第三十三話 追跡と逃走のおはなし
樹精――ドリアードは古木の精である。このくらいの事は全員知っていた。
これだけ古木だらけのエルフの森ではもうドリアードなどそこらじゅうに居ておかしくないとも承知してはいたのだが、伐採しようなどこちらから敵対する素振りをみせなければ、基本人間には無害なはずだった。
というのに。
「よほどカイルが気に入ったってか?」
追いかけながらラットは言う。
「まあ、ちょっと可愛い顔はしてるけど」
同様に走りながらミリィも言っていた。
そこで『俺は?』とか言い出さないのがラットもだいぶ身の程を知っているところだ。
軽くウェーブのかかった長い前髪にやや隠れる、タレ目の三白眼。笑えばだいぶ愛嬌のある顔立ちではあるのだが、万人受けするとは言い難い。
「ともかくこんな場所っすから、なるべく直接的な攻撃は避けて下さいね!」
言いながら、シノは3人よりやや先を走っている。
走り出しは遅かったはずなのだが、ラットをも追い抜くというのは流石の身体能力だった。
さて、三人を抜き去ってシノはその表情を引き締める。元々がキツめの顔立ちなのでそれだけで別人のように印象を変えた彼女は、胸元に立てた指の先に魔法陣を展開し、指向性を高めた声を樹上へと送っていた。
「この辺りもそうだったか?」
応えはすぐに返る。否、我々が把握しているぶんではもう少し北東の筈だ、と。
シノが懸念しているのは、5人が知らず知らずのうちに森の防衛システムに引っかかったのではないか、ということだった。
中央の宮殿を守るために森の中には幾つか、そういったものが仕掛けられている。ドリアードの結界もその一つだ。
そういったものを回避するための案内人でもあったのだが、まんまと引っかかったとあっては面目が立たない。
「子の3番までは先行し、足止めをせよ」
「承知」
シノの指示に短く応えた樹上の気配が遠ざかった。そして、既に走り出しているカイルの前へと回り込むと、その下忍たちは指先に魔法陣を展開する。
鋼成刃の魔術で作り出された菱形の投刃がカイルの足元へと突き刺さり、更に影縫いを展開して彼の足を止める。影縫いの効果は幾らも続かないが、動きを止めたカイルにシノが飛びつき、その体を地面に引き倒していた。
「よーし、今のうちに何とかしてほしいっす! ああ、暴れないで暴れないでっ!」
じたばたと暴れるカイルを転がりながら抑えるシノ。
そこへ、ようやく到着したラットたちの中からミリィが進み出て、カイルにかかっていた魅了を解く。
「え……あの、僕はいったいなんでこんなことに」
土と葉っぱまみれになってシノと絡み合うカイルは、ぴたりと動きを止めてそんな事を言っていた。
「あのなあ……お前、もう少しで肥やしにされかかってたんだぜ?」
呆れたように言うラット。ドリアードが虜にした人間をどうするのかは良く知らないが、古木という本体を持つのであれば、そんなところが関の山だろう。
といったところでカイルを回収し、しかし参ったとばかりにラットたちは周囲を見回していた。
この辺りは先ほどシノの後について歩いていた時とは、森の纏う雰囲気といったものがだいぶ違っている。暗く湿っていて、辺りにはあやしい気配が頻繁に感じ取れる。
「どうやら、安全な森のお散歩ルートからは完全に外れちゃったみたいっすね。こういう所には魔獣から幻獣まで、変なものが色々出るっす」
なるべくさっさと駆け抜けてしまいたいところだが、と言うシノ。
しかし迂闊に走り出すのも危険と思えて、ラットたちはしばしその場に立ちすくんでいた。
「ひゃっ!?」
背後で茂みを揺する音がして、悲鳴を上げるミリィ。
