006:人類殲滅に関する考察
翌日は朝から雨だった。
人体に影響なしとの検査結果を得られたことは喜ばしいが、問題は雨天による気温の変化だ。 昨日の日中と比べて十℃近くも低下しており、屋外活動は諦めるしかなかった。 浅草へのルート構築が進んでいない状況でこのロスは大きい。
イベント期間自体も長くはないので、ある程度強行軍は覚悟しなければならないだろう。
日課の施設状態チェックを終え、今朝はカエルサンドを食みながら地図とにらめっこをしていた歩結は、不意にデスクに点灯した通知に気が付いた。
kazari:Online
飾理とはフレンド登録したので、このようにアクティビティーの通知を受けることが出来るようになっているのだ。 あれからヘルプにも目を通し直したので、コミュニケーション機能についてはよく把握していた。
「彼女との情報交換も大事ですよ、歩結」
「分かってる。 まだ全然情報交換してないし、ウィルも紹介してなかったね」
「私の紹介は後回しで構いません。 なるべくコミュニケーションを取ってください。 私には彼女を見極める義務がありますので!」
なぜかキリッとした表情を作って気合を見せるウィル。 そこまで警戒する必要はないと思った歩結だが、有り難くもあったので口は挟まなかった。
浅草問題はいったん棚上げし、『オーバード・ノア』を起動。 ログアウト時と同じく花屋の前にちょこんと正座している僧侶kazariへ、ビデオチャットの招待を送信。
その直後。
「うわぁっ!?」
目に飛び込んできた映像の衝撃に、彼にしては珍しく素っ頓狂な声を上げて仰け反った。
「おはよう、サクラ」
飾理の方は上機嫌な声で笑顔を向けてきた。
カメラに映り込んだその上半身は、なんと全裸だ。 首からタオルを引っ掛けているため見てはならない部位は辛うじて隠れているが、中学一年生には刺激が強すぎる姿だった。
「結局あまり眠れなかったよ。 寝覚めが悪かったので風呂に浸かっていたんだ」
「ちょっ、なっ……!」
「さすがにはしたなかったか? 早く君と話がしたくてな」
朗らかな笑みを見せながらサイドに髪を結わえる飾理。 彼女の首や肩が揺れるたび、タオルが微妙に角度を変える。 非常に危険だ。
歩結の方はウインドウを閉じようとするのだが、指先が震えてまともに操作が出来ない。
「そんなに恥ずかしがることはないと思うが……ひょっとして君は、育ちが良かったりするのか?」
「は、はだっ……はだっ!」
「肌? そういえば気になっていたのだが、君の頬の医療テープな。 もっとしっかり貼りつけておいた方がいいと思うぞ。 綺麗な顔に傷が残ったら大変だ」
歩結は状況を理解した。
だからといって脳の熱は引かず、なかなかろれつが回らない。
「私を見てみろ。 野犬と格闘してもワニに喰われかけても傷は残っていない。 日本の医療技術は素晴らしいな」
「いっ、いいですから! それより、はやくっ、服を着てくださいっ!」
もはや操作を諦め、モニターから首ごとそっぽを向いてい声を張り上げる歩結。
モニター向こうの飾理は首を傾げながらも「わかったわかった」と了承した。
「そら、着たぞ」
「まったくもう……」
「嘘だ」
「わああああああああああっ!!」
歩結はモニター前から逃げ出した。
目には焼き付いてしまったが。
一体何が楽しいのか、飾理のテンション高めな笑い声がベース内に木霊する。
事態を静観していたウィルだったが、「これはさすがにまずいですね」とAIらしからぬ嘆息顔を表示してモニター前へと姿を見せた。
突如出現したウサ耳ユニットに対し、飾理は訝しげな表情を作る。
「ん? ロボット?」
「はじめまして、ミス飾理。 私は生活支援型AI、通称『ウィル』です」
ぺこりと耳でお辞儀する堂に入った自己紹介に、飾理は「あっ!」と大声を上げて目を見開く。
「玲博士から聞いたことがある! 君が『未来』に搭載予定という特殊AIか」
「はい。 佐倉 玲 博士は私の生みの親です」
「やっぱり。 凍結実験も博士のものだからな、関連施設に保管されていたのか」
「込み入った話はこれからじっくりと情報交換するとしまして、まずは貴女の勘違いを訂正しなければなりません」
「さすが玲博士の研究だ。 まるで人間と話しているよう……ん? 訂正?」
形良い眉をひそめる飾理に対し、ウィルはデジタルディスプレイに二つの名前を表示した。
佐倉 玲
佐倉 歩結
「ああ、博士の息子さんだな。 非常に優秀と聞いている」
「本人が聞いたら喜びますね」
「なにっ!? 彼も生存しているのか!」
「たった今会話していたじゃありませんか」
「今? 話を? まさか君が息子だと!? 人類はついに意識の機械化に成功していたのか!?」
どうやら本気で驚いているようだった。
ウィルの経験からしてもここまで察しの悪い人間は珍しい。
