望まない力
「魂のない屍を生き返らせたい?」
栗色髪の男を目の前にして少女は問いかけた。
「蘇生と言っても、生き返るのは身体だけ。魂は生き返らない。この意味わかる?」
「つまり、感情とか記憶とかは戻らないってことか?」
「正解。だけど少しはずれ。蘇生した身体に感情はない、もちろん記憶なんてない。何かをしようとすることもないし、生きるために必要なことも全くしようとしない。生ける屍ーーそれが彼らの相応しい言い表し方」
淡々と話すアイナは男がハムスターを蘇らせることができるのかと聞いてきたからできると素直に答えた。だったら、と今にも要求してきそうだったので欠点をあげた。隠さずに全てを。それが彼とそのハムスターにとってのためだから。
「蘇生するのは、彼らを侮辱するということ。それでも蘇生したいというなら私は止めない。私は言われたことをやるだけ」
ちらっと、男が下げている鞄を見る。保冷バッグの中にハムスターを入れているのだろう。
この辺で見る顔ではない。彼も【白髪の赤目の少女】を探してここへやって来たのだ。
若い者で白髪は珍しい。それも血を思い浮かばせる赤い目との組み合わせは希少なもので、蘇生の力を持つ少女の噂は広まっていた。だからいつも誰かが自分の元へ来るたび少女は説明するのだ。
「頼んでおいて後で『どうして』だとか『こんなんじゃなかった』とか『責任とって』とか『返して』とか『お願いするんじゃなかった』とか『元に戻して』とか『殺して』とか言われても、私は何もできない。何もしない」
「……なんかすごい言われてんだな」
こんな小さな女の子に重たい荷物を。
少女を映す男の目は同情の色に変わる。伏し目がちにしている少女の表情は無に近いものだが、どこか寂しさや辛さがある。
「俺はさフワリが大好きだった。だけど生き返らせたいとは思わない。今日は蘇生できる少女がいると聞いて確かめたかったんだ」
フワリとはハムスターのことだろう。
「本音言うと、何もかも完全に元通りになるんだったら頼んでいたかもしれない。フワリを侮辱する行為はしたくないし、身体だけ生き返っても記憶もないなんてそんなのフワリじゃないもんな。俺は願わないよ」
男を見ていた少女の瞳が見開かれる。初めて男が目にした表情の変化。瞳が輝き、今にでも泣くのではないかと感じさせた。悲しみというより感動から生まれたもの。
「……はじめて……、初めて話が通じた」
「君は俺たちのことを思ってそんなふうに言ってくれてるんだよな。こんなに小さいのに難しいこと考えて、辛いよな」
膝を折り曲げ目線を合わせた男はアイナの頭に手を当てる。
少女はただの小さな女の子なのだ。蘇らせる不思議な力を持っているだけで。本当はか弱い。
「そんなこと言われたのも初めて、辛いだなんて。蘇生を断ったとき『お前は好きなときに好きなやつを生き返らせることができていいよな』って男の人に言われてから周りにはそう思われていると思ってた」
そんなこと言った大人はどこのどいつだ。
きれそうになりながらも男は平静を装う。
「君の持つ不思議な力は良いものじゃない。君はそう思っているんだろう?」
少女が力強い視線を返してきながら頷く。出会った瞬間とは大違いの反応だ。少しは心を許してくれているんだろう。
「それはその力のデメリットを良く知っているから。他の人はそれを知らないんだ」
「そう。だからそれを教えてる、だけど皆わかってくれない。それで後で皆後悔したりしてる。まるで私がいけないことを率先してやってしまったみたいに必ず皆が言うの。『元に戻して』って」
伝えるのがうまくない。
「私は身体を生き返らせることしかできない。だから、また動かない身体にすることはできない。そうするには飢え死にさせるしかないの。そんなの残酷でしょ」
本人は伝えようとしているけど、少女の言葉は届かないのだろう。大切なものをなくした人の心に響くのは現実より、自分に都合のいい可能性。
「俺が一緒に伝えようか?」
男の口から自然とそう出ていた。
「君の力は使うべきではない」
そうするべきだと思ったから。少女一人ではいつか何かが崩壊する。そう心配になったから。
「私はアイナ。あなたは?」
「俺は健太郎。アイナはこれからどうするんだ? 何かする予定でもあるのか?」
「私は……もうここには住めない。だから他のところへ行く準備をしてる」
「そうなのか」
ちょっとした用があるのではないかと思い尋ねてみれば、思いのほか重大なことで健太郎は驚く。
俯いて視線を下げるアイナはやはり悲しそうだ。ただの子供だということをまたもや感じさせる。
「フワリを埋めれる場所ってここにないかな」
「ここじゃなくてあなたの住む土地に埋めてあげたら?」
「でも、行く場所とか決まってるだろ?」
「決まってない」
子供というものはわかりやすく感情を表に出すものだが、アイナは無表情が常の顔なのかわかりにくい分類に入る。
首を軽く横にふるアイナを優しく見つめる。
「ならそうさせてもらおうか」
