009:ケッコン
「ケッコンしましょう、飾理さん」
ガタガタガタッ。
歩結の不意な告白に、飾理の姿がWebカメラからかき消えた。
「だ、大丈夫ですか?」
這い上がるようにしてカメラ前に戻ってきた飾理は「もも、ももっ問題ない!」と問題ありげに取り繕う。
いったい何を動揺しているのか、その唇は情けないほどぷるぷる震え、歩結はひどく心配になった。
「それにしても、いきなりだな君は」
「そうですか? 割と最初から考えていましたけど」
「なん……だと……」
ひどく衝撃を受けた様子の飾理は、呆然自失の様子で硬直した。
歩結が首を傾げつつ待つこと五秒。 ようやくショックから立ち直ったらしい飾理は胸に手を当て深呼吸。 カメラに顔を向けたと思いきや、今度は両手で頬を隠してまたカメラから外れてしまった。 挙動不審も甚だしい。
困ったのは歩結の方だ。
デスク上の定位置で事態を見守っていたウィルに視線を投げるが、こちらは知らぬ存ぜぬといった様子で横線三本の無表情を表現しているだけ。 ……微妙に口元が笑いかけている印象を受けるのは気のせいだろうか。
ともあれ、今は手短かに“僧侶kazariとのケッコン”を済ませたい。 お互い得られるメリットは非常に大きく、次回のイベントでも役立つことは間違いないのだから。
「飾理さん? 本当に大丈夫ですか?」
数度呼びかけてみると、飾理はようやくカメラ前に戻ってきた。
まだ顔が赤いが、いくぶん落ち着きを取り戻してくれた様子だ。
「だ、だ、大丈夫だ。 そのような目で見られていたとは気付かなかったが……何というか、光栄とだけは言っておこう。 君もやはり男の子ということだな」
「? 何のお話か分かりませんが、いいですか? ケッコン」
「結婚……か」
蟹江 飾理は懊悩する。
自衛官の娘として英才教育を受けていた少女飾理は、小学校の時点で既に周囲から浮いた存在となっていた。
クラスメイトは男女問わず子供っぽく見えてしまい、凍結実験の被験者になるまでついぞ友達と呼べる相手は出来なかったのだ。 無論、恋愛感情など芽生えた試しもない。 デートだって未経験だ。
そんな自分が、結婚。
相手は年下の、少年。
果たして自分はこの現実を受け止め切れるのか、自信がなかった。
対する歩結は待っていた。
見ていて気の毒になるほど瞳に涙を溜め、しきりに双肩をゆすっては唇をもにょもにょとうごめかせる飾理の返答をひたすらに待っていた。
やはり体調が悪いのだろうか。 さすがに声をかけようとしたところで、飾理が意を決したような剣幕で口を開く。
「実はなっ! 私もっ、考えていなくはなかったのだっ!」
「そ、そうですか。 それは良かったです」
「状況が状況だ。 私も、君が相手ならば………………………………いいと、思っているっ!!!」
無駄に長い溜めだった。
「私より、君の方はどうなのだ!? 私で、私で納得できるのか!?」
「納得って、飾理さん以外いませんよ」
「そういうことを聞きたいんじゃない!」
ばんばんとテーブルを叩きながら捲し立ててくる飾理。
過呼吸がひどくやっぱり心配になる。
「なぜ、私なのか! その理由をはっきり答えてくれっ!」
「???」
はっきり答えたつもりだが、納得してくれないようだ。
さっぱり分からなかった歩結は興奮気味の飾理に対し、ゆっくりと言い含めるように、真摯な態度で返答した。
「飾理さん、やっぱり答えは同じです。 ケッコン相手は、あなたしかいません」
「――――ッ!」
飾理は両手で口元を押さえ、ぽろぽろと涙を流し始めた。
歩結はぎょっとして身を仰け反らせ、おろおろと両手を泳がせる。
「あのあのあのっ、飾理さん?」
「ごめん、感極まって……」
「わけがわかりません」
「私はよくわかったよ」
成立しないコミュニケーションに戸惑いを覚えつつも、納得はしてくてくれたようなので歩結はひとまず安心する。
飾理は涙を拭きつつ、何やら幸福そうな笑顔を見せて言葉を続ける。
「だが、すぐにというわけにもいくまい。 色々準備というものがあるだろう」
「準備……そうか、確かにそうですね」
歩結は自身の画面上で“ケッコン”のヘルプを開いて確認する。
条件は問題なさそうだが……ステータスの合計値が開きすぎているとペナルティがあると言う記述が目に留まった。 問題はないと思うが、一応確認しておくべきだろう。
「では先に確認しておきます。 飾理さんのステータスを教えてもらってもいいですか?」
――平時であればここで気付くはずである。
だが生憎、飾理の精神状態は緊急非常事態にあった。
「ステータスっ!? すごい表現をするものだな……君も、やっぱりそういうのを気にする方なのか?」
「? えーと、はい。 とても気になります」
飾理は思い悩むような表情を浮かべた後「しばし待て」と神妙に言い残し、カメラのフレームから外れた。
キャラクターのステータスを教えることに時間を要する理由がまったく分からなかったが、歩結としては待つしかない。
飾理はものの数分で戻ってきた。
なぜだろう、いつものタンクトップが着崩れている。
「では、言うぞ」
「お願いします」
再び長い溜めを挟んだ後、飾理は伝えた。
消え入りそうなほど小さい声で。
「は……は、はちじゅ……」
「80!?」
乙女のステータスを、歩結は驚きの声で遮った。
「すごいですね飾理さん」
「え……そ、そう?」
小動物のように怯えていた表情がだらりとニヤけた。
先ほどまで自信なさげに狭められていた両肩も、心なしか胸を張っているように見える。 本当に理由はまったく不明だが、元気が出たようで何よりだ。
だが、事実だろうか?
剣士sakuraですらまだSTR値は50にも届かない。
彼女のことは信用している歩結だが、見間違えである可能性の方が高いと思った。
「でも、ちょっと不自然なんですよね……見せてもらっていいですか?」
「何てことを言い出すんだ君はっ!!」
突如怒りを露わにする飾理。 なぜか両手で胸を覆うようにしてまたぞろカメラから遠ざかる。
「それに君は一度見ただろう!」
「え? 見てませんよ」
「しらじらしいぞっ!!」
もう何度目になるか分からないほど歩結は首を傾げたが、そういえばとヘルプの記載を思い出した。
「そうか、ごめんなさい。 ケッコンしてからじゃないと見られないんでした」
「既にそこまでのビジョンがっ!?」
「? いけませんか?」
「うっ……いけなくは、ないが……」
さも当然のように問い返され、意気消沈する飾理。
耳まで真っ赤に染め上げたその顔は、ゆでだこの方がまだ顔色が良い。
彼女の脳内で繰り広げられている妄想など知ったことではない歩結は、ここに来てようやく現実感溢れる言葉を口にした。
「それにしても僧侶でSTR80なんて、もう拳闘士へ転職できるかもしれませんね」
「え」
言葉の意味を吟味すること十五秒。
実に年頃の少女らしい悲鳴とともに、飾理の羞恥心が爆裂した。