをつまんで皿へと戻す。
口の中に残ったぶんを果実水で流し込み、言う。
「ああ。……あいつ、本当に死んじまったんだなって思ってさ」
紛れもない化物だと思っていた。
どこかで、カエデのような別の化物に狩られて死んでくれる事を祈っていたが、まさか目の前で奴が死ぬところを見ることになろうとは。
その死が疑いないだけに何やら拍子抜けしたような気分でもあり。
また自分の中に残ったモヤモヤがこの先けっして晴れる事はないのだろうということも、受け入れるべき現実として目の前に置かれたままであった。
ラットはあまり、それを直視したくないのかもしれない。
だから、傍目にはぼんやりとしているような態度に見えるのかもしれなかった。
「……復讐じゃあ、なかったんだよね?」
確認するようにカイルは言っていた。彼がエドにとどめを刺した件についてか。
グリフィン討伐の際、ラットが言った事を覚えていたのだろう。
「そうだな。……復讐じゃない。だからこそ……なのかな」
ラットはそう答えていた。
ただ二度と会わないことだけがラットの望みであり、エドの死を本当に確認できてしまうなどといったことは、ラットにとって、むしろ望まないことだったのかもしれなかった。
「そんなもんさ」
細巻に火を着けながらクレアは言う。
「あんた、多分そいつには昔、世話になったんだろう? なら……そんなもんだよ」
二度とは会いたくないが、生きてはいて貰いたい。
そういった人間のひとりやふたり、旅をしていれば出来てしまうものだと。
「……そんな感じなのかもしれねえな」
ラットはそう言い、再び果実水を口に含んでいた。
「ほら、良いことの方を考えましょう、……ねえ?」
ミリィは無理に明るい声を出しているような、そんな様子で言う。
「ともかくこれで、安心してここから移動が出来るようになったんですから、以前に言っていた別の場所へ行ってみるっていうの、考えてみる頃合いなんじゃありません?」
「……そうだなぁ」
未だギルドの正規ライセンスを入手出来るまでは三週間近くある。
それまでのんびりと過ごすにしても何にしても、この冒険者の街がそれに適しているとは思わない。
「何か希望はあるかい?」
ラットはそう言っていた。それに対し、エイミィは答える。
「だったら、あたし海が見たい!」
海。
思いもしなかった単語に、ラットはしばし天井を見上げる。
「海かぁ……確かに俺も見たことねえなあ」
「でしょう。旅をするなら一回は行ってみたいと思ってたのよね、海」
続けたエイミィの言葉に、カイルはさかんにうなずいていた。
どうやら彼も未だ海を見たことはないらしい。カイルがそういったものについて積極的なのは、エルフの国へ行った時に見た通りである。
だが、ミリィだけは少し首をかしげるようにしてみせる。
「海岸まで行くのね……でもそれって、だいぶ遠いんじゃないかしら」
確かに遠い。
海岸線に出るには南北どちらかへ進むこととなるわけだが、ここから南には大穴があり、その先は地図すら作られていない秘境である。
南側で安全に海岸に出るには西のカシナート領を通り、王族の直轄地に入ってから更に南下するというルートを取らなくてはならない。
よって現実的には北側。しかしそちらもマリウス領とマイヤード領をまるまる縦断する必要がある。
だが、エイミィはどうということもなく言っていた。
「いいんじゃない? とりあえずの目的は海を目指して、途中色々見ていくってことで」
道中が長くともそれもまた旅として楽しめば良いということだ。
「一ヶ月じゃ済まなくなりそうね」
ミリィはそう言って苦笑する。
ラットとしては、そもそもエイミィにはここへ帰ってくる気がないのではないかと、そんな感じがしていたのだが。今ミリィにそれを言うと面倒なことになりそうなので黙っておいた。
「それじゃあ、あたしは一旦ここでお別れってことになりそうだね」
クレアは言って、席を立つ。
「お別れ……になっちゃうんですか?」
そう言うエイミィに、クレアは笑っていた。
「まあね、あたしはまだ当分ここに留まるつもりだけど、その先はわからないことだし。あんたらがここへ戻るにせよ、あっちが気に入って居着いちまうにせよ、数ヶ月も経てば人も物もだいぶ変わっちまう」
もう一つの新米パーティにも、今生の別れってつもりで挨拶して行きなと。
それだけを告げて、クレアは手を振りラットたちのテーブルを離れてゆく。
ラットたちはその後姿にそれぞれ礼を言い、そして藍色の髪が見えなくなるまで手を振っていた。
「そっか。ベティたちにも一応言っとかないとか?」
席へと戻りながらのラットの言葉に、カイルはややその表情を暗くする。
「そうだね。彼女たちにも、随分と世話になった」
最初に会った時からは考えられないほどに、と。彼の言葉には実感がこもっている。
グリフィン退治やら、今回のことやら。再会した時のゴブリン退治ですら、ベティたちが来なかったらどういった展開を迎えていたことか。
そんな彼女たちと、もしかしたら二度と会えないかもしれない。そんな風に思ってしまうと、寂しい程度の言葉では言い表せない気分になる。
「そういえば……あの子、大丈夫だったのかな?」
エイミィはそう言っていた。トアとか言った、あの新顔。
街への帰還時にはだいぶ落ち着いていたが。
「その辺も様子を見に行ってみっか」
ラットはそう言い、椅子から立ち上がる。
「……改めて、報告します。アイザック・E=マリウスの死亡を確認しました」
「ああ、死体の検分も終わってる。まさかあれと出会うとはね」
トアは教会の告悔室でギルドの連絡員と会っていた。
左手首と右の膝下については既に修復されている。だが、やはり違和感があるような気がして、トアはしきりに左手を握っては開き、右足首を揺すっている。
「それで、まだ彼の方は探すつもりなのか?」
問われて、トアはすぐには答えなかった。そして長い長い沈黙の後、口を開く。
「いえ……クレフ=マイヤードの暗殺、これに失敗したことを……認めます」
連絡員は安心したように息を吐いた。
しかし、トアが続けた言葉を聞いて、ややその表情はこわばっていた。
「なので……しばらく休暇をいただけませんか? 無論、ここへは定期的に顔を出しますので、緊急の用件であれば引き受けますが」
「そうでなければ受けない、と。……少し見ないうちに厄介になったな、お前は」
そんな言葉を聞いて、トアはにっこりと笑ってみせた。