健太郎たちにとって見知らぬ土地にフワリを埋めさせる行為に抵抗をもったのだろう。どうせなら一緒に過ごした家の近くに、思い出のそばで眠ってほしいと。
ーー待って。持っていくものがある、準備する。
そう言って踵を返し健太郎をその場において行ったアイナは数十分後に戻ってきた。のだが、持ってきたものが普通ではなかった。
「えっとー、なにその棺桶」
「ひつぎのこと? 気にしなくていいよ」
「いやいや気になるから」
荷物といえばバッグとか、大きくてもリヤカーぐらい。黒くて真ん中に白い十字架のある箱は完璧に棺桶。ロープで括り付けたそれをアイナは重たそうに引きずってきた。
「そんなに気になってるなら運んでもらえる?」
訝しげなまなざしに気づいたアイナがロープを片手で差し出す。有り無し言わせない態度に健太郎はそのロープを受け取り、さっそく引っ張る。
「中、なに入ってるんだ?」
「……荷物」
なぜ棺桶に荷物を入れるんだ。
「中見たら承知しないから」
意外と重い棺桶の中身を考えているとアイナに釘をさされる。下心一切なしに下着でも入っているのだろうかと、ふと思った健太郎だった。
行動を共にする提案を出されたアイナは答えを出さなかったが、当たり前のように健太郎の傍にいる。
アイナに頼まれた少々重い棺桶を健太郎はロープを手にし引きずり、歩幅の小さいアイナと同じくらいの速度で隣に歩く。
「フワリとはペットショップで出会ってさ。ハムスターって他の動物たちと違って寿命が短いんだよな」
「幸せだっただろうね。寿命でしねて」
何気ない会話のつもりだった。可能なら生き返らせてほしいと保冷バッグの中に入れてきたフワリの話をすると、アイナは予想外のことを言ってきた。
健太郎が凝視するアイナの表情は今までと変わらず涼しげ。
「なに?」
急に見上げてきたアイナと目がかっちりと合い健太郎は一瞬戸惑う。
「いや、えっと。そういう考えもあるんだなって」
「寿命までの間、好きなあなたの傍にいられたなんて幸せ以外のなにものでもないでしょう?」
「そっか。そうだよね。……ありがとう」
フワリと一緒にいられた時間は健太郎にとって大切な時間だったと言い切れる。けれど逆は想像しかできなかった。
それをアイナは言い切ってくれたのだ。
「どうしてお礼なんて言うの」
「言いたくなったんだよ」
蘇生を断るアイナのことを冷たい少女だと思う人がいるだろう。相手のことだけを思っての言動だということを知らずに。
常に無表情なアイナのことを最初は健太郎も、何も感じていないのだろうかと疑った。でも本当は心優しい少女。
もしも、今まで出会ってきた人たちがアイナの無表情の原因だとしたら、どんなことがあったのだろうか。
十五、六才の少女が誰かを蘇生させることのできる力を持っている。生き返らせることができても〝それ〟には魂が戻らない、望まない力を持っている。
健太郎は考えふけった。自分の家に向かう道のりの間。
これまで蘇生をしてもらう目的でアイナの元へ来ていた者たちは、アイナの言う注意事項に耳を貸さずに生き返らせてとただ要求するばかり。
それで後になって身体だけ生き返った屍のような者を目の前にして言うのだ。後悔とアイナに対する非難。アイナの力に欠点はあるが、それを教え了承され力を使ったアイナに非難すべきところはない。
その者たちに発言はしたが伝わっていなかったのだろう。その者たちは耳を貸していなかったのだろう。勝手にお願いしてきて、勝手に傷つく。そのことにアイナはひどく苦しめられていた。
今となってはそう感じるものも薄れている。ちゃんと忠告して相手が受け入れて力を使って、それで相手が傷ついたならーーああそうですか。
人間など勝手で、その者たち以上に自身の過去の行為の方が勝手で思い返すたびアイナの心をえぐった。
アイナには大切な少年がいる。それを自分の手で穢してしまった。
命を生き返らせることのできる力を健太郎は使うべきではないと言ってくれた。アイナ自身もそう思っていたから、蘇生を頼んでくる人たちにその力の欠点を話し断りを入れてくれるという健太郎についていくことに決めたのだ。
アイナの居場所はどこにもなかった。村に住む家はあったがもう村自体に居られなくなった理由ができてしまい、ちょうどどこかへ移住しようと思っていたところなので健太郎との出会いは好都合だった。
亡くなってしまったハムスターのフワリを生き返らせてほしくてアイナのもとへ来た健太郎。行動を共にすると提案したため、アイナの傍を離れないために、フワリを見知らぬ土地に埋めるしかないだろうと勝手に妥協したがアイナがそれを止めたのだ。
あなたの住む土地に埋めてあげたら、と。
健太郎についていきアイナが着いたところは、コンクリートでできた建物が並び、お店などがたくさんあり繁盛した街といったところだった。アイナの住んでいた、木でできた家が所々にある村とは大違いだ。
健太郎の家の中に入り待っているか、このままフワリを埋める場に立ち会うか選択を与えられたアイナは後者を選んだ。
