第七十話 黒き森へと続く道のおはなし
細道を抜け、やや大きな空洞へと踏み込んだラットには、水面下に蠢く複数の巨大な淡水蟹の姿が良く見えていた。ついでに、哀れ蟹の餌となったのであろうゴブリンの骨も。
かつてエドから、巨大蟹は主に海岸に出るとラットは聞いていた。その際に語られた大きさよりはこいつはだいぶ小さいが、それでも甲羅の横幅が1メートルは優にあった。
何を食ってこんなにでかく育ったんだ、とラットは考える。水音に釣られて現れたゴブリンなどは稀な獲物であろうし、洞窟内に他に奴らの餌になりそうなものなど居ただろうか、と。
「ラット、上!」
その思考を遮ったのはエイミィの叫びである。
咄嗟に上を振り仰いだラットは、とてつもなくでかい軟体の生物が身体を捩って壁から落ちてくるのをその目にする。
「だぁーっ!?」
間一髪、転がって避けるラット。彼が一瞬前まで居た場所に叩きつけられる大ナメクジ。体長4~5メートルはありそうなそれを、岩の上に仰向けに転がったままラットは呆然と見るしかなかった。
その横に、赤い髪を靡かせながらエイミィは駆け込む。狭い通路が続いたため両手剣は早々に置いて来ており、防具もある程度外してしまっていた。コボルト洞窟以来の軽装姿だ。
エイミィは駆け込んだ勢いのまま、側面から大ナメクジの胴に曲剣とダガーを突き入れる。彼女の全身には筋力強化の光が瞬き、腰を入れて踏ん張った彼女は大ナメクジの巨体を水面へと向かって放り投げる。
盛大に上がる水柱。そして暴れるでもなく水中へと沈んでいった大ナメクジへとゆっくり近づく巨大蟹。
水中でろくな動きも取れない巨体に群がってハサミを動かす巨大蟹の姿に、ラットは先程の疑問――巨大蟹が何を主食にここで生きていたのか――に、一つの答えを得ていた。
「依頼内容って、何だっけか。連中も片付けなきゃいけねえのかな……」
額の冷や汗を拭いながらそう言うラットに、クレアは答える。
「あたしとしちゃ後回しでいいと思うねえ。連中はそう速くもないし、腹が減ってなきゃ襲って来ない」
少なくとも暫くの間は、巨大蟹の方は大人しくしているであろうという事だ。
「まずは、この洞窟がどこまで続いているのか見てから、か」
ラットはそう言いながら起き上がる。
もしこれが黒き森に口を開いているのだとしたら、掃討自体が無駄な事だ。
その場合は街側の洞窟出口を塞いで帰ることが、ラット達の仕事となるのだろう。
ゴブリン洞窟の中で下った分は、既に登ってきていると思えた。
つまりこの辺りはだいぶ地表に近い筈。事実、魔力の明かりによってわかりにくいが、よくよく見てみれば所々天井から光が漏れている箇所を見つけることが出来た。
そんなような場所には岩肌を苔類が覆い、キノコの群生が生えているところもある。
こういったものをあの大ナメクジは食べていたのかと思いつつ、ラットたちは空洞を出て再び湿った土の壁へと戻った洞窟を進んでゆく。
「探知には……だいぶ反応があるね」
カイルはゆっくりと進みながらそう口を開いていた。
後ろにも反応が残っていることがやや気持ち悪い、といった風にカイルは時折背後を振り返るが、そのうちにある程度割り切ったかのように、前方の反応へと集中しはじめる。
「この先に、大きいのが一体。でも反応自体は少しおぼろげで……」
そう言ったカイルに自分の方でも探知を使ってみせたミリィは、ややその眉をひそめる。
「この反応……前にも似たようなものを察知したような……」
カイルはそれにうなずいていた。
「そう、あの山で。グリフィンに似ている感じがするんだ」
幻獣種なのか。
ラットはエイミィたちにその場で待っているよう告げると、単身その先へ向かってゆく。
