第6話 ブランシュ編 4
「待って下さいお嬢様~!!」
「どうかお考え直しを~!!」
現在リディは玄関に向かって歩いている。包帯を右目の上に巻いているアニエスと赤髪メイド、シータを引き摺りながら。
そもそもなぜこんな状況になっているのか?
「いや、私は見たいの! 今のブランシュ領がどうなっているのか!!」
と言うわけである。
前日に屋敷を走り回ったリディは結局ブランシュ領を救う手段が思い浮かばなかった。
そしてこう考えた。そうだ! 実際に見て見れば何か思い浮かぶかも、と。
朝になり、早速外に行くための服に着替えたリディは廊下でバッタリ、シータと出くわす。
「どうしたのですか? そんな格好して」
「うん。ちょっと外に出ようかと思って」
「それは駄目ですよ。御当主様に止められているのですから」
「ああ、そうなんだ。じゃあやめるね」
「……」
「……ところで玄関ってどっちだっけ?」
「誰かぁぁぁぁ!! お嬢様がぁぁぁぁ!!」
「あんた叫んでばっかりだな!!」
そして叫び声で駆け付けたアニエスとシータの説得にらちが明かないと判断し強硬手段に出たのだ。
尚もメイドを引き摺るリディ。しかし、この光景が異常な事に気が付いているだろうか? 5歳の少女が成人女性を2人を引き摺っているのだ。
「ちょっ! 何でこんなに力が強いのですか!?」
「まるで無人の野を行くが如し……あれ? アニエスさんその包帯どうしたのですか?」
「黙れ!!」
引き摺られるメイド2人のやり取りでリディはある事を思いだす。そう言えばすっかり忘れてたけど俺、女神から肉体チート特典貰ってたんだっけ? と。
メイド2人を引き摺っているにも関わらず、あまり抵抗を感じない自身に内心驚くリディ
。
(おお! あの女神様の加護ってこれか!)
今まで使い道がなかったおかげで気が付かなかったが、どうやらリディは普通の人より力が強いらしい。それに昨晩あれだけ走り回ったと言うのに、疲労が全然ない。
そんな自分の力に喜びが隠せないリディ。しかし足は止めない。
(よし! このままメイド達を引き摺ってブランシュ領一周だ!)
と意気込むリディ。しかしそこに最大の敵が現れる。
「止まりなさい、リディちゃん! 外に行くのはダメよ!」
リディの大好きな母、アリアンヌである。両手をバッと広げて通せんぼする母を見て、足を止めるリディ。
「くっ! おかあさま」
冷や汗を流し、追い込まれた様な顔になるリディ。しかしいくら大好きな母でも今回ばかりはリディも引く気はない。これはあなたの為でもあるのです!! よって引かぬ! 媚びぬ! 顧みぬ!! と堅く決意する。
「フフフ、おかあさまも反対なされる様ですね。しかし私は行きます! このリディ・ブランシュの意志は鋼の様に堅く、その進む先は修羅の道なのです!」
「ねぇ、リディちゃんは魔法に興味ない? 私結構凄いのよ? 見せてあげるから一緒に裏庭に行きましょう?」
「えっ? わーい!! お母様の新たな一面が見れるし魔法も見れるし一石二鳥だ! バンザーイ!!」
ズッコケるアニエスとシータ。 リディの鋼の意志は脆く、進む道はお花が咲く庭の様だ。
「早く早くおかあさま~!」
待ちきれないと駆け出し、遠くからアリアンヌを嬉しそうに呼ぶリディ。
「はいはい! 今行くわよ~」
そう言いつつ、ボロボロになって倒れているメイド二人に駆け寄り心配そうに声を掛けるアリアンヌ。
「大丈夫?」
その優しい瞳に涙するシータとアニエス。
「奥方様! あ、ありがとうございます!」
アリアンヌに抱き着くシータ。そんなシータを我が子の様に包み込む。
「よしよし、もう大丈夫よ」
そして、照れくさそうに離れるシータ。その光景を横で見て、次は私の番と言いたそうにワクワクしているアニエス。
そして向かい合う二人。