家の庭であろう地面をスコップである程度まで掘り終えてから健太郎は、自身が今まで肩に下げていた保冷バッグの中からフワリを取り出した。その身体は未だ綺麗。亡くなったばかりなのだろう。
亡くなってすぐアイナのところへ来た。それがわかりアイナは悲しそうに目を細める。
力になれない。
蘇生するのはその者を侮辱すること。それを聞いて健太郎は納得し諦めた。けれどそれはアイナの力が不足していることによるものである。身体は生き返らせることができても魂はよべない、よびもどすことができない。そんな力はあってもないのと同じ。
もし魂もよべたのならたくさんの人を悲しませることなく、健太郎の大事なハムスターも生き返らせることができたのだろう。願ってない力だが、あるのならそこまでできる力がほしかった。
掘った土をスコップですくい、かけるように軽く土を元の場所に戻すところをアイナは目を一切そらさずに最後まで見ていた。
健太郎の家に招き入れられたアイナは、お茶いれるからここで座ってて、と言われソファに座った。
待っている間、アイナは部屋を見回す。
物があまりなく綺麗だ。収納棚や本棚、テーブルやソファ。必要な家具だけが置かれている。
ソファの近くの床にはふわふわしたラグマット。壁には主張しすぎない大きさの絵画。
全体的に黒と茶色ーーとモノクロ。
アイナの部屋の二倍以上の広さだ。アイナが住んでいた家はキッチンとテーブルとベッドが近くにあった。
窓際にある花瓶に入れられた花が暖かな日差しを浴びている。
健太郎がアイナのもとへ来たのは早朝で、健太郎の家についたのが正午頃。
昼食をとりたいところだが話をしなければならない。これからどうするのか。本当に傍にいさせてもらっていいのか。
考え込んだアイナの耳に扉をノックする音が届く。
それと同時に別の部屋、キッチンであろうところから健太郎が出てきて玄関へ向かった。
扉を開ける音がして、それから最初に聞こえたのは健太郎とは違う男の人の声。
「よっ。帰って来たならなんで言わなかったんだよ」
「なんでって、帰ってきたばっかだったから」
「知ってる。おばさんからそう聞いたから来たんだし」
「じゃあそういう言い方するな」
呆れているような空気を隠さずにしている健太郎。顔は見えないが相手の人と仲が良いんだとアイナは感じた。自分にはしない接し方だ。
「てかフワリは、蘇生少女にあって生き返らせてもらったのか?」
「ああそのことなんだが……」
気まずそうにしている。ハムスターのことを話していたようだが埋めたということを言いにくいのだろう。
そんなことをアイナが思っていると健太郎の焦ったような声が聞こえてくる。
「とりあえず中入れろよ」
「おい勝手に入るな」
「なんでだよ。って、ありゃ」
その男は健太郎の掴む手をかわして中に入ってきたように思える。
ソファに座るアイナと目ががっちりと合う。合わせたまま男は発言する。
「なんかさ、おばさんがーーお前がようじょ……少女連れてたってことも言ってたから見間違えだろうなって思ってたんだけど。まさかお前犯罪に手をそめて……」
「違う」
疑いの目を向けられた健太郎はきっぱりと否定した。
こうして疑われているのはあの時のことが原因だと健太郎にはわかっていた。健太郎の家につく前、近所のおばさんと出くわし挨拶をしたときのこと。
『もう帰ってきたんだね。おかえり』
『はい。ただいま』
『あのハムスターのフワリは生き返らせてもらえたのかい?』
『いえ、それはもう望むのはやめました』
『そうかい。やはり蘇生少女とは出会えなかったんだね』
『ええと、それが』
健太郎が蘇生少女のことを話すべきか悩んでいるとおばさんがアイナの存在に気づく。
『あら女の子なんて連れてどうしたんだい。お嬢ちゃん、迷子かなにかかい?』
見知らぬおばさんに話しかけられたアイナは健太郎の後ろに引っ付いた。
帽子をかぶっているおかげで白髪の髪は目立ちにくく、瞳の赤も見られていないのだろう。赤い瞳を見ていれば蘇生少女なのではないかと少しは考えたかもしれない。
『喋れないのかい?』
『喋れるよ……?』
意外にもアイナはか細い声で答えた。それでもやはり俯いたまま顔を上げない。意図的に瞳を見せないようにしているんだろう。
目立たないようにアイナは帽子をかぶってきたのだ。
蘇生少女だと、少しでも思わせないために。
『その子どうしたんだい?』
『……事情があって』
つんつんと健太郎の服をアイナは引っ張る。もうこの場にいるのが限界と言っているようであった。
『すみません、あとでお話するので』
そそくさとその場を立ち去ったのはとても怪しまれただろう。しかも棺桶を引きずって歩いていたのだ。
アイナの存在に先に目がいったためか棺桶のことを問われなかったが、あとで言われるだろう。
その時はなんと答えようか。アイナの荷物だと真実を言ったら信じてもらえるだろうか。
ーーいや、そんなことより。今目の前にいるやつの誤解を解くことが先か。
不安なのか心配なのか、自分のことを映す瞳が揺れている男に健太郎ははっきりと言い放つ。