ペンギンズ+1がゆっくりとそちらを振り返ると、そこには獣毛に身体を覆われた灰色の巨体がのっそりと姿を現すところであった。
「トロール!?」
驚愕に身をこわばらせるラット。硬い外皮と高い再生力を持つ強力な魔物が、しかも1体ではない。続けて3体ほども進み出ようとしていたのだ。
正直言って彼等に相手できるような連中ではない。逃走に入ろうとするラットたちに、しかし魔物たちもすぐに気付いた。追いかけてくるトロールたちを、ミリィの詠唱する竜炎が包み込んで焼く。
奴らは炎に弱かった。火炎は奴らの肉体の再生を阻害し、傷を負わせやすくする――というものの、竜炎ごときでは怯みもせずに突っ込んでくるトロールに、ラットたちは再び全力で逃走を開始する。
遅れがちになるミリィを守るようにそれぞれの武器を抜き、追いすがるトロールに向かって振るうラットたち。
シノの鋼成刃がトロールに突き刺さり、続けてその刃に浮かんだ魔法陣が爆炎陣を放って地面に打ち倒す。だいぶ一連の流れに時間がかかってはいるものの、これは以前にカエデが使ったものと同じ技だ。
そうして追撃をしのぎ続ける中、ふと前方を見たシノが、そこに見える白いものに対してやや顔色を青ざめさせた。
それは、額から一本の螺旋状の角を生やした馬――ユニコーンの姿だった。
うげ、あの歩くセクハラ動物! と口中で毒づいたシノは、身体強化を発動しながら樹上に飛び上がる。
怒らせさえしなければ積極的にこちらを排除しようとしてくる生き物ではないため、迂回が出来ればそうしたかったのだが。今はそんな場合ではない。出来れば脇をすり抜けたい。
彼女は完全隠蔽の魔術を展開しながら、一気に太い枝を蹴って空中へと跳ぶ。
姿から気配、魔力の痕跡に至るまで、あらゆる情報を隠蔽する魔術であったが、完全静止状態ですらゴリゴリと魔力を消費するので動きながらの発動などはまず現実的でない代物。
しかしシノは、落下しながら使うという荒業でそれを解決していた。
一息に頭上を飛び越えるシノ。それに対してユニコーンは、やや首を傾げたもののスルーする。
続いて両脇をやや膨らんで走り抜けるラットとエイミィ。これもユニコーンは一瞬警戒したもののスルー。
更に槍を後方に構えながら、カイルがユニコーンの横を睨まれながらも駆けてゆき。
そして最後に息を切らしつつ、ミリィがユニコーンのすぐ傍をすり抜けてゆく。
そのミリィの耳元を、偏光の魔術を使用していなければ直撃していたぐらいの勢いでユニコーンの角が擦過していった。
「ちょ、ちょっと待って! なんで私だけ突かれそうになるんですかっ!」
泣きそうになりながら言うミリィ。
「えっ」
振り返るラット。
「あっ」
ぽかんと口を開けるシノ。
「……?」
エイミィとカイルは全くわからないといった顔をし。
「え?」
ミリィ自身も、何その反応ぐらいの顔をシノに返す。
「ま、まあ……このまま行けばもうすぐ次の里が見えるっす!」
シノはそう言い、いまだに追ってくるトロールに対し、懐から何かを撒いていた。
どう撒いても刃を上にして立つ金属片、マキビシ。更にばらまく寸前、魔術で致死毒を塗布している。
トロールはお構いなしにそれを蹴散らして迫るが、毒が効いたのか徐々にその速度は鈍り、引き離されていった。
それでもラットたちはスピードを鈍らせないまま走り続け、最初に着いた場所と同じようなエルフの里へと辿り着いて、迂回するのももどかしく水堀の中へと飛び込んで盛大な水柱をあげる。
「ど、どうっすか……? 明日も次の里、行ってみます?」
ぷかぷかと水堀に浮かびながら言うシノ。
「いや……もう十分だよ」
同様に浮かび、というか半ば沈みかけながら、カイルはそう返していた。