「奥方様……」
さあどうぞ抱きしめて下さいというように両手を広げるアニエス。しかしそこには悪魔がいた。
「あら、初めまして。私はリディちゃんの母のアリアンヌですぅ~。あなたの名前は言わなくていいですもう知っているので。泥棒猫さん」
「奥方様ぁぁぁぁ!!」
アリアンヌ、かなり根に持つタイプらしい……。
*****
そうしてアリアンヌとアニエスを連れて裏庭に到着したリディ。
パッと見の印象を言うならば、荒れ地の様である。ゴツゴツとした大小様々な岩。剥げてヒビ割れた大地。ちらほらと根強く生えている雑草は1メートル程の長さになっている。
それらが高く薄汚れた塀に囲まれている。
庭師が1人しかいないので、仕方ないのかもしれないが、それでも華やかなブランシュ家の表の庭とはえらい違いである。
いや、実はこっちが本当の姿なのかもしれない。
「足元に気をつけてねぇ~」と中心に歩いて行くアリアンヌについていきながら、いつかここも何とかしたいな~ と考えるリディ。
「さぁ! それじゃあ魔法の説明からしようかしら」
手をパンッと叩きにこやかに言うアリアンヌ。その説明を今か今かと目を輝かせながら聞き入るリディとその後ろで相槌をうつアニエス。
「まず、この世界には魔素と呼ばれる魔法を使う上では欠かせないものが充満しています。私達人間はその魔素を体内にある魔力路と呼ばれる器官に取り込む事で魔法を使う事が可能になります。ここまではいい?」
前世でそう言った小説を愛読していたリディとしては、予想通りと言った所だろう。
「はい。大丈夫です」
「じゃあ続けるわね。そして魔素には火の魔素、水の魔素、風の魔素、土の魔素の四種類の属性があり、それぞれの属性と“詠唱契約”する事で体内に取り込み、属性魔法を発動する事が出来ます」
(お? 早速分からない単語が出てきた)
ビシッと手を上げ疑問を投げかけるリディ。
「はい! 詠唱契約とは何ですか?」
「そうね~、簡単に説明すると言葉で魔素の属性と量を設定するのよ。まぁこれは実際に見せた方が早いかな?」
そう言うと遠くにある大きな岩に左手を向けるアリアンヌ。その瞬間アリアンヌの体が赤く発光し始める。
その光景にテンションが上がり、「おお~!」と口から零れるリディ。
(憧れの魔法だ!! うわすっげ~! 何か光ってるよ!!)
そんなリディの視線にさらされながらも真剣な表情を崩さないアリアンヌ。
「“大気に点在する源よ、我が呼び声に応え、彼の者を打ち払う灯火をここに”――」
アリアンヌの左手から、ソフトボール程の火の球が現れる。そして――
「“フレアショット!!”」
バンッ! と発射された火の玉は猛スピードで岩に向かい、そして当たると同時に音をたて爆散する。
当たった所は焼け焦げており黒い煙がプスプスと上がっている。
「おおー!! おおー!!」
初めての魔法に大興奮で手を上下に振るリディ。アリアンヌは顔だけを向け再び説明をする。
「これが初級炎魔法の詠唱と技よ。念じ、言葉に出し、魔法をイメージする。この三つを同時にやらないと上手く発動しないわ」
何か難しそうだな~、と思い頭を捻るリディ。
「そして、これが中級炎魔法」
再びアリアンヌの体が赤く発光する。しかも先ほどよりも強い光だ。
今度は左手を右手で抑えるように前に掲げるアリアンヌ。
「“大気に点在する源よ、我が呼び声に応え、軌跡を残し、目の前の罪人を灰塵せよ。灼熱をここに――”」
アリアンヌの左手前方にゴウッゴウッと燃え盛る渦巻く炎が現れる。
離れて見ているリディにも、その熱が伝わってくる。
「“スパイラルフレイム!!”」
その瞬間、炎が大地を焦がし螺旋回転しながら前方に発射される。早さは先ほどのより早く、風が吹き荒れ、そして岩に当たる。
バァァァァン!!
