第十五話 人との戦いのおはなし
滑るように椅子から降り、エイミィに近寄ろうとしていた"村長"に身体ごとぶつかる。
あばらの下から潜り込ませるように肝臓を狙ったダガーは、驚くほど手応えがなかった。
これでいいのかよ、と思うほどに。
だが、ちらりと見た自分の左手、握られたダガーはその刃を完全に"村長"の腹へとめり込ませている。
"村長"は愕然とそれを見下ろしていた。自分の身に起こったことが信じられないかのように。
本当に肝臓を刺していたならこれで致命傷の筈。だがラットは不安と恐怖に駆られ、もう一撃を加える事を選択する。
――致命傷ではだめだ。まだ動く。もっと、完全に即死させないと。
そしてラットはダガーを引き抜こうとするが、柄までを濡らす鮮血で手がぬめった。仕方なく二本目のダガーを抜き、"村長"の後ろに回りこみながらその首を突く。
これで完全に死んだはずだ。そう、ほっと息を吐こうとしていたラットの意識を。
「お、お頭!」
周囲に居た盗賊どもの声が現実へと引き戻した。
やべえ、とラットは表情をこわばらせる。こいつだけじゃない、他にも居たんだった。
当然、わかっていたことだ。
わかった上で真っ先に頭目を潰す必要があると、その機会は今しかないと動いた筈だった。
だが彼のダガーが頭目の腹部へと吸い込まれた瞬間、それら全ては吹き飛んでしまった。
妙に浮ついたような気分と、そして反撃への恐怖。
その二つにラットの意識は全て支配され、今の状況も、クソったれた事を言いやがった頭目への怒りも、何もかもが何処かへ行ってしまっていたのだ。
次々と得物を引き抜き、構える盗賊たち。
ラットが抱きすくめるようにしている盗賊の頭だったものは、もはや絶命しており20センチの肉の壁以上の意味をなくしてしまっている。
数秒も経てば、彼等は何の遠慮もなく取り出した武器をラットに振り下ろしてくるだろう。
その事実の前にラットの頭が真っ白になりかけたその時。
ばちん、と。硬い留め具を外す音が響いていた。
エイミィがこの場に持ち込んだ武器は、やはりいつもの両手剣。
ブレード長125センチ、重量6キロを誇るそれは、しかし刀身幅はそれほどでもなくきちんと鞘をそなえていた。
スリット状の鞘である。使用時にはヒルトの上をとめる留め具を外し、落とすようにして抜く。
今はテーブル脇に立てかけてあるそれを、エイミィは盗賊たちの注意がラットに向いたその隙を狙い、テーブルの上に駆け上がりつつ抜刀し、ミリィとカイルが未だ身体を起こす素振りがないことを確認した後、回転するように薙ぎ払っていた。
一瞬で二人ほどが首を飛ばされ、赤い噴水を吹き上げながら膝を折る。
そしてエイミィは両手剣をそこらに投げ捨てると、盗賊の死体が持っていたカトラスを拾っていた。
「こいつらっ……!」
死の円弧から逃れた盗賊が、士気を半ば崩壊させつつもその場にある物に活路を求めるべくその目を忙しなく動かした。そして未だ突っ伏したままのミリィに視線を向ける。
この場を逃れるにせよラットたちを制圧するにせよ、ミリィの存在を盾として使うべく手を伸ばしたその盗賊に向かって、ラットは自分が覚えているただ一つの呪文を唱えていた。
ぽっと盗賊の鼻先に灯る種火。目の前に突如として踊った炎とその熱さに、盗賊は顔を押さえて悲鳴をあげ、仰け反っていた。
その喉にミリィの詠唱した氷の矢が突き刺さる。突っ伏しながらも探知の魔術を使っていたミリィは、吹き抜けとなっている食堂の上階へと視線を移していた。
そこには弓兵が二人。
起き上がった魔術師へと怯えながらも弓を構える二人の盗賊に対し、ミリィはロッドを構えて呪文を詠唱し始める。
攻撃魔法であるとわかったのか、いやそれが仮に彼等の弓を無力と化す魔術であっても関係なかったのだろうが、盗賊達は矢を打ち放つ。二本の矢が揃ってミリィへと迫る。
が、それは最初から狙いを外していたかのようにミリィには突き刺さらなかった。
それを幸運と思うでもなく当然のように受け止め、ミリィはロッドに纏わせた光波の魔術を魔力刃として射出していた。
柱の裏へと隠れる盗賊たち。上を取っている事に加え遮蔽物もあり、対魔法障壁などがなくとも魔術を回避することは可能であるとの考えが盗賊たちにはあった。
しかし、基本的に必中である筈の魔術が自分達が隠れる柱にすら当たらず、天井付近の梁に突き刺さったのを、一瞬盗賊たちは訝しんでいた。
「それで正解……」
盗賊の思考を読んだかのような呟きがミリィの口から漏れる。
だが、それは上階にいる盗賊に届いたろうか。その声の大きさばかりでなく。
彼女がそう呟く一瞬前、梁へと突き刺さっても消えずに残っていた光波の側面に、新たな魔法陣が展開する。そしてそこから射出された散弾針の魔術が、盗賊2名の身体をごっそりと抉っていたのだった。
ノクティ・アリスが言った、ミリィの妙な遊び。
それそのものではないが、その派生物として生み出されたのが、発動体や他の魔術を使用して魔術の発生場所を弄るというものだった。
自分から発射されないというだけで、元からそういった用途でない魔術でもトラップや遮蔽の先を狙った曲射に使う事が出来る。それにより、むしろ制御が容易くなる魔術も多かった。例えば、今の散弾針のように。
「……これで、家の中に居た連中は終わりか?」
ようやく抱えていた"村長"の死体を離すラット。
血溜まりの中に倒れる盗賊の頭目を見下ろし、ひどく臭うその血の臭いを嗅いで、彼は盛大に顔をしかめながら自分の鼻を右手の甲で拭う。
その途中、自分の右手こそが血まみれに汚れていることに気づいて、呻き声をあげた。
「くっそ……なんでこんな、気分悪ぃ――」
んだよ、と。最後まで言えずにこみ上げてくる酸っぱさに、ラットは胃の中のものをその場に吐き戻す。
「ラットさん!?」
気付き、駆け寄るミリィ。まさか、さっき盛られた薬の解毒が完全ではなかったのか。
盗賊の血と自身の吐瀉物が混じった汚泥を呆然と見下ろすラットに触れようとすると、彼は悲鳴を上げながらその手を振り払った。
しかし、すぐに気づいたように頭を下げると、ラットは笑ってみせる。
「あ、わ、悪い……へへ、いやさ、まあ……メシ喰った直後に見る物と臭いじゃねえよな、やっぱ」
ミリィはそんなラットを見下ろす。
震えながら笑ってみせるラットを数秒見下ろして、そのあと。
自分でも何故そんなことをしたのかわからないが、彼の頭を抱き寄せて、そっとその背中を叩いてやっていた。
「……ミリィ?」
盗賊から奪ったカトラスを持ち、入り口を警戒していたエイミィが戻ってくる。
彼女は、震えるラットを宥めながら動かないミリィを驚いたようにしばし眺め、そしてようやく以前の、余裕があったころのミリィが戻ってきたようだと、微笑ってみせていた。