忍び足などを使うのは久しぶりで、しかもこれだけの装備重量があって可能なのかという点にはやや不安はあったが、曲刀の鞘を揺れないよう掴みながら進むラットの動きはなんとか無音を保ちながら、それを目視できる場所へと彼を滑り込ませる。
そして、彼は岩陰から片目だけを出し、カイルから告げられた場所を覗き見ていた。
「…………?」
一度顔を引っ込める。若干首を傾げてからもう一回見てみる。
おかしい、ちゃんと居るぞあいつ。見間違いだと思ったのに。
そこには筋骨隆々の大男が立っていた。
身体には何も身に着けておらず、しかし下半身をびっしりと覆う長い獣毛によってとりあえず汚いものは見えずに済み、そしてその頭は牛のものが付いていた。
ばかでかい戦斧を持ちながら鼻息荒く佇むその魔物を、流石に知らない者は居るまい。
ラットは固まったような顔のまま、こっそりとその場を逃れようとして、つい曲刀の鞘を気にするのを忘れてこつりと行く。牛頭の魔獣がぴくりとこちらを向く。
そして、そいつがこちらに一歩を踏み出した気配を感じて、ラットは即座にその場を駆け出していた。
「ミッ、ミ、ミノタウロス! ミノタウロスッ!!」
叫びながら飛び込んでくるラットをエイミィたちは目を丸くして迎える。
その後ろに吠えながら突進して来るミノタウロスをもはや半笑いで見るペンギンズ+1は、瞬時に迎撃の構えを取っていた。
ミノタウロスの上半身に突き刺さるカイルの火炎槍、ミリィの氷の矢。しかし魔力無効化結界に阻まれ全く致命傷とはならないそのタフさに、ミリィは悲鳴をあげそうになる。
「仕方ないね……!」
揃って飛び出すクレアとエイミィ。長剣を抜いたクレアは、その柄付近に増設された引き金のようなものを握り込みながらそれを振るう。
刀身に浮かび上がる炎属性の魔法陣。炎熱刃の魔術が発動し、長剣の刃に紅い光を被せるようにしてそれを延長していた。
「余程空腹なのかい、それとも……趣味じゃないってのかい?」
迷いなく戦斧を振りかぶるミノタウロスの前で妖艶に笑むクレア。ラットが放つ矢は戦斧を振り下ろそうとするミノタウロスの左肘に命中してその動きを止めていた。
一瞬怯みながらも右腕だけで戦斧を押し出そうとするミノタウロスを、クレアは右側に抜けながら紅い刀身で斬りつける。焼き切られたミノタウロスの左腕と戦斧の柄が転がる。
そしてエイミィは、ミノタウロスの伸びた右腕の更に内側へと踏み込みながら肘の内側へとダガーを突き込んでいた。愕然と彼女を見るミノタウロスの首筋へと曲剣を当て、それを引き斬る。
迸る血を避けながらエイミィは跳んでいた。頸動脈を完全に断たれながらもミノタウロスはまだ動いたが、数歩を進んだ程度で力尽き、その場に崩れ落ちる。
「こんな奴が出るんじゃ、どうやら確定か」
長剣の鍔から魔力を使い切った魔石を排出しながら、クレアは大きく息を吐いていた。
この洞窟はどうやら、黒き森の内部。それもおそらくは、かなり大穴に近い場所まで続いているのだと、続けられる彼女の声を聞きながら、ラットたちはその場にへたり込む。
「悪ぃ、ドジっちまった」
済まなそうに言うラットだが、カイルはそれに笑ってみせる。
「いや、多分……全員で行ってもこれより良い状況にはならなかったろうし、ね」
「でも……本当に、気をつけてくださいね」
ミリィはそう言っていた。カイルが言った事がその通りであったとしても、このクラスの魔物が出るのであれば、これがブレスや魔術を使うような魔物であった可能性もある。
単独での偵察などは避けた方が良さそうだと、言われた言葉にラットもうなずいていた。




