魔王様と悪女
魔王から運命の人などと言われたベアトリーチェは、混乱のあまり石像のように固まってしまった。
「で、でも……私たち会ったこともないのに……」
「いや。私とおまえは以前に何度も会っている。もっとも私はそのとき、かりそめの姿をしていたがな」
「かりそめ?」
ベアトリーチェは焦りながら記憶を辿った。
(どういうこと? 変装でもしていたのかしら……)
「私たち、いつお会いしたんですか?」
困った。
そう言われてもまったく覚えていないのだ。
でももし魔王が変装していたとしても、完全に忘れているなんて失礼すぎる。
(おかしいわ……。こんな美形と出会っていたなら、忘れないと思うのだけれど……)
やっぱりどうしても思い出せなかった。
ベアトリーチェが眉根を寄せて考え込んでいると――。
「おまえが忘れていても、俺は忘れない。私はおまえに見惚れて以来、心を奪われたままなのだからな」
魔王は眩しいものでもみるように目を細めて、甘い眼差しを向けてきた。
「『見惚れて』って……。まさかそんな……こんな顔に?」
信じられないというように、ベアトリーチェが自分の顔を指さす。
その言葉が引き金となって、過去の悲しい思い出が蘇ってきた。
『あら。あなたって、物語に出てくる悪役みたいな顔をしていらっしゃるのねぇ』
最初に私を『悪者顔』と言ったのは、のちに兄の婚約者となる少女だった。
私は五歳、彼女は七歳。
私とは正反対のくりくりした愛らしい瞳で、人相の悪い私の顔をじっくり眺めたあと、彼女は無邪気な声でそう言い放った。
『すごく意地悪そう。私のこと、苛めちゃいやよ?」
その後もいろんな人が、私の顔に似たような評価を下した。
少したれた瞳は、人を見下しいてるように見えるらしい。
細く鼻筋が通っているせいで、冷酷な印象を与えると言われた。
薄い唇は、薄情者の証。
艶のある黒髪は、不吉に感じられるそうだ。
私はいっとき、鏡ばかりを見ていた。
正面から、斜めから、下から覗き込むように。
(うーん……。だめ……。全滅だわ……)
どの角度から覗いても、同じ結果。
平然と人を裏切りそうな冷淡な顔をした少女が、私を見つめ返してくる。
私が笑うと、何を企んでるのか白状しなさいと義母は詰め寄った。
遊びに行ったお屋敷でアクセサリーがなくなった時は、まず私が疑われた。
とにかく自分が人より疑われやすいことはわかっていたので、信じてもらえるようにと、人一倍善き者に見えるよう努めた。
常に笑顔を絶やさず、明るく、朗らかに。自分から進んで、人の輪の中に入っていく。
その結果、『見るからに意地悪そうな女』という評判は、『善人面をして人に近づきペロッと餌食にする、とんでもない悪女』というものに書き換えられた。
――しかし今。
さんざん貶されてきたベアトリーチェの悪女顔を見つめる魔王の目は、とても優しい。
「こんな顔とはどういう意味だ?」
「私の顔……目は冷たそうだし、口元は意地が悪そうでしょう?」
「たぐいまれなる美貌なのに不満があるのか?」
「な……」
あまりのことに絶句してしまう。
魔王はさらに続けた。
「人を一瞬で震え上がらせるような冷やかな目元がとても魅力的だ。その形のいい薄い唇から残酷な言葉が紡がれるところを早く見てみたい」
(これ……褒められてるの……?)
