第七十六話 エドとの決着のおはなし
腕一本を持っていかれた事実と耐え難い痛みに、危うく叫びだしそうになる。
しかし失血のためか、もう動けそうにないトアを見て、エドもぎりぎりのところで自制が出来ていた。
未だ若いとはいえ、ギルドの純粋培養。
真に暗殺者と呼ぶべき連中など彼女等しか居ない。
そのこいつを、自分は退けたのだと。それは、エドの自尊心を満たすに足るものだ。
「人形にしては、なかなか楽しませてくれたじゃないか……」
最後に残った余裕をなんとか表情に貼り付け、そう言うエド。
だが、それに対してトアは嘲るような笑みを浮かべていた。
「こちらとしては、やや失望しました。……やはりあなたは三流だ」
「なんだと?」
「所詮は、三流の殺人鬼に過ぎないと言ったのです。彼は……私を一手で無力化してみせた」
エドの顔がこわばる。あの忍者にへし折られかけ、今ようやく復活しかけた自負を、真っ向から否定するかのようなトアの言葉に衝動的な殺意が湧き上がる。
しかし、エドの中では違和感の方が先に立っていた。彼女がこのような挑発まがいの言葉を吐くとは思ってもみなかったからだ。
何か意味があるのか――そう考えれば、可能性は一つしかなかった。
即座に飛び退いたエドの足元に氷の槍が突き刺さる。
「外した……!?」
監視塔の2階にはアリサの姿があった。構えるロッドには上下二段の魔力弓が形成され、もう一発装填された氷の槍が、必死にその照準を自分に合わせようとしているのをエドは見た。
――既に起き出している者が居た、か。
それを確認すると同時、彼はすぐさまトアに向かって突進する。
背後から右腕を彼女の顎を掴むように回し、肘まで残った左腕でなんとか支えながら、その軽い身体を自分の盾にするかのように抱え上げる。
「……ッ!」
無論、トアもされるがままではない。紡いでいた毒殺刃の魔術を背後へ向けて放とうとするが、それは発動に至らず中途で霧散してしまう。
何故かと言えば、突然ダガーまで放り捨て、喚きながら暴れ始めるトアの姿がその理由を語っていた。
彼女が使用していた強化術、感情封鎖と痛覚遮断が解除されたのだ。
「私だけ痛みに耐えているのは不公平だと思ってね……」
トアの悲鳴を心地よく聞きながら、エドは笑った。
「痛覚遮断無しで戦いに臨んだ事はあるか? 普段から、緩い感情封鎖は常用していたんじゃないか? いきなり人形から人へと戻された、今の気分はどうだ」
耳元で叫ぶようにして言う。その高揚感を使ってイメージを纏め、眠りの雲を発動する。
薬物耐性を無効化された今のトアは、それだけですぐに意識を手放していた。
身体強化魔法のディスペルなどというものは、通常やる者は居ない。
相手の意識による妨害を受けやすく、成功率が低い割にすぐかけ直されてしまうため意味がないからだ。
だが、この状況ならばやる価値があった。トアの意志力が弱まっており、接触が可能で、すぐに再起動するなど不可能と確信でき、更に彼女を盾に使わねばならない、今だけは。
トアの頭を吹き飛ばすための魔術ではなく、魔力霧散を準備していた自分の悪趣味さとでもいったものに感謝しながら、エドはやや重みを増したように思えるトアの身体を抱え直す。
「さて……」
トアの身体を盾にしながら、エドは監視塔から駆け出して来たラットたちと対峙していた。
魔力の明かりが浮かび、道に立つエドと抱えられたトアの姿を白々と浮かび上がらせる。
誘導矢すら迂闊には使えない状況に、ラットは奥歯を噛み締め軋るような声をあげていた。
「てめぇ……!」
「おや、お前まで居たのか、ラット。……つくづくタイミングが悪いというものだな」
エドはそう言って苦笑していた。
自分が見かけ、尾行したのがお前達の方であれば、何もかもが上手く運んだのに、と。
「うっかりとこんな代物を追ってしまったがために、見ろ……この有様を」
肘で焼き切られた己の左腕を示す。
彼が抱きすくめるトアの損傷も含め、それはラットですら気分が悪くなるような光景だった。アリサなどは口を押さえながら顔を青ざめさせている。
「自業自得だろうがよ。……なんだっててめえ、こんな場所に居やがる」
ラットは吐き捨てるように言っていた。
マリウス領に居たのではなかったのかと。どうやって。そして、何のためにこんな場所まで。
「本気で言っているのか? ラット」
エドは苦笑を深め、そして告げる。
「お前を追っていたんだよ。以前に会った時から、今に至るまで。私は、ずっと」
理解が出来なかった。
自分の何が、そこまでエドの興味を惹いたのか――それとも恨みを買ったのか知らないが――わからない。もしこいつにそれがはっきりと説明出来るのなら、今この場でしてもらいたいものだと、ラットはそう考えていた。
どのみち、理解などは出来ないだろうとも。
「妙な知り合いが居たもんね、あんたも」
ベティは一歩を踏み出していた。リックとリートが慌てたように止めるが、彼女は振り返らない。
「……そこの細長いの。追わないでいてあげるから、さっさとうちの子を離して消えなさい。でないと、なるたけ痛い殺し方で殺すわよ」
「おいおい、状況が分かっているのか?」
エドは苦笑しながら言う。トアの命を握っているのは自分だと、わからないのかと。
だがベティは薄く笑みすら浮かべながら答えた。
「わかってないのはあんたでしょ。あんたが選べるのは2つだけ。ここで確実に死ぬか、その子を置いて逃げて、もしかしたら逃げ切れるかもしれない可能性に賭けるか、それだけよ」
「……こいつを、見捨てられると?」
流石に笑みを消しながら言ったエドの台詞を、ベティは鼻で笑ってみせる。
「馬鹿らしい事言ってくれるじゃない。どうせ連れてっても生かして解放する気なんて無い癖に」
こうまではっきりとした態度を取られ、エドの顔には僅かな迷いが浮かぶ。
本当に彼女は、背中に負ったハンマーでトアごと自分を粉砕しかねないと、そう思わせたのだ。
ならば、言われた通りこれを置いて逃げるべきだろうか。
そうエドは考え――しかしそれを選ばなかった。
「それなら、仕方がないな……」
エドはそう言ってトアの喉から右手を離した。
しかし彼女は抱えたままで、その掌をベティたちに向ける。
――これを盾に、一撃を入れてから逃げるというのが一番良い案か、と
そしてエドの掌には散弾針の魔法陣が浮かび上がる。
その瞬間、エドの右腋から突き入れられる短槍。
胸の中を鉄塊に掻き回される感覚に魔法陣が霧散する。その口から血が吐き出される。
その場に居た全員が、呆然とエドの右側、至近に立つカイルとミリィを見ていた。突如としてその場に現れたかのように、それまで二人の姿は誰の目にも止まらなかった。
盲点の魔術。ずっと、二人は森の中を回り込みながらここへ到達し、この機を伺っていたのか。
カイルは槍の柄を持ち上げるように抉り、エドの手から落ちてくるトアを支える。
そしてエドが未だ、震えるように息を吐くのを見、槍の柄を掴んで魔法陣を展開していた。
槍の先端から放たれた炎の矢がエドの体内で炸裂する。口の中から燃え上がったエドは、そのまま倒れ動かなくなる。
それでも。目の前で出来上がった明らかな死体を見ても、未だ彼の死が信じられないような気持ちで、ラットはそれをしばらくの間眺め続けていた。