「彼女はお前のいう蘇生少女」
「ーーは?」
「いろいろあってお互い意見があって来てもらった。隠そうとしたのはお前になんて言おうか決まっていなかったからだ。お前なら幼女さらってきたとか言いそうだったし、実際、言われたからな」
健太郎の嫌味を含んだ視線に気づかず男はアイナを一瞥する。信じられないといった様子だ。
「確かに白髪の赤目の少女だけど、本当に蘇生少女? 蘇生できるのか? もしかしてフワリを生き返らせてもらったとか」
「フワリはもう埋めた」
「なんで。せっかく蘇生少女見つけたんだろ」
目の前にいるのにどうして頼まない。
誰もが理解できないことだろう。
「体は生き返っても心は元には戻らないらしい。だからやめたんだ」
目の前の男が意味がわからないといった顔をしていることに気がついているような健太郎だが、それ以上は口を開かない。
代わりに、ソファに座ったままのアイナが声をかけた。
「私はアイナ。あなたは健太郎の友人?」
「ああ。裕也っていうんだ。……本当に蘇生できるのか?」
「できる」
まずは自己紹介。それからは健太郎がアイナと暮らそうと思っていると話す。驚愕する祐樹にアイナの蘇生の力の欠点を説明した。
身体を生き返らせられても魂はよべない。
良い力ではないのだ。頼んできた者にとっても、蘇らせられた者にとっても、アイナにとっても。
誰かが頼んできたときにちゃんと断るため、アイナのそばにいるつもりであった健太郎はアイナが村を出る意思を持っていたとは思わず、こうして自分の家に一緒に来ることになるとは思っていなかったという。
誰かを蘇生してもらう目的で人が来るため、蘇生少女がいると噂になっている村を離れどこかに身を隠す。
それが一番良いとして。
幼い少女であるアイナを一人にはできない。
祐樹には妹がいた。真希という、アイナの二つほど年上の女の子。
健太郎の家に長居している祐樹を訪ねてきた真希はアイナと対面した。
硬直したままアイナのことを見ている真希がそのあと何と言うのか健太郎は気をはったがその心配は必要なく。
白い髪と赤い目を持つアイナのことを「お人形さんみたいに綺麗」と真希は言い表したのだ。
さらってきたのではないかと祐樹と同じ疑いの目を向けてきた真希。やはり兄弟は似ているものだなと健太郎は苦笑いし、軽く説明をした。
「わたしは真希。よろしくね!」
「アイナ。よろしく……」
誤解が晴れ、健太郎の家に暮らすことになったアイナのことを真希は心から歓迎しているようだ。それが伝わってか、初対面の人にはあまり心を開こうとしなさそうなアイナが、真希に差し出された手をとった。
真希とアイナは同じ年頃の女の子という共通点がある。
男であり、年齢も十ほど離れている自分より話しやすく良き友達になってくれるだろう。
健太郎は暖かい眼差しで真希たちを見ていたが、その顔は少し複雑そうだ。
真希はアイナに会いに毎日のように健太郎の家にやって来ていた。
パズルを持ってきたり本を持ってきたりトランプを持ってきたり。とにかく遊び道具を持ってきてはアイナと遊んでいた。
真希は学校に通っているがちょうど季節休みで、友達が近所に住んでいないために頻繁にやって来るということを健太郎は知っていた。
いつもは家のパン屋の手伝いをさせられているはずだが、それも含めここにいるのだろう。
パン屋の仕事で忙しい祐樹は真希と一緒に健太郎の家にあまり来ない。健太郎も健太郎で雑誌の仕事で外へ出ることが多く、アイナと接している時間が一番多いのは真希となった。
ある日、真希がアイナを外へ連れ出そうとした。
無理やりではなく健太郎にもアイナにもそのことを話して同意を得ようとしたのだ。
何を考えているのかわからない表情で床を見つめていたアイナは、いいよとただ一言。
健太郎が何着か買ってあったアイナ用の服の中から、フードのあるパーカーをかぶり初めて外へ出た。
いつもは太陽の日差しを窓から浴びているだけだった。青い空を窓越しに見ているだけだった。地面を当分踏んでいなかった、雑草を見ていない。花は家にある花瓶にさしてあるものを見ていた。
正午の日差しは眩しく暖かく少し痛く、うっとおしい。
「外もいいものでしょう」
ふふ、と笑って振り返った真希の笑顔は眩しく、自分とは全く違う暖かい人間なのだと感じさせられたアイナは立ち止まる。
「どうしたの? アイナ」
人を生き返らせることのできる力を持っている。そんな自分が本当に人間なのだろうか。
頼まれて、屍をつくって人を傷つけて、何も思わない。大切な人を蘇らせてまた眠らせた。それが人間にできる行為なのだろうか。
「私は、ーー人間じゃない」
自分は化け物なのだと。人とは違うのだと、わかっていたことだ。だからこうして隠れるように生きている。子供が次々と病で亡くなる村で唯一生き残ってしまった。
「何を言っているの。アイナは人間よ」
両手をとり、身をかがめた姿を視界に映してくる真希は同情心で言っているわけじゃない。変わりない声と明るい表情で接してくれているのが証明。