大きな音が鳴り響き、思わず目をつむってしまうリディ。岩は大きく破壊されており、その通った道からは黒い煙が立ち登っている。
目を見開き、心底驚き言葉を発するリディ。
「す、すげぇ~……」
横にいるアニエスがそんな状態のリディを見て、フッと笑う。
「奥方様は元々パルム領の出身なのです」
「パルム領? 確か魔法の研究が盛んな都市だっけ?」
「はい。その類まれなる魔法の才能は他の追随を許さず、齢15にして王都魔法学校を卒業。そしてその天才を皆は尊敬の念を込めこう呼ぶようになりました――」
右上の包帯を押えつつ言うアニエスの話を耳で聞きながら、リディは凛と立っている母、アリアンヌを見る。
魔法の余波で吹き荒れる風を物ともしないように立澄まし、残り火と煙立ち込めるその場所をまるで午後のティータイムですよと言わんばかりに優雅に髪をかき上げるその姿。
そしてアニエスが言う
「――灼炎の姫とね」
……美しい。リディは思わず時も忘れて見惚れてしまっていた。
意識を取り戻したのは、若干疲労の見えるアリアンヌが近づいて来た時だった。
「こんな風に発動する魔法にはそれぞれ違った詠唱があるの。初級が一番簡単で、その次が中級、そして上級なんかはかなり扱いが難しいわ」
汗を拭い、フーッと息を吐き微笑むアリアンヌ。
「だ、大丈夫ですか? おかあさま」
疲労の度合いは分からないがあれだけの威力の魔法を撃ったんだ。疲れるのも無理はないだろうと思い、心配そうにアリアンヌを見上げるリディ。
「大丈夫よ! でも大分体が鈍っているわね。これぐらいで息を切らすなんて……」
昔はもっと凄かったのか!? と驚き、思わぬ母の凄さに感動を覚えるリディ。
少しの休憩をはさみ、さあいよいよリディが魔法を使う番だ。リディは先ほどのアリアンヌの様に、岩に向けて左手をかざす。
「頑張ってリディちゃん!」
「お嬢様ならきっと出来ます!」
後で応援してくれている母とメイドに振り向かず親指を立てる。
「フフフッ。見ていて下さい。何といってもこの私は神に愛されし灼炎の娘、リディ・ブランシュなのですから!」
鼻高々に宣言する。内心はこうだ。
(お母様の血を引いているこの俺が、魔法を使えない訳ないじゃないか!! 肉体チートに加えて魔法も1流だなんて、ほんまリディちゃんの凄さは天井知らずやわ!)
自信満々のリディ。そして先ほど覚えた初級炎魔法の詠唱を始める。
「“大気に点在する源よ、我が呼び声に応え、彼の者を打ち払う灯火をここに”――」
(さあ、隠れた才能とご対面!! これで俺もチーターだぁぁぁ!!)
自分の手の平から先ほど母が見せてくれたような炎球が出てくる未来をイメージする。
「んぅ~フレアショット!!」
プスンッ……。
現実はリディの手の平からショボい様な煙が出てくるだけだった。真顔でリディを見る後ろの二人。鳥の鳴き声しか聞こえなくなる裏庭。
「……バカなぁぁぁ!! 天才であるこの俺様の魔法がぁ、ただの吹かしたガスだとぉぉぉぉ!!」
一体どこの誰のつもりなのか、完全に自分を天才だと思い込んでいたリディはその現実を受け入れることが出来ず叫ぶ。
「クソ!! フレアショット! フレアショオォォットォ!! フレアァァアアアアアショオオオ!!」
何度も技名を叫ぶリディ、しかし結果はどれもショボい煙。
「お嬢様、もうその辺に……」
「ダメだ!! クソォォォォ!! フレアァァァァァァ!!」
手を思いっきり引き、そして放つ!
「フレグランスゥゥゥ!!」
何かいい匂いがしそうな魔法。結果は――ドロドロォォ~ と手の平からキモイ液体が流れて来た。
「何じゃこりゃあああ!!」
結論。リディに魔法の才能は皆無である。
「……プッ!」
その姿がツボに入ったのか吹き出してしまうアニエス。
その笑いに無表情になり、笑った本人を見る。しかしサッと目を逸らされる。がしかしアニエスの肩は小刻みに震えている。
「……」
「プッ……フフ!」
再び前を向く無表情のリディ。
「……大気に点在する源よ、我が呼び声に応え、彼の者の……」
手の平をアニエスに向ける。
「右の眉毛を永久に打ち払う剃刀が私の部屋にあるので、今度は左もやろうと思います」
「お嬢様の仕業かァァァァ!!」
右目の上に巻いてある包帯を取るアニエス。綺麗に右上の眉毛だけ剃られている。
しかし、リディの詠唱はまだ終わっていない……
「そしてそれが原因で婚期を逃し、未来永劫ノン眉毛として一人で生きていくための力をここに!!」
「いやあああ! そんな力いらない!! 他所にやって!!」
アニエスの叫びが木霊し、その日の魔法講座は終わった。
後日リディは聞く事になるのだが、この世界で魔法を満足に使える人間はごく少数らしく、しかも燃費の悪さから余りこの国では重宝されていない代物らしい。
「でもリディちゃん! あんなドロドロした液体が出てくる魔法なんて見た事も聞いた事もないわ! ひょっとして天才かも!!」
そんなアリアンヌの励ましの言葉に
(天才って、何の天才ですかお母様?)
