第七十五話 深夜のおはなし
何事もなければいい。そう願っていたのは確かだ。
だが、あれが――自分の見たものが本当に奴なのであれば、必ず来るだろうとも思っていた。
アイザック・E=マリウス。彼の"問題"について、トアは良く承知している。
彼は、標的外の殺傷が多すぎたのだ。それもあまりに目立つ方法を好んで用いて。
暗殺者ギルドは単なる清掃業者であり、そこに宗教色などは無かった。
暗殺者の仕事であると死体を見てすら気付かれないのが最上であり、そこに何らかの主張、組織の存在を誇示するような要素を入れる必要は無く、むしろ害悪ですらあった。
ギルドの上層部は大抵が地域の顔役であり、互いに己の利益のために暗殺者を使うなどという事がないよう牽制し合っている。その目的は飽くまで秩序の維持であり、衛兵が踏み込めない領域によどむ恨みと歪みを解消するために必要とされるのが、暗殺者という存在だった。
そこに快楽殺人者などが紛れ込んでいては困る。
よって、トアは何故もっと早くに奴を除名出来なかったのかと、そう考えていた。
さて。
奴が一度追い払われた程度では諦めないだろうと、そう思う理由の一つは奴がイカれ野郎だからだが、もう一つ理由は存在した。奴には現在金を稼ぐ手段が盗みくらいしかない。
暗殺者ギルドと冒険者ギルド、盗賊ギルドの全てに所属し全てから追い出された男というのが現在の奴の身分であり、路銀はもはや尽きている筈だ。
そして、定住を許されず基本的に全財産を持ち歩く冒険者という存在は、追い剥ぎからすれば良い獲物であるというのは以前説明した通り。新米冒険者を狙って尾けてきたとすれば、目的はこれだろう。
果たして、魔力の明かりが燃え尽きるほどの時刻になって、奴は来た。
魔力探知に微弱な反応を感じてトアは立ち上がり、そして瞬時に各種の身体強化を起動しながら潜んでいた場所から飛び出す。右腕に毒殺刃の魔法陣が展開され、透き通る毒の刃が道幅一杯を薙いで、黒いフード付きマントを切り裂く。
彼女が選んだのは即効性の神経毒と出血毒を合わせた強化蛇毒。解毒も難しく、小さな傷跡からでも確実に死に至らしめる猛毒を刃と化したそれが、完全に入った事を手応えで知る。
だが。
「いきなり酷いことをするもんだな……」
聞き覚えのある声が響いていた。切り裂かれたフード付きマントの奥から、対魔法障壁を展開しつつ現れる痩せた長身。木の枝から作った簡易ゴーレムにマントだけを着せて先行させていたのかと、トアは苦々しくそれを眺める。
「新米パーティなんかに私が発見されるとは、どうにも解せないと思っていたがね」
エドはそう言って、苦笑めいた笑みを浮かべた。
「お前が居るのならわからなくもない。……こうして待っていたという事は、元から、私を探すためにここへ来ていたのかな」
「いえ、別件です。……ですが」
あなたならば一度見破られた程度で引き下がる筈もない、そう思っていたとトアは言う。
「別件ね。ギルドの純粋培養に狙われるとは光栄だと思っていたんだが」
エドはおどけたように笑っていた。
暗殺者などとは言うが、その殆どは腕を見込まれて引き入れられた傭兵やごろつき共だ。
仕事の内6~7割ほどは、実のところ隠密技能は必要ない。夜間に人気のない場所で刃を振るうだけであったり、街道で待ち構えて襲えばいいだけのものであるのが殆どだ。
だがどうしても難度の高い依頼というものは出て来る。彼のような、居なくなって欲しい貴族の子女を片付ける、などというのはその典型例か。また依頼料の入らない、単なる粛清も存在する。
そのために、ギルドが少数養成しているのがトアのような純粋培養だった。
「だが、そうか……私じゃないのか」
妙に残念な顔をしながら言うエド。その様子を理解出来ないといった面持ちで眺めるトアの前で、彼は思いついたように言葉を続ける。
「それならいっその事、クレフでも来てくれれば良いのにな。あれの戦闘スタイルは私と似ているそうじゃないか」
同じギルドに所属している間は掟によってやり合えなかったが、今ならば。
なかなかに楽しめそうだと言うエドに、トアは失笑を返す。
「それも、ありえません。彼ももう……ギルドを追われていますから」
「……なんだって」
エドは額に掌を当て、空を仰いでいた。
「なんて間が悪いんだよ。私が知らないという事は、私の直後になんだろう? あれが標的になったと……それを知っていたなら、妙な遊びなどは控えていたってのに」
トアには、エドのその反応が理解出来なかった。
自分が彼を追っている訳ではないと聞いた時の残念そうな表情と言い、彼は死にたいのだろうか。
ならば自害でもしてくれればいいものを。そう思いながら、2本のダガーを引き抜く。
「おや、結局やるのかい?」
そう言ったエドに、もはや言葉を返す必要性も感じず、トアは駆け出していた。
あの時クレフに対して仕掛けたものと同じ動きで。
そんなに彼と戦いたかったと言うのであれば、これへの対処で両者の差を見てやろうと。そういった僅かな邪念があったことは否定しない。
代償は手首一つ。しかし、トアは別段後悔をするという事もなく、飛び離れて魔術を紡ぐ。
「ち……」
舌打ちをしながらこちらも離れるエド。その場には、トアの左手首がダガーを持ったままの形で転がっているが、全く意に介さず魔法陣を展開させる彼女を見ながら心中に戦慄を覚える。
こいつらは――手足の2~3本もいだところで平然と動く。通常なら手首一つ失えばパニックに陥って魔術の発動など出来なくなる筈だが、平然としてのける。
先程はああ言ってみせたものの、これと戦わねばならないというのは悪夢のようだった。
悲鳴すら上げず、首を落とす以外に止めるすべがない、つまらない殺人人形。
しかも、こいつらが使う魔術はその尽くがエドには初見だ。
左手首の断面に展開される魔法陣、その種別を判別出来ない気持ちの悪さに耐えながら、エドは障壁を張る。同時に散弾針を詠唱し、一気に勝負を決めようとする。
それに対し、トアは障壁を張ろうとすらしなかった。
自ら倒れ込むように滑って散弾針の攻撃範囲から逃れつつ、地面に転がっていた自分の左手首を蹴る。握られたままのダガーがエドの左前腕を裂き、傷の痛みだけではない刺すような痛みが走る。
蹴り上げた事によって散弾針の範囲内に残ってしまったトアの右足は膝下から粉砕されて挽肉と化すが、追撃すら考えられずにエドは引いていた。
各種の解毒魔術を重ねて解毒を試みるが、痛みはひかない。それどころかますます酷くなるばかりの状況に、エドはかすかな悲鳴をあげつつ自分の腕を切り落とした。未だ右手に残っていた無影剣によって。
地面を転げ回りながらその痛みに耐えつつ、エドは愕然と、切り落とした自分の左腕を眺めている。
そして、トアが使用した魔術の正体が何であったのか、ようやくにして気付いていた。
肉潜蟲だ。
刃に乗せて相手の体内へ送り込み、その内部から貪り食う魔法生物を生成する魔術だ。
ミミズのような数十匹の蟲が自分の腕を食い荒らすのを見ながら、エドは唸るような声をあげる。
「貴様……」
トアは膝立ちでその声を聞いていた。血は止めたようだが、その顔色は最早蒼白だった。
痛覚は始めから切っているが、そのぶんだけ酷い眠気に襲われたような目で、彼女はエドを見ていた。




