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魔王様と初恋の君③

 初めて庭で会った日以降、鴉は時折、ベアトリーチェの前に姿を現すようになった。


 鴉がやってくるのは、決まってベアトリーチェが苛められて落ち込んでいる時だ。

 鴉は今日こそやり返せと言って怒ったり、時には相手をつつき回しながら追い払ってしまったこともあった。

 ベアトリーチェは慌てて鴉を捕まえると、そんなことをしてはだめだと言い聞かせた。

 不思議なことに鴉はベアトリーチェの腕の中に抱かれると、剥製のように固まってしまい一言も発しなくなった。


 たしかに少し攻撃的なところがある。でもベアトリーチェはこの鴉のことをすっかり好きになっていた。

 たった一人の友達ができたとさえ思っている。

 相手は人間ではないけれど、そんなこと問題じゃない。


(お友達が人間じゃなければいけないなんて決まりはないわけだし)


 言葉を交わすこともできないけれど、それも問題じゃない。

 鴉はボディランゲージの達人だし。

 ベアトリーチェの言いたいことも理解してくれるのだ。


(きっとものすごく頭のいい鴉なのね)


 鴉は魔女の仲間だと聞いたことがあるので、もしかしたら何か特別な魔法を使って、人間の言葉を理解しているのかもしれなかった。

 けれどたとえこの鳥がどんな存在であっても、ベアトリーチェの孤独な心に確かな温かさを与えてくれたのだった。


 ◇◇◇


「本当にあの鴉があなたなの……?」


 いま目の前にいる魔王があの鴉だなんて、とても信じられない。

 だが魔王は「証明してやる」と言って、ベアトリーチェの前で鴉に変身してみせた。


「……!」


 赤い瞳と艶やかな羽を持つ鴉が目の前に現れた。


(あのときの鴉だわ……!)


 すぐに元の姿に戻ってしまったけれど、さすがにもう疑えない。


「これで信じたか?」


 驚きながらも頷き返す。


「おまえはあの頃から悪女とは程遠い性格をしていたな」


 何かを思い出すように笑った魔王の表情がどこまでも甘くて、ベアトリーチェはどきりとした。


「そ、そうよ。意地悪そうな外見をしてるだけで、昔も今も私はただの意気地なしよ」

「ほお。心が優しく、自分を苛めたものですら傷つけることを拒む者のことを人間の間では『意気地なし』と呼ぶのか?」

「そ、それは……」


 魔王の言葉が優しく響く。

 まるで心についた古い傷跡をそっと撫でられているようで、胸の鼓動が収まらない。


(それになぜそんな瞳で私のことを見つめるの……)


 穏やかだけれど情熱を秘めたような眼差しに捕えられ、ベアトリーチェは胸が苦しくなった。


「はじめは気弱なおまえのことを、放っておけないと思った。それがいつの間にか、おまえに会える日を待ち焦がれるようになっていた。暴れる私を止めるときの困ったような表情も、寂しげな横顔も、鴉相手に一生懸命説教をしてくるところも、おまえのすべてが私の心を掴んで放さなかったのだ」

「……!」


(そ、そんな……)


 まるで愛の言葉だ。

 魔王の顔を直視できない。

 どんどん早くなる鼓動に動揺しながら、ベアトリーチェは顔を俯かせた。


「……でも、どうして鴉のまま正体を明かさなかったの?」


 不自然な話題の逸らし方になってしまったかもしれない。

 魔王はすべて分かっているかのように苦笑しつつ、ベアトリーチェに付き合ってくれた。


「人間は魔族を嫌っているだろう? それに例の煩わしい決まりもある」


 確かに魔王の言う通りだ。

 魔族が人間の領土に立ち入ったとわかったら大騒ぎになる。

 それに、彼の目を見れば、ベアトリーチェだって一目で魔族と分かっただろう。

 燃えるような赤い瞳は、高貴な魔族の特徴だ。


「あの頃の私には勇気がなかった。情けないことに、真実の姿を晒しておまえに拒絶されることを恐れていたのだ」

「拒絶……」


 人間は魔族を恐れている。

 魔王はきっとそのことを言っているのだろう。


「私はすぐに自分の意気地のなさを死ぬほど後悔することになった。――突然、お前の前にあの王子が現れたのだ。おまえは王子と婚約し、その証として指輪を受け取った。王家に代々伝わる婚約指輪には護りの呪いが施されていて、魔族である私はおまえに一切近づけなくなった」