「ミス飾理、よーーーく聞いてください。 貴女の、おっぱい見て、真っ赤になって、逃げ出した、とっても可愛らしい、“少年”が、佐倉 歩結 です」
「んーーー?」
言葉の意味を吟味すること五秒。
実に年頃の少女らしい悲鳴とともに、飾理の羞恥心が爆発した。
二時間後。
歩結と飾理はようやくまともに情報交換に漕ぎ着けていた。 先ほどの事件については、お互い暗黙の了解として「なかったこと」になっている。 ウィルがひっそりと「人間の脳って便利ですよね」と感慨深い呟きを漏らしていたが、二人の耳には入らなかったようだ。
出せる情報としては歩結の方が少ない。
彼は凍結処理から覚醒してまだ一ヶ月程度である。 この終末世界について把握しているのは、人間は死亡していること、一部インフラが生きていること、狂暴化した獣が跋扈していることくらいなものだった。
他にも凍結処理されている生存者がいることに見当をつけて活動していることは、既に話した通りだ。
対して飾理は既に二年、この世界で生存してきたと言う。
歩結のベースである第二宇宙開発研究所とは環境が大きく異なり、松戸の駐屯地施設で凍結実験されていたのは武器に弾薬、車両や燃料などが中心だった。 覚醒当時で十四歳だった彼女は、その環境の中たくましく生き残った。
銃弾で獣を狩り、畑を作って野菜を栽培したまではいいが、巨大熊の群れによる報復で施設が包囲された時はさすがに死を覚悟したそうだ。
「よ、よく生き残れましたね……」
「負けず嫌いの性格が幸いしたようだ。 あらん限りの武器弾薬をつぎ込んで全滅させてやったよ。 お陰様で狙撃の腕ならこのまま自衛隊に就職できるくらい上がったと思うぞ」
冗談めかして笑う飾理に、歩結は圧倒されてしまう。 パワフルな人だ。
だが、笑顔で答えていたのはそこまで。
次に彼女が語ったのは、この終末世界の原因についての話だった。
「あまり高いアクセス権はなかったが、いくつかの資料やメモ書きなんかが残っていてな。 人間だけを殺すウィルスについての記述があった」
漠然とした情報しか持っていない歩結は、ごくりと喉を鳴らして彼女の話に聞き入る。
「これほど短期間で世界規模のパンデミックを引き起こすことは、出来ないことではないらしい。 私が最もありそうな線だと思ったのは、事前にステルスウィルスが感染拡大していたという見解だな」
「ステルス、ウィルス?」
この時代、医療の発達により病気に関して人の持つ知識は多くない。
歩結も例に漏れず、聞き慣れない単語に首を傾げた。
飾理は「私の仮説も多分に入る」と前置いた上で、説明を始める。
「明確な悪意を持った微生物学者がいたとする。 彼は表では権威のある医学者を装い、最新の医療薬と称して症状の出ない、第一のウィルスを世界中の人間に拡散した。 有用な情報は一瞬で共有される世の中だ。 人類の大半に同じ薬を処方することは、難しいかもしれないが不可能ではない。 時間をかけてお膳立てを整えれば、次の手はそのウィルスを活性化させる第二のウィルス、世界同時散布だ」
飾理はそこでぱしん、と拳で手の平を打ちつけた。
声には険が篭っている。
「第二のウィルスをトリガーに、感染者の中で眠っていた第一のウィルスが急速に活性化する。 それが一呼吸で昏倒し、動けなくなるような症状であったなら、まともな情報が共有されるよりも先に人類を殲滅せしめる……ことも、できるかも知れない」
喉が渇くのを感じた。 誰が、どんな目的で、そのような狂気に及んだと言うのか。 歩結には想像もつかない。
「すまない、妙な話をしてしまった。 ずっと考えていて、誰かに聞いて欲しかったのかもしれない」
「いえ……いずれは調査しなければならないことだと、思います」
「私も同じ意見だが、今はもっと前向きな話をすべきだった。 私は、君が目的として掲げる凍結処理による生存者の存在に、希望を持っている。 こちらからできることならぜひ協力させて欲しい」
「ありがとうございます……心強いです、本当に」
歩結の答えに、にっと白い歯を見せて豪快に笑う飾理。
武器らしい武器を持たない歩結にはこれ以上ない味方だ。
差し当たって、彼は今後のスケジュールについての情報を共有した。
「浅草のゲームショップ?」
「はい。 ボス討伐イベントの開催は明日なので、かなり急がなくちゃならないんです」
「そのイベントは、私が現地に行っても参加可能か?」
「それは、まあ可能ですが……」
フレンドであればイベントに招待することは可能だ。
告知の概要に記載があった。
「それならば話が早いな。 任せてもらおう」
「え……? 任せてって、飾理さんの拠点は松戸ですよね? 車両が使えるとか?」
「残念ながらまともな道がないので使えないが、それでも問題はない。 この二年で培った体力と技術の成果を見せられそうだな」
飾理は再び豪快に笑ったのだった。