健太郎なら眉をひそめて言うのだろう。同情から、それでも心の底から。
そう思ったら少し心が暖かくなるのを感じた。
わかった、というかのようにアイナが頷くと真希は握っていた片手を離したがもう片方の手は繋いだまま歩き始める。
「わたしのとっておきの場所に案内するわ」
そう言われ連れてこられたところは一軒のお店。パン屋だった。表に白いチョークでパンの絵が描かれた看板がある。中に入ると甘い香りが空気中でふわふわと漂っているようだ。
「兄さん、お疲れ様」
「おうよ。ってアイナ連れてきてどうした」
「そりゃもちろん、うちの特製のパンを食べてもらうためよ」
「〝うち〟って、お前今日何もしてないだろ」
「そういう意味じゃなくて! 私の家族である自慢の兄さんたちが作ったパンってことよ」
「ああーそういうこと」
どうやら真希の家族で経営しているお店らしい。健太郎の家にやって来たとき彼が言っていたような気がする。
流し目に見てきた裕也にアイナは拒絶するように視線を落とし挨拶する。
「こんにちは……」
「いや、おはよ。でいいよ」
お昼には人混みができるからと、朝と昼の間の時間に散歩をすることになった。今はお昼の方に近いからと選んだ言葉は間違えたようだ。パン屋だから早朝起きが当たり前でおはようの方が言い慣れているのだろうか。
「で、なに食べるんだ」
「まさかここに並んでいるものから選べって言うんじゃないでしょうね」
「どいうこと?」
「焼きたてのパンを求めているに決まっているでしょ。わざわざここまでアイナを連れて来たんだから」
朝に健太郎の家に届けられる焼きたてではないパンは何度か食べているアイナ。健太郎に『このパンは裕也の家のパンなんだ』と教えられた記憶がある。
「って言ってもな。焼きたてのものは限られてるぞ?」
「今はなにがあるの?」
「メープルパン」
「じゃあそれでいいわ! 私の好物だもの」
「……アイナの好物じゃなくていいのか?」
「あっ。アイナはなにか食べたいものある?」
今絶対そのこと気にしていなかっただろ、という裕也のじと目に気づかず真希はアイナに答えを求める。
「いつものは惣菜ものだから、甘いもの食べてみたい」
「ならメープルパンでいいわね!」
意見が合ったと喜んでいる真希だが、アイナはそんな真希に合わせたんだろう。健太郎と同い年の裕也はそのことを見破っている。どっちが年上なんだと呆れさえある。
「ほらほら早く持ってくる」
「へいへい」
急かされて裕也は調理場へ向かった。
紙袋に入れられたメープルパン二つ、それぞれに渡す。
そく真希はひとかじりしやっぱり美味しいと笑う。同じように口にしようとするアイナに気がついて真希は食い入るように見る。
両手で持ち小さく一口を食べた。可愛らしい。小動物かなにかかっ、とざわつく心をいったん落ち着かせた真希は感想を聞く。
「どう? 美味しい?」
「……美味しい」
瞳を揺らし、口から話したメープルパンを凝視するアイナは言葉の通りに感じたのだろう。
「そりゃ良かったよ。作った甲斐がある」
「こんなに甘いものあまり食べたことがなかったから、とても美味しい……」
「おう。どうもな」
目を合わせようとしてこなかったアイナが、美味しいという部分を強調するように真っ直ぐとした瞳を向けてきた。そのことに驚きつつも裕也は感想を言ってくれたことに礼を言う。
それが許しだったかのようにアイナは二口目を口にする。そして満足気に表情を緩ませた。
「いま笑ったわよね」
「びくった。健太郎がアイナの笑ったところ一度も見てないっていうから笑えないのかと思ってた」
「兄さんそれ失礼よ」
目を見開く裕也に眉を寄せて注意した真希は表情を一変させる。
「にしても健太郎も見たことないなんて。私が初めてね! アイナの笑ったところ見たの。アイナの初めて貰っちゃった」
なんていう出来事があったのを裕也から耳にした健太郎は驚いた。何せ毎日同じ家にいる健太郎が未だアイナの笑ったところを見ていないのだから。
「今日は真希のところに行っていい?」
「もちろん。朝食をとってからな」
「……朝食にパンを食べてきたいの」
「パンならあるぞ?」
「惣菜パンじゃなくて、甘いパンが食べたい」
一緒に朝ご飯を食べるのが日課となっていた健太郎はまたもや驚かされた。わざわざ真希のところへ行くほど甘いパンが食べたいのかと。前までアイナは外に出ることを拒んでいたのにすごい成長だ。
了承した健太郎がつきそおうかとたずねるが、大丈夫と言ったアイナは帽子をかぶって玄関へ向かった。
そして一人でお店までやって来たアイナに裕也は感心するのであった。嬉しそうに飛び出てきた真希と朝食にメープルパンを食べ、お昼には散歩をすることに。
店を出る際「いつでも食べにこいよ」とにこやかに言ってくれた裕也はいい人なのだとアイナは思った。メープルパンのお金を払おうとしたときも〝初めての記念〟だと受け取らずに、好きなものを買えと。
