第三十五話 北から来るもののおはなし
その時ふと、全員が上を見上げていた。
エルフの宮殿は主敵がドワーフであるため、それに巨大樹を挟んで背を向ける形で南に向かって作られている。ペンギンズはやや南東から都へ入り、大通りを進んでその正面へとやって来たわけだが。
赤い光が見えたのだ。それは巨大樹を掠めるように飛び、低い位置にあった枝葉が一瞬にして黒く焦げ、細かい火の粉を散らすのが見える。
「…………熱閃光……?」
そして、呆然と呟くミリィの声が、しんと静まり返ったエルフの都に冗談のように響いた。
にわかに慌ただしくなる都。分散して作られた兵舎の中から待機していた兵たちが完全武装で飛び出し、北へと向かってゆく。
宮殿内に居た極東エルフ、ドワーフの部隊も動き出していた。
5人の目の前を、それでも整然と進む彼等を見ながら、ラットは口を開く。
「いったい何が起こったってんだ……?」
敵が来たのだということだけはわかる。あんな魔術をこのエルフの森で使う阿呆は敵以外にいない。
だが、いったい何が。
ミリィは青ざめ、震えながら言っていた。
「人間の魔術師で熱閃光を使えるのは、高位冒険者のうちでも一握りだけのはずです。いえ、使える人でも好んで使いはしない。それは魔族ですらそう――」
炎属性の熱閃光はただ破壊を撒き散らすだけの攻撃魔法だ。
雷属性である加粒子槍に比べてややコストが安いという利点はあるものの、基本戦争でのみ使われる魔術ということを考えると使い勝手の悪さの方が先に立ち、好んで使用する者は少ない。
では、誰が――今この都へ来ているのか。
「で、どうするの?」
エイミィは言っていた。いつもの両手剣はずっと森が続くという状況では流石にどっかに引っかかったりしそうだったので、最初に武装解除された時から持ち歩いてはいない。
両腰に曲剣と防御用ダガーを吊った姿となっていた。
「……見に行こう、ってのは無しっす。私も含めて出来ることは何も無いと思えますから」
ゆるんだ表情を無理に作ろうとしているかのような、そんな顔でシノは言っていた。
ラットも同意見だ。行って出来ることなど何も無い。
だが、相手が来てしまったらどうすれば良いのか。それをラットたちは口に出せなかった。
あの向かっていった兵士たちが全て負ける、そんなことは考えたくもなかったから。
それならば今すぐに逃げ出すのが最善である。それもわかる。
だが、認めたくはなかった。
それが翼を広げ飛んできて、宮殿の中庭へ降り立つのを見てしまってなお、ラットはそう考えていた。
「おや? 人間のガキだと。こんな所まで来る観光客ってのはなかなか気合入ってるな」
赤い髪。両耳の上から突き出す羊のような角。
黒い、軍服のような衣装の背から伸びる黒い翼。そして先端を膨らませた尾。
人間でいえば二十歳前後と思える容姿を持った男性の悪魔は、ひどく緊張感のない声でそんなことを言う。
彼は返答出来ないまま立ちすくむラットたちに軽く肩をすくめてみせると、宮殿の中央に作られた二階だけの建築物――恐らく謁見のための場所だろう、そこへと進んでゆこうとする。
だが、当然ながら伏せていた兵によって彼は迎えられていた。
「狼藉者! それより一歩でも進めば命は無いと知れ!」
迎撃のために駆けていったエルフ兵がほぼ男性だったのに対し、残っているのは女性のみ。女王だと聞いていたのでその直属護衛だろう彼女たちは、先制のチャンスを無駄に口を開くことで失っていた。
「やっぱりアポイントメントが無いとダメかい?」
おどけたように言った悪魔は左手に魔法陣を閃かせる。火炎槍の魔術が護衛兵の展開した対魔法障壁をやすやすと突き破り、一人を火だるまに変える。
「お、のれぇ!」
猛然と射撃を始める護衛兵たち。その矢の先端には小さな魔法陣が灯り、悪魔へと殺到していた。
強力な魔力無効化結界を常時展開し、高い魔術耐性を誇る悪魔に魔術はほぼ効き目がない。護衛兵たちがそれを知らないはずもなく、使用されたのは誘導矢の魔術だった。
攻撃魔法が基本的に視線で照準することを利用し、鏃に魔力を纏わせることでほぼ必中の矢を作り出す魔術だ。飛ぶのは実物の矢なので無効化結界に遮られることもない。
だが、悪魔は翼を自分の前に展開すると、それで全ての矢を受けていた。
飛行のために使用し、またアクティブシールドバインダーとしても機能する悪魔の翼に大抵の飛び道具は意味をなさない。近接戦闘ですらこれは厄介だった。
人間大の生物としては最強。まともに相手をすることが馬鹿らしくなるほどの存在。
異界の生物であるということだけが救いで、短時間の召喚、それも契約によって厳重に縛っていなければ召喚者にとってすら害しか齎さない、それが悪魔。
誰だよこんなん召喚したまま野放しにしたの、と言いたくなったラットだが、そういや魔王だったし魔王なら仕方ねえやとすぐに思い直していた。彼に人間のことを気にする義理もなかろう。
「誘導矢ねえ、こういった使いみちもあるんだぜ」
悪魔は先ほど自らが炭に変えた護衛兵の死体へと近づくと、その弓を拾う。
そして同時に拾った矢に小さな魔法陣を浮かばせると、それを真上に射出していた。
上昇から凄まじい鋭角な軌道を描いて舞い戻る矢。それは護衛兵の一人、その首筋にほぼ真上から突き刺さり、絶命させる。
絶句する護衛兵たち。だが、その後も彼女たちの戦い方は変わらない。
物陰に隠れながら誘導矢をかけた弓による射撃を続けるだけだ。
「クソッ……!」
ラットは自分の背中から合成弓を引き出す。敵からだろうと有効なやり方を教えられたってのになんで使わないんだと、心中に毒づきながら矢を抜き、先ほど見た魔術のイメージを必死に思い出しながら弓の弦を絞る。
矢の先端に浮かぶ小さな魔法陣。そして真上に射出された矢は、先ほど悪魔が撃った時と同じく鋭角な軌道を描いて戻り、ラットが視線を送る悪魔の左胸へと頭上から迫った。
「おっと」
寸前でそれを弾き飛ばす悪魔。
「なかなか見どころがあるヤツも居るもんだ……だが、いいのかな? そんなはっきり俺に敵対しちまってよ」
言われて、ラットは愕然としていた。
そうだ。敵であることは疑いなかったのだから、忘れていた。彼は俺たちを一度見ていながら、見逃すような素振りを取っていたことを。
にこやかに笑いながら悪魔はラットに向かって左手を構える。
あえて、だろう。ミリィなどの魔術使用からしても、遅すぎるほどの時間をかけて展開する小さな魔法陣。そして射出される炎の矢を、ラットの前にカイルが展開した防御幕とミリィの展開する対魔法障壁がぎりぎりで抑える。
尻もちをついてへたり込むラット。その前で、ミリィは歯を食いしばっていた。
「なんなの、あいつ……こっちを馬鹿にしてっ!」
護衛兵を焼いたときのように、障壁を打ち破ることは容易だったはず。
しかしあえて下位の術を使い、しかもカイルとミリィ二人がかりでなければ止められない程度には威力を上げて。
遊んでいる、としか言い様がなかった。それも、どれだけ悪趣味なのだか。




