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008:彼女の日常

 蟹江 飾理の朝は早い。

 太陽が顔を出す前からアラームもなしに目を覚まし、簡易ベッドから跳ね起きたら真っ先に眼前の鉄扉を開け放つ。


 眼下に広がるは自衛隊松戸駐屯地の基地施設。

 彼女が就寝に利用しているのは、その監視塔の一角だ。


 本日快晴ながらもこの時間は肌を刺すような寒さだが、飾理にとっては少々涼やかに感じる程度。 風にたなびく黒髪を手早くサイドにまとめたら、首に提げた双眼鏡を眼光鋭く覗き込む。 東西南北。 基地周辺のバリケード状況を目視で確認。


「異常なし!」


 起床後二分で指差し確認までを終え、初めて彼女の一日は始まるのだ。


 ID認証が必要ない旧式ベレッタをカーゴパンツのベルトに突っ込み、自身で組み上げた足場の端に強化ワイヤーのフックを固定。 流れるような所作で監視塔を滑り降りる。


 そのまま駆け足で実験施設に移動。

 寮舎然とした簡素な二階建てだが、これはマスコミ対策のカモフラージュ。 地下には多数の実験施設が広がっており、倒壊していた他施設と違って堅牢な造りだ。


 飾理は玄関のドアしっかり閉じると、にんまり笑って全裸になった。


 眼前には、本日も気持ちよさそうな湯気を浮かせる木造の湯船。

 下駄箱と隣接するその構図は異様でしかなかったが、風呂好きの飾理にとっては理想的な建築思想。 ちなみに風呂は地下施設にも三か所あり、常に適温で沸かしてある。 この二年で施設は改造に改造を重ねられ、飾理の城となっていた。


 誰に憚ることもなく白い肌を晒け出し、ベレッタだけは握ったままで肩までしっかり湯に浸かる。


「ふぅ~~~~~~~」


 生きていることを実感できる瞬間に、幸福の溜め息が漏れた。

 最高だ。 わざわざ木材から厳選して組み立上げた甲斐がある。

 飾理は大きく伸びをして、伸ばした足先でぱちゃぱちゃと湯を遊ばせた。

 リラックスした至福の時の中、考えるのは今後のことだ。


 佐倉 歩結 の話では、次にあのゲームのイベントが発生するのは小岩のゲームショップらしい。 今度のイベントは要求レベルが高いとの情報だ。 数日はどっぷりと戦士sakura、僧侶kazariを育成することになるだろう。 kazariの容姿は気に入っているので、少し楽しみではある。


 佐倉 歩結――彼についても考える。


 殺人ウィルスが人間を殺し尽くしたこの終末世界で、自分を孤独無縁の絶望から救ってくれた少年。 まるで少女のような顔立ちをしている彼だが、玲博士の息子さんと考えれば納得だ。 とても美しい人だったし、今にして思えば目元に面影がある。

 そして何より、自分が諦めかけていた生存者探索に希望を見出してくれたことには感謝してもしきれない。 今後も可能な限り、彼の力になりたいと素直に思う。


 ……考えてみると、彼とは情報交換ばかりでまだあまり会話を重ねていない。

 これまでずっと人恋しかったせいだろうか、彼のことをもっと知りたいという欲求が日に日に強まっている気がする。


 例えばそう、友人とはどんなことを話すのだろう?

 休日の時間の過ごし方は?

 好きな食べ物は?

 将来の夢を聞いたらどんな答えが出てくるのだろう?


 ああ、これではまるで恋する乙女ではないか。

 飾理は内心で苦笑する。



 …………が、しかし、万が一。


 こんなことを本気で望んではいないが、もし万が一、特区に生存者がいなかったと仮定しよう。 その場合、この世界には正真正銘、彼と自分が最後の人類ということにならないだろうか?


 もしそうなれば、いわば二人はアダムとイブ。

 人類の未来を考えるとするならば、結ばれる運命に――


「早計だっ!」


 一喝と同時に飾理は湯舟から勢いよく立ち上がった。

 頭が火照ってクラクラする。 どうやら少しのぼせてしまったらしい。 きっとそうだ。 そうに違いないのだ!






 在庫過多の熊肉サンドで腹を満たし、地下に降りて共有PCのデスクにつく。

 【オーバード・ノア】を起動して首都の花屋前に降り立つと、剣士sakuraはいつものように待ってくれていた。


「おはようございます、飾理さん」

「ぉ、お、おはよぅ……」


 ビデオチャットで彼の顔を見た瞬間、飾理は自身の心が面白いほど動揺するのを自覚した。 自分がどんな表情をしているのか分からなくなり、正体不明の汗が背筋を伝う。


 まずい。 いけない。 これではダメだ。

 いつも真面目な彼に申し訳ないではないか。

 ぐぐっと腹に力を込めて、不甲斐ない己の心を強く律する。


「飾理さん?」

「すまん、大丈夫だ。 今日からレベリングだったな、とことん付き合うぞ」

「はい。 それもあるんですが……先に済ませておきたいことがあるんです」

「分かった。 私に出来ることなら何でもするぞ」


 ようやく調子が戻ってきた。

 自分の方が年上なのだから、余裕を見せてやらねばならない。


「結婚しましょう、飾理さん」


 余裕はあっさりと崩壊し、飾理は卒倒しかけたのだった。


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