街中を歩いていると脇の方に人が集まっている所がある。歩道だというのに邪魔だなと眺めるアイナに真希は「面白そうだから行ってみましょ」と楽しげに向かった。
人だかりの中心にいたのは二人の男。片方はおかしなハットをかぶりサングラスをしている。もう片方は仮面をしていて背が低い。
「これからおかしなマジックショーを始めるよん」なんて、おかしなハットをしている男の発言にアイナは首を傾げる。マジックというものを見たことがなかった。
トランプをまぜて観客の何人かに一枚ずつ引かせたおかしなハットをしているジョニーと名乗る男は、それを手札に戻し同じようにトランプをまぜる。ジョニーは一切そのカードを見ていない、観客にだけ覚えてもらうようにしていた。だというのに、一人一人が一度手にしたカードを引き当てた。どよめきが起こる。観客の心を掴んだようだがアイナには何が楽しいのかよくわからない。
「お次はこの一三枚のカードの中から引いてもらうことにしよう。そうだなー、二人の男性に一枚ずつ、エレガントな女性に一枚、もう一枚は……」
どうやらカードを引く人の指定があるようだ。
「そこのお嬢ちゃんに」
まさか強制的な指定があると思わなかったアイナは驚く。サングラスをしているジョニーの目が見えるわけではないが完全に目が合っている。拒絶する意味もないので仕方なくその役を担うことにした。
「この引いたもらったカードはこの男に預けてちょっとしたネタバラシ。俺の手に残っているのはあなたたちに引いてもらえなかった選ばれなかったカードです」
ほいっとその手のカードを表にする。
「J、Q、K……と三枚ずつありますね。最初にあったのは十三枚。種類は四種類。つまり、あなたたちが選んだのはJQKとーー答えはあなたたちがみせて下さい」
誰も自分の引いたカードを見せてもらえなかった。ジョニーの男の手から引いてすぐ裏のままジョニーに渡したのだ。そうするよう言われたから。だからその十三枚のカードの意味もわからなかった。
男がズボンのポケットから出したのはJのカード。ジョニーに言われたもう一人の男が胸ポケットから出したのがK。エレガントな女性と指定されカードを引いた女性は髪に隠れた後ろ首のところからQのカードを。
いつの間にこんなところに、と本人たちが一番驚いている。
そして最後の一枚、アイナのカードは。
「その帽子の中」
男が言った場所に全部カードがあった。きっとアイナが引いたカードは帽子の中にあるのだろう。それを取って見せるのが今の正しい行動。けれどできなかった。
白髪を見せてはならない。こんなに大勢の者に見られたら誰か一人は気がつくかもしれない、まさかと思うかもしれない。まさかと思われたらおしまいだ。
健太郎の家で暮らすようになって外にも出るようになって、白髪を隠すため帽子かフードを必ずしていた。だから今のところ誰もアイナに興味を持ったりしなかった。生き返らせて、蘇生してほしい、という言葉をここ最近ずっと耳にしていない。その平穏がなくなる恐れのある瞬間でもある。
考えすぎかもしれない。いや、考えていなかったから以前まで蘇生少女としてしか扱われなかったのだ。
やだと断固として首をふった。言葉を一切発さず、帽子をとってという男の要望を拒否する。
「じゃあ俺の魔法で外しちゃおう」
いきなりの突風がアイナの帽子を吹き飛ばす。それまで俯いていたアイナが目にしたのは、おかしな帽子を自分に向けているジョニーの姿。帽子からその風を出したの? なんて疑問はすぐに吹き飛ぶ。それまでジョニーに向いていた観客の視線が全部アイナに注がれていたのだ。帽子のくだりからそれは向けられていた。
やってしまった。自分自身は何もしていないが何かいけないことをやってしまった気がする。
他人の視線が白髪を凝視しているのがわかる。その目が驚きになる瞬間がこわい。蘇生できる少女。そんな噂の人物だと思われる。気づかれたくない。
不安を消すようにアイナは目をつむり、両腕で頭を覆った。
「こんなの最低よ! 帽子を外したくないって言ってたのに無理やり吹き飛ばすなんて」
隠すように真希はアイナを抱きしめた。
アイナのことを真希は裕也から聞いていた。蘇生少女だということを。珍しい白髪と赤目を見られればその答えにいきつく人が多い。だからバレないように目立たないようにアイナは帽子やフードを常にかぶっていた。
「アイナ。すぐにとってくるから」
穏やかな表情を向けてくる真希がアイナの視界からいなくなる。もう一度目に捉えたときには帽子を早く取りに行こうと走っている後ろ姿で。真希がアイナの帽子を拾おうとしたとき横から来た何かに衝突する。
馬の驚いたような鳴き声、ばたつく足音。真希が倒れた。マジックショーを見ようと集まっている人によって視野をさえぎられているアイナの認識はそれくらい。
急いで駆け寄ったアイナは驚いた。倒れている真希の頭から血が流れていたのだ。
「アイナ」と呼ばれた気がして、ぼうっとしかけた意識がそちらに顔を向けさせる。
「健太郎……なんでここに」
健太郎は仕事に行っていたはずだ。こんな昼間に帰ってくるはずがない。