と思うリディであった。
*****
ある朝、ブランシュ領の門に3台の馬車が入ってくる。
先頭と後方の馬車は大きく、木柱に布を被せただけな大雑把な作りになっている。まさに質より量と言いたいのか快適さなどは度外視したそんな馬車の中には数十名の鎧を着た兵が窮屈そうに座っている。
そしてその2つに挟まれて進む馬車はまさに前者とは真逆な作りをしており、どこから見ても、誰が見ても、位の高い者が乗っている事が見て取れる。
そんな御一行をみすぼらしい恰好をしたブランシュ領民が苦い顔で見ている。
「帰って来たぜ、腰抜け領公がよ」
「ほんと、あんな豪勢な馬車に乗って、その金を少しは私達に分けてくれればいいのに」
「これだから領家は嫌いなんだよ」
皆口々に呟くのは怒りの念のみ。領民はよほど鬱憤が溜まっているのだろう、農作業をしている人間も料理屋の亭主も客も手を止め、馬車を睨みつける。
しかし、面と向かって文句を言う人間などはよっぽどの事がない限りいない。領家に逆らう恐ろしさを知っているからだ。
領家
ある者は前を横切っただけで切り捨てられた。またある者は税を払う事が出来ず家族皆を奴隷にされた。もちろん、この国では完全に違法である。
そう言う事を平気でするのが領家と言う生き物だ。と貧しい多くの領民は思い込んでいて、そしてそれはあながち間違いではない。中には確かにそう言った事をする輩もいるのが現状なのである。
そんな視線を浴びながら進んでいく馬車。しかしこと今回に至っては、前述したよっぽどな事が起こったらしい。
馬車の前に一人の男が飛び出してくる。他の領民より細い体にボロボロの服と髪の毛。見ただけでわかる、恐らくまともな食事が出来ていないのであろう。
その男の登場に急停止する馬車。前方馬車の馬を操縦していた御者が叫ぶ。
「貴様! 不敬であろう! 今すぐそこをどけ!!」
「頼む領主様!! 話を聞いてくれ!!」
跪き焦燥した顔で叫ぶその男。業を煮やしたのか次々と馬車から兵士達が降りて来て男を取り押さえる。しかし男はひどく抵抗を見せる。
「領公様! 妻が体調を崩しちまったんだ、俺一人じゃ子供を食べさせていけねえよ! 頼むから税を下げてくれ! このままじゃ皆死んじまう!」
ひたすら叫ぶ男に反応のない中央の馬車。領民は助けられない悔しさに拳を握る。それでも「なぁ! 領公様ぁ!」と叫ぶ男に1人の兵が剣を抜く。
「貴様ぁ!! 身の程を知れ!」
兵士が剣を振り上げる。その時――
「やめろ」
低くバリトンの効いた声が中央の馬車から発せられ、一人の男が出てくる。
背丈は180センチほど、真黒なスーツの様な服を身に纏い、同じく真黒な髪をオールバックにしている。細く鋭い目つきに赤い瞳はどこか冷たく、底知れない印象を受ける。
彼こそ、先程から領民の陰口の的にされているご当人。現ブランシュ家当主。ユーリ・ブランシュその人である。
「ああ! 領公様、話を!」
ユーリの一言で命を拾った男は兵士に抑えられたまま先ほどと同じことを述べる。
男の必死な懇願。しかしユーリがそれに対して出した答えは“沈黙”だった。
無言のユーリに怒りが爆発したように怒鳴る男。
「おい! ちゃんと聞いているのか!? 聞けよ、無視するなよ! そうやって逃げるんじゃねぇ!! ちゃんと見ろ! 俺達を見ろぉぉぉ!!」
「……もう話し終わったか?」
「は?」
ユーリの冷たい一言にズルズルと崩れ落ちる男。それを見て、もう用は済んだと言うように踵を返し、馬車に戻るユーリ。
「……検討しておこう」
ユーリがそれだけ言うと再び馬車は動き始める。ブランシュ本家に向かって。
馬車の中で足を組み無表情で手に持つドラゴンをデフォルメされたぬいぐるみを見つめるユーリ。それは、いつも遠方に行くと必ず買ってくる物だ。
人形のように動かない娘のために、今まで買い続けてきた物の一つ。
お腹を少し押すと人形がギャォォォと微かに泣き叫ぶ。それを見ても、ユーリは無表情のままだ。どこまでも冷たい男、そんな印象だ。
もし家に帰った途端、笑顔で飛びついてくる娘を見たら、この顔は少しは熱を持ってくれるのか……。