004:被験者
明けて翌日。
歩結は早々と日課を切り上げ、朝からモニターにかじりついていた。
昨晩はほとんど眠れず、寝不足気味の目はやや虚ろである。
露店の売り切れに気付いてから真っ先に行ったのは全体チャットだ。 画面内だけではなく、サーバー全体にアナウンスが流れる『シャウト』のコマンドで、ゴミアイテムを買い占めた何者かに呼びかけた。
一切の応答はなかった。
首都の隅々まで見て回り、周辺マップへも足を伸ばしたがすべて空振り。 ログアウトしたものと諦めるのにはかなりの時間を要したものだ。
「参ったな……チャットログくらい残してくれればいいのに……。 ウィル、サーバーのアクセスログとかって、見られない?」
「そんな権限があればもっと上手く立ち回れてますよ」
ウィルがやれやれのデジタル顔文字で応答した。
『オーバード・ノア』のサーバーデータは父の車から発見したガラスメディアに保存されていたものだ。 緊急リカバリー用だったからこそ構築に成功したが、内部のデータについては高度なセキュリティがかかっており、アクセスすることが出来ない。
「他に何か、手がかりになるようなデータとか……」
「歩結、少し落ち着きましょう。 イベントスケジュール表くらいしかなかったのは歩結も確認したはずです。 他は全部『千年先の未来に遺したい二〇〇〇年代アニメ』だったじゃないですか」
歩結は整った顔に思い切り渋面を作った。
時間があれば鑑賞しようと思っていたが、今ばかりは削除ボタンに手が伸びそうになる。
ちなみに容量は300TBほどあり、全て見るのに何年かかるか分からない。
「とにかく、探すしかないか」
歩結は気を取り直してモニターに向き直った。
初めて遭遇した生存者だ。 なるべく早くコンタクトを取り、協力体制を築きたい。 この終末世界の情報も多く入手できるはずだ。 そう思うと否が応にも気が逸る。
相手がログインしていることを祈りつつ、歩結は近隣の集落や初心者向けダンジョンも視野に入れてのローラー作戦に入った。 もちろん、現在位置と目的地をこまめにシャウトするのは忘れない。
アクティブな敵もぶっちぎってマップ移動を繰り返すという、本来ならばさぞ迷惑であろう行為を繰り返してはや二時間。
訪れた先は既に踏破三つ目となる初心者向けダンジョン『聖者の墓』だ。 不死属性の敵が多い三層構造で、ある程度入り組んだ地形で死角も多い。 いかにも「戦い慣れてください」といったデザインと言えるダンジョンである。
「『鉄の祠』や『元素の塔』もそうでしたが、主都周辺のダンジョンは特定の職業が有利な作りになっているんですね」
「そうみたいだね。 ここは僧侶系キャラクターの狩場なのかも」
ゲームに対する理解を深めながらこのダンジョンも踏破していく。
ゾンビやガイコツが徒党を組んで襲ってくるが、この道中でレベル18に上がった剣士sakuraの敵ではない。 回復POTを使う必要すらなく、目に余ったらなぎ倒す。
三層まで降りて来ると、目の前に広がるのは無数の墓と死体が転がる陰惨な光景。 おどろおどろしいBGMも深みを増してなかなかの雰囲気だ。
「マップの作り込みがすごいですね」
「父さんはホラーものも好きだったからね」
仄暗い道を進んでいくと、倒れ伏して動かなかった死体が突然襲い掛かってきた。
一瞬だけビクッとして手を止める。 ウィルがニヤリとした顔を作るが、無視した。 タネさえ分かってしまえば驚くことはない。
村人のような死体はザコ。 戦士姿の死体はスキルも使ってきてなかなか強敵なので近づかないように注意する。 道のど真ん中に転がっているのはやたら目立つ僧侶の死体で、見るからに厄介そうだ。
「歩結、それプレイヤーでは?」
「はあ?」
思わず間抜けな声で問い返した。
道端に横たわる僧侶と思しき死体。 カーソルを合わせると空っぽのHPバーが表示され、確かに接近しても襲ってこなかった。
普通ならすぐに判別がつくものだろうが、歩結にとっては初めて目にする他のプレイヤーキャラだ。 敵キャラと見分けがつかなくても無理はない。
表示されているキャラクター名は『kazari』。 明らかにプレイヤーキャラだ。
「えっと……どうしてこんな所で死んでるの、この人」
発見の喜びよりも戸惑いの方が勝り、歩結は首を傾げた。
ウィルも回答を拒否したようにボディを振る。
『あの、もしもし?』
チャットで問いかけるも、反応はない。
いわゆる“寝落ち”かと疑いもしたが、このまま待っていても仕方がない。 歩結はアイテム欄から「ユグドラシルの葉」を選択して僧侶kazari に使用した。 序盤としてはかなり貴重な復活アイテムだが、使う相手がおらず腐っていたのだ。
どこからか天使が舞い降りて祝福を与えると、僧侶キャラがその場ですっくと立ち上がる。
黒髪ツインテールの女の子キャラだ。 モコモコとした白い服装にメイスと盾を装備している。
『あ』
『あーあー、あいうえお』
『おお! 話せるぞ!』
カクカクと左右に動き、初心者丸出しの不器用さで喜びを表現するkazari。
そのせいで付近のモブを引っかけ、ガイコツ弓兵の一矢で即死した。
『何してるんですかあなたは!』
再び反応がなくなった僧侶kazariを見るに、どうやらこのゲームでは死者はチャットが通じなくなるようだ。 「まさに、死人に口なしですね!」とドヤ顔を向けてくるウィルには見向きもせず、歩結は周辺のザコ敵を一掃した。
『帰還アイテムを渡しますから、生き返ったら下手に動かず、すぐに使ってください』
チャットでそれだけ流し、再び復活アイテムを使用してやる。
さすがに懲りたのか、kazariは即座に帰還アイテムを使用。 その場から姿を消した。
主都へと帰還した剣士と僧侶はNPCが開く花屋の前に並んで腰かけた。
聞きたいことは山ほどあるが、さすがにゲーム内チャットのままというのは不便だ。
『直接話した方がいいと思うのですが、kazariさんは通信端末はお持ちですか?』
『すまない。 通信端末は所有していない』
想定外の回答に、歩結は仮想キーボードから手を浮かせて固まってしまった。
通信環境を持っていない? 故意に持たない人ならいるが、所有していない人間に歩結は出会ったことがない。
『ちょっと待ってください。 じゃああなたはどうやってこのゲームにアクセスしてるんですか?』
『このゲームは基地の共有端末に保存されていた。 私は玲博士から頂いたチケットを使用してログインしている』
突然出てきた母の名前に息を呑む。
『先に自己紹介しておこう。 私の名前は蟹江 飾理。 陸上自衛隊松戸駐屯地で行われていた、長期凍結実験の被験者だ』