「おまえほど美しい女を私は見たことがない」
どうやらやはり褒められているらしい。
(私のこんな顔を気に入るなんて……)
うれしいというより、正気を疑う。
だって今までさんざんこの顔のせいで、人に嫌われてきたのだ。
そんなふうに考えていたからか、ベアトリーチェは無意識に疑いの目を魔王に向けてしまったようだ。
魔王は片眉を上げて、ふっと表情を崩した。
そうすると彼の怜悧な美貌に、屈託のなさが混じる。
「そんなに私の言葉が信じられないのか? 何も私の好みが特殊なわけではない。魔族はおまえのような顔立ちを好む。すぐに絶世の美女として噂になるだろう」
「……人間とは全然、美の基準が異なるんですね」
「そうなのか?」
「はい。意地悪な顔が魅力的だなんて信じられません……」
「目元は大きいよりも、涼しげに吊っている方が美しい。高い鼻も、結んだくちびるも、表情が冷たそうであればあるほど優れているのだ」
「な、なるほど……」
まだ不思議だけれど、魔族が変わった価値観を持つということはわかった。
「お前の内面はその麗しい美貌以上に魅力的だと、私はよく知っている」
褒め言葉にいちいち動揺していたら心臓が持たないので、とにかく今は無心で受け止める。
それよりもだ。
(ええっと……つまり魔王は私が見た目どおりの悪女キャラだと思ってるってこと?)
そう勘違いをしたからこそ、魔王が良くしてくれているのだとも推測できた。
じゃあもしそれが勘違いだと気づかれてしまったら――。
さあっと血の気が引いていく。
(まずいわ……)
悪女っぽいという理由で連れてこられたのなら、そうじゃないとわかった途端、返品される可能性が高い。
返される場所などもうないのに。
「だが誤解しないで欲しい。たしかに私は、隣国に絶世の悪女がいるという噂をきっかけにおまえを知った。とある事情でそういう相手を私は探していたのだ。しかし私がおまえを想うようになったのはそのような理由からではなくて――」
「……」
「ベアトリーチェ? 聞いているか?」
ハッとして顔を上げる。
追い出されたらどうしようという考えに夢中で、ベアトリーチェは魔王の話をまったく聞いていなかった。
「何を考え込んでいる? 私にもおまえの心の中を見せてくれないか」
「……! それは……だ、だめです……」
消え入りそうな声でベアトリーチェが答える。
(だって私の中身はいたって普通だもの……)
悪女とは程遠い。
(ああ、なんてこと……! 魔王城を追い出されたら路頭に迷うことになるわ……)
内心ではものすごく困り果てている。
でもきっと外から見た印象は異なるだろう。
いつもそうだから。
ベアトリーチェの感情は表に現れずらい。
可愛げのない平然とした顔になっている自分が予想できた。
心の中で「本当に困った!!」と大騒ぎしていても。
(うーん、どうしたらいいの!? これってもう悪女のふりをするしかないんじゃ……)
少なくともその方法で、魔王が悪女を求めているかどうかはわかる。
(ちょっと試してみましょう)
ベアトリーチェはわざと悪女ぽいことをいって、魔王の反応を見てみることにした。
(悪女っぽい言葉……なにか、なんでもいいから……)
「先ほどのことですが……! あ、あの大広間にいた人間は、み、皆殺しにしてしまえばよかったのですわ」
(うわー自分で言っていても引いてしまう……!)
皆殺し――なんて恐ろしい言葉だろう!
(魔王はどう思ったかしら……)
おそるおそる魔王を見上げると、彼は目を丸くした後、くすりと笑った。
「どうしたんだ突然。そんな可愛らしいことを言って」
(可愛らしい……!? 今の極悪人セリフが……!?)
やっぱり魔王の好みはこういう女性らしい。
理解した瞬間、ベアトリーチェはますます焦った。
一文無しだし、今追い出されたら終わりだ。
(……こうなったら悪女の演技を続けるしかないのでは……)
騙すことは気が引ける。
でもせめて働き口が見つかるまでは、この城にいさせてほしい。
ベアトリーチェには本当に行くところがないのだ。
深刻な顔で悩むベアトリーチェを、魔王はそっと見守っている。
「――ベアトリーチェ。もしかして何か勘違いをしていないか? 早とちりをしてしまうおまえも愛らしいが」
魔王は楽しそうに目を細めると、顔を近づけて瞳を覗き込んできた。
こうやって距離を詰められるのは、これで三度目。
ベアトリーチェは顔を真っ赤にして、魔王のこのクセは問題だと思った。