(婚約指輪にそんな効果が……)


 たしかにベアトリーチェも聞いたことがあった。

 王家に代々伝わるような装飾具は、呪いが施された聖具であることが多いという。


「お前が幸せになれるなら、それでいいと思った。同じ人間の男と結ばれたほうがよほど幸福になれるはずだとも思った」


 魔王は切なそうに顔を歪めて、私の手をぎゅっと握り直した。


「しかしおまえを祝福しようと決めた私の元に、知らせが届いたのだ。――私はそれによって、あの王子の不貞を知った」


 その時のことが過って、胸がずきりと痛む。

 もうすべて終わったこと、そんなふうに簡単に割り切れたらどんなに楽だっただろう。


「その件を調べた私は、奴らがおまえを糾弾し、婚約破棄しようとしている事実を突き止めた。――あれほどまでに怒りを覚えたのは初めてだ。奴らに対してだけではない。大切な者の幸福を、他の男に託そうとした自分のことも許せなかった。この先、おまえを護るためならば、私はどんなことでもしよう。もう二度とあのような過ちはおかさぬ」

「……だからあなたは禁を破ってまで、あの場に乗り込んでくれたの……?」

「そうだ。おまえが指輪を外す瞬間をずっと待っていた」


 魔王の言葉を聞いて、ベアトリーチェは真っ赤になった。


「私がどれだけおまえを想っているか、少しは伝わっただろうか?」

「……!」


 ストレートに伝えられ、今度は息が止まりそうになった。

 心が全然ついていかない。


 あの場から助け出してくれた魔王に、ベアトリーチェは心から感謝していた。

 そんな相手に真摯なまなざしで想いを伝えられたのだ。

 冷静でいられるはずもない。


(……この人は嘘をついていないような気がする。でも……)


 普通の少女ならこんな美形に愛を告白されれば舞い上がってしまっただろう。

 けれど魔王の好意をすんなり受け入れるには、ベアトリーチェの心は傷つきすぎていた。

 さんざんロレンツォ王子に裏切られてきたせいで、想いを伝えられても身構えてしまうのだ。


「あの……あなたが探していたのは悪女のはずだったのでは……?」


 そう尋ねると魔王はふっと笑った。

「以前の私は王という立場から、政治的な理由で悪女を求めていた。だがもうそんな打算など捨てた。おまえに惹かれてやまない心を誤魔化しようがないからな。私は元来、強欲なのだ。欲しいものを諦めるなど性にあっていない」


 魔王は迷いのない目でそう告げてくる。


「己の腹はとうに決まっている。もう私の前に立ちはだかる障害は、おまえの気持ちだけだ」

「わ、私の……?」


 心の奥がむず痒いような感覚がして、逃げ出したくなってくる。

 顔が火照るように熱い。


 魔王は握っていたベアトの手を口元に近づけると、ベアトの瞳をじっと見つめたままキスを落とした。

 決して強い力で掴まれているわけではないのに、手を奪い返すことができない。


「私はおまえを諦める気はない。覚悟しておけ、ベアトリーチェ。必ずおまえを口説き落としてみせる」


 うるさいくらいに胸が高鳴っている。

 ただただ恥ずかしかった。

 これが本気の告白だということは、初心なベアトリーチェでも理解できた。

 だからこそ尚更どうしたらいいのかわからない。

 ベアトは言葉を失ってしまい、ただ真っ赤な顔で魔王を見つめ返すことしかできなった。

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