「早く帰れることになったんだ。なのにこんなことに」
馬車の横に立っていた健太郎が真希のところまで来て肩を抱きを抱える。
「真希は無事?」
アイナの純粋な問いに神妙な面持ちで健太郎は真希を見つめたまま黙ってしまう。
「真希は!? 無事か!?」
慌ただしい足音が近づいてきたと思えばそれは血相を変えて来たのは裕也で、裕也の登場に健太郎が驚いた表情をする。
「なんでお前がここに」
「鞄、忘れたようだから持ってきたんだよ」
裕也の肩には鞄がかけられている。街を歩くときにいつも真希が持っていたものだとアイナにはすぐにわかった。
忘れ物を持って来た裕也が妹の、事故の被害者になる瞬間を目の前にしてしまうなんて、なんという数奇か。
「それより真希は」
「はやく診療所に連れて行かないと」
頼めますか? と健太郎に尋ねられた御者は、はっとした様子でもちろんと応える。
馬車に乗った裕也は真希を抱えながらに彼女の名前を呼び続けた。しっかりしろよ、あとちょっとだからな。悲しそうなその声を同じく馬車に乗っている健太郎とアイナは俯いたまま耳にする。
健太郎がふと真希のことを見て「なあ」と言って手を伸ばす。触れたのは真希の首。瞳を揺らした健太郎は口を小さく開き息を吸ってからその声を響かせた。馬車を止めてくれ、と。
健太郎に頼まれ馬車を動かした御者は素直に止める。そのことに焦ったように裕也はなんで止めるんだよと怒鳴った。
早く真希を診療所に、そう言う裕也に健太郎はもう必要ないと静かに伝える。
「何言ってんだ!」
真希を抱えていなければ裕也は健太郎の胸ぐらを掴んでいただろう。それほどの怒りを感じる雰囲気をまとっている。だというのに健太郎は宥めようとはしない。それどころか低い声で残酷なことを告げた。
「真希は息をしていない」
健太郎も信じたくはなかっただろう。だから辛い顔をしている。それでも事実は事実。
妙に静かだと、息づかいも聞こえないと健太郎が確認のため触れた真希の首の脈は動いていなかった。
その行為をさきほど見た裕也は今になって勘づいたようだ。恐る恐る真希の鼻元を手で覆う。そのあと胸元に耳を当て「うそだ……」と呟いた。
診療所に着く前に真希は息を引き取った。その現実を裕也は嫌でも知る。
「アイナ、真希を生き返らせてくれ」
俯いたまま、苦しそうに裕也は言う。でもそれにはアイナは応えられない。
「魂のない屍を生き返らせたい?」
「……は?」
無機質な声に顔を上げた裕也は呆けた顔をしているが今にも泣きそうだ。それでもアイナは酷なことを告げなければならない。
「蘇生した身体に感情はない、もちろん記憶なんてない。何かをしようとすることもないし、生きるために必要なことも全くしようとしない。生ける屍ーーそれが彼らの相応しい言い表し方。蘇生するのは、真希を侮辱するということ。それでもあなたは蘇生してほしい?」
人を生き返らせることのできる力を持っているアイナは物心ついたときから力を使っていた。一度自分の意思で使った力は周りの者に求められ半端無理やり使わせられていた。それでわかったことがある。
アイナの蘇生の力で生き返った人間はまるで操り人形のようになってしまう。過去の記憶はなく、意思というものもない。まるで別人のように。
一度どこかへ行ってしまった魂は戻らない。
「そうか……わかった、そんなこと言って報酬が欲しいんだな。なんでもやるよ、だから真希を生き返らせてくれ……!」
「裕也、アイナはそんなことを言っているんじゃない。お前のためを思って言っているんだ」
「だったら早く生き返らせてくれよ! 俺のためって言うなら。できるんだろ! それとも嘘だったのか?」
無神経な発言に健太郎は言い返すが裕也は自暴自棄になったように聞かない。矛先が健太郎に向いている。それを見てアイナは口を開く。
「大切なものを失った人には話が通じない、気持ちなんか伝わらない。……いいよ、わかった。そんなに会いたいなら会わせてあげる」
アイナ自身にも真希を生き返らせなければという気持ちがあった。けれどそれは真希を侮辱することで、裕也を苦しめることに繋がるから駄目だと自分に言い聞かせ相手にも納得させようとした。でも裕也は蘇生された真希がどんなふうになるのか事実を知っても大丈夫らしい。生ける屍になっても大丈夫らしい。
真希の心臓に当てたアイナの手元が微かに光る。
その手を健太郎が掴んだ。
「やめろ、アイナ。この力は使うべきではない」
至近距離で見つめてくる健太郎の真剣な目にアイナは力を抜く。その証拠に手元の輝きがなくなっていった。
「どうして止めんだよ! 健太郎!」
「お前のためだ」
勢いよく顔を上げた裕也に焦りが見える。わずかに輝く光が真希を生き返らせる魔法とでも思っていたのだろう。
「俺のためだったら早く真希を」
「アイナがお前に伝えようとしていることがわからないのか? 魂のない真希にとりつかれる心配をして」
「心配ってなんだよ? そんな心配必要ねーよ」
