第三十九話 名前のおはなし
「悪魔、レイディエルの撃破。――まさかこんな報告を持ち帰られるとは思いませんでした」
ペンギンズから報告書を受け取り、あちらで起きたことを聞いて、カエデは静かに口を開く。
やつはそんな名前だったのかと、さしたる感慨もなくラットはそれを聞いていた。
「この報告書の中身も大半は無意味になってしまいましたね。……これだけを除いて」
そう言ってカエデが書類束から引き抜くのは、シノの死亡報告書だ。
一読してうなずくと、彼女はそれを書類束の中に戻す。近寄ってきた部下に渡し、ラットたちの方を彼女は向く。
「あれは完全に任務を果たした。想像以上と言えるか……。エルフの女王に信用され、恩までも売ってみせた。後任が送られたあとの情報収集もだいぶ楽になることでしょう」
感情を乗せないそんな物言いに、ラットはかすかな反感を抱く。
が、カエデは構わず続けていた。
「あちらに行ってから早々に正体がばれ、こっそり確認の書簡まで送られてくるという恥を晒してくれたやつではあったが――振り返ってみれば優秀だった。この評価だけが、私からあれへと贈れる餞です」
そして報酬を渡され、退出を許されるラットたち。
その重さ以上に重く感じる銀貨袋を抱えながら、ペンギンズは街の通りを歩む。
「シノさん、名前を貰ったことあんなに喜んでたのにね……」
エイミィはそう言っていた。
それを聞きながらラットは思い出していた。名前に関してあの時シノから聞いたことを。
下忍には名前が無い。そして上忍にも本当の意味では名前が無い。
その能力特性に合わせて選ばれ、欠員のうちから名乗る名を与えられるのみの、襲名のようなもの。
カエデも何代目なのかはわからないが、そうなのだろう。
その存在に当て嵌められただけのもの、スペアのあるパーツだ。
名について考えたことなど無かった。ラットもまた名前など無いからだ。
同業者仲間の中で年長者から呼ばれたものをそのまま使い続けているだけに過ぎない。
「俺も、ちゃんとした名前でも付けるか?」
そんなことをぼんやりと口にする。しかし隣で聞いていたエイミィは笑っていた。
「え? ラットはラットでしょ」
変なことを言い出すと言うエイミィ、ラットは首をかしげて顎をこする。
「いや、でもなあ……ラットだぜ?」
明らかな偽名。そして本名すら自分でも知らない。
そう言うラットに対して、エイミィは微笑したまま答える。
「呼ばれてどう思うかってのはあると思う。でもそれって、呼ぶ方にとってもそうなんだよ」
あたしにとってラットはラット。今更他の名前で呼べって言われても戸惑ってしまう。
そう言ったエイミィに、ラットはうなずいてみせた。
「……そうか。なら、いいか? このまんまで」
そして今回ばかりは少し長めの――数日間の休養が欲しいと言うミリィとカイルにそれを了承し、ラットとエイミィは冒険者の宿へと戻っていた。
あまり良い記憶が残らない宿だ。主に、あのクソ野郎のせいだが。
「カイルがとうとう本気で魔術を覚える気になってくれたってね」
窓辺の席に座りながら言うエイミィに、ラットも言葉を返す。
「へえ……確か神聖魔法ってのは、魔力の誘導だけは自分のを使うんだったよな」
ならば、魔術使用の感覚を得るという点についてはほぼ終わっていると言っていいのだろう。
たった数日間の訓練でも、ラットのような魔術を使えると言ってしまっていいのかどうかわからないものよりは、だいぶ形になった魔術師として戻ってくるかもしれない。
「でもラットも凄いじゃない、ちょっと見ただけの誘導矢をすぐに模倣するなんて」
「あれは……」
必死だった。あと、術自体も簡単なものだったとラットは言う。
同じことが他でも出来るかと言われれば、全く自信は無い。
「それでも凄いよ。あたしなんて、軽量化と着火、あとは薄い対魔法障壁を張れる程度で、ずっと変わってないもの」
謙遜するようにエイミィは言うが、それでもエイミィはパーティの主戦力だ。
戦闘においては殆ど役に立てない――流石に完全に役立たずであると言うほど卑屈ではない――ラットとはだいぶ事情が違う。
彼女の場合、それ以上に新たなものを覚える必要性が無いだけだと、ラットは口には出さずそう考える。
「そう、訓練と言えば、結局剣の訓練もあれ一回きりだよね」
運ばれてきた果実水を一口飲み、にまっと笑ってみせるエイミィ。
「お、続きをやってくれるってか?」
ラットもそう言って笑っていた。
そう、これまでは休養日は本当に疲れて寝てしまっていたり、比較的時間を持て余していたあの城に泊まった時などはエイミィの左腕が折れていたりなどして、機会がなかったのである。
「いいよ。でもその前に……シールド買いに行こっか」
そう言ったエイミィに、ラットは少しだけ、その眉を下げていた。
やっぱり盾は必要なのかなあ、などと思いながら。
意外なことに、武器防具には冒険者割引などというものが無い。
いやそりゃそうかとラットは考えていた。買うヤツなんて殆どが冒険者なのだから。
狩人が使う弓なんかは自作してしまう人が多いし、兵士の方は御用達の鍛冶屋を決めて直接取引している。
あとは村人が時折自衛用の武器を買うことがある程度で、冒険者以外が買っていく物と言ったら片刃のナイフや薪割り用の斧、手斧や鉈といったものが殆どである。
鍛冶屋と武具店が別個に分かれているなどということは、付近に鉱山を持たない街でもなければそうそう無いため、こういった日用品でも金物であれば取り扱いは武具店だが。
店頭の分かりやすい場所に纏めて突っ込んであるといった場合が多かった。買う方も鋳造の質をやや気にする程度で細かいことはあまり言わない。
武装は店のやや奥。鎧などは大体がオーダーメイドになるので、採寸や試着のための場所も備えた作業場らしき場所の壁に大小の武器とシールドが並べられていた。
ラットがまず手にとったのは普通の円形盾だが、やはり重い。
シールドを好まないのはその重さもあるのだ。ただでさえラットは、吊らない時もあるとは言え曲刀と、ダガーを2本。更に合成弓とその矢筒。更に細かい作業用にサイズ違いの片刃ナイフを4本ほど身体に括り付けている。
これ以上武装を増やすと走る速度に影響が出かねないのだ。しかも当然嵩張るものだし。
「背嚢の上に乗せるように括り付けておけば意外と大丈夫よ?」
エイミィはそう言うが、それでもなぁ……と思ってしまうのだ。
「お?」
ふとラットは足元に置かれていた物に気づき、それを持ち上げていた。
それは左腕用の手甲である。前腕部から手の甲までを覆う革製のもので、そんなに重くはない。しかもそれは腕部分に簡易な円盾をくっつけたような形状となっていた。
「これ、いいんじゃないか?」
ラットは言うが、それにエイミィは渋い顔をしていた。
「盾一体型の手甲かあ……悪くないけど、この小ささがねえ」
まあ、わからないではない。
大きな盾だったらちょっと敵の剣が食い込んだところであぶねえで済むが、これだと笑い事では済まないかもしれない。
あと、常に腕の真ん中で相手の武器を受けるというのも恐ろしいものがあった。普通の手持ち盾ならその中心部は拳か手首辺りとなるわけだし。
だが、重さと動きやすさには代えられず、エイミィのちょっとやめといた方がいいんじゃないかな的視線を浴びながらもラットはそれを購入していた。