焦点が定まらないかのように瞳を揺らし続ける裕也を見つめ、健太郎はできるだけ落ち着かせるように静かな声音で言う。
「聞いてくれ裕也。生き返ったとしても真希は真希じゃない。ただの屍……人形になるんだ。そうさせるのがお前の望みなのか? 人形として側にいさせるのがお前の考えていることなのか?」
実際、生ける屍を目にしたことがあるわけではない健太郎だが死人を生ける屍にしてしまった本人ーーアイナから直接聞いた話でわかっているつもりだった。その力がおこす問題を。
息を途絶えた人間が生き返るなんてまさに奇跡。そんな奇跡を起こせる力をアイナは持っている。その奇跡は残酷で、大切な人を生き返らせてほしいと望んで来た者たちは生ける屍を目の前にし拒絶した。皆が皆、そうではないのだろう。けれど、生ける屍、そう聞いただけで人ならざる者になる気がした。
良くしてくれた真希を親しく思っているであろうアイナが真希に力を使うことを否定したということは、それが正しい答えだということ。
「そんなの……! そんなこと言ってお前は……俺を救ってくれないんだな」
「そういう話をしているんじゃ……!」
「もう、いいよ」
諦めたように裕也が息を吐く。真希を見ている姿は健太郎と言い合って失望しているようにも見える。
「お前ら、この街から出て行け」
その声は小さくも芯の通ったものだった。言い返すことを許してはくれない。そんな空気に健太郎は立ち尽くしていた。
「トランプのジョーカーってどういう意味?」
歩を進めながらアイナは健太郎を見上げる。
健太郎は足を遅め不思議そうな顔をしながら口を開いた。
まるで何事もなかったかのように。いつもの日常の中の会話のように。
「トランプのジョーカー? 切り札って言われたりするけど」
「真希とやったババ抜きではいらない邪魔な存在だった」
「確かにババ抜きではきてほしくないよな。ゲームによって有益にも有害にもなる、それがジョーカー、か……。それがどうかしたのか?」
アイナは前を向き黙り込む。思い出しているのはマジックショーの出来事。
あのとき帽子だけが後ろに吹き飛んだ。彼から一度引いたカードは頭の上に乗っていたのであろう。目の前を落下したカードはジョーカー。
カードを引くように指定されたのは男性二人に、女性一人とアイナ。男性二人が引いたのはJとKのカードで、女性はQ。そのことから引いたカードと選ばれたことに意味があるような気がした。
だから知りたかった。引いたカードが、自分が、どんな存在なのか。
「こんなことになって、ごめんなさい」
「なんでアイナが謝るんだ。謝るべきは俺の方だよ。祐也のことごめん」
それこそどうして健太郎が謝るの、と理解できないアイナは首を横にふる。
「あのとき、真希は私の帽子を取りにいったの」
健太郎がわずかに息を止めたのがアイナにはわかった。
あのとき、確かにそうだったと思い出しているに違いない。いや、本当は勘付いていてそれでも知らないふりをしていて、今、核心に触れた。
「私がいなければあなたは親友に出て行けなんて言われたりしなかった」
「アイナのせいじゃない」
「私のせい。私がいなければ真希は道路に飛び出さなかった」
「だとしてもそれは真希がそうしようと思ってしたことで」
「私がいなければ真希は死なずにすんだ」
「アイナ、もうやめろ」
健太郎は優しすぎる。
心が乱れたような震えた声で制する健太郎は動揺しているのだろう。
まるで、真希を殺したのは自分と言いたいかのような発言を全て否定した健太郎は冷静にしているかのように見えてそうではなかった。
ごめんなさい、ともう一つ謝る。
最初に謝ったのは、今まで住んでいた街から健太郎を離れさせることになってしまったから。
祐也に『この街から出ていけ』と言われてからすぐ健太郎は身支度をし、こうして外を歩いている。アイナがそれについていくのは決まっていること。
「私の力とは裏腹に私には死神がついている」
「……本当なのか?」
信憑性があるのだろう。生き返らせることのできる力がアイナにはあるから。
「わからない。そうだと思ってる。私の周りにいる人はいつも不幸になるから」
それが事実だったらどんなに良いことか。自分の周りでおこる不幸は自分のせいではないと言い切れるのだ。
黙ってしまった健太郎。どう返してくるのか少し期待していた。考えを覆してくれる健太郎の力強い発言。
でもやっぱりこのことは否定してくれないほうがいいのかもしれない。
ふと頭に触れたものにその思いは消される。
健太郎の手。やさしいぬくもり。自然と視線を合わせることになる。
「君のその力が、君は不幸な場面に引き寄せているのかもしれない」
「でも私の力のせいで傷ついた人いっぱいいるんだよ」
「そのことで傷つくのはアイナもだろ」
「健太郎はいつも、驚くようなこと言うね」
甘やかしではない。本心をただ口にしたかのような瞳。
その瞳が嘘でもかまわない。
自分を肯定してくれる人がいる。それは今までなかったことで、貴重な存在で貴重な出会いで。それを今は大切にしたいと思うアイナであった。