第4話 ブランシュ編 2
ブランシュ領公の娘として生まれたリディはよく泣く事を除外すればごく普通の赤子であった。
端正な顔立ちに、美しい母親と同じ銀髪。鋭い目は父親にとてもよく似ている。
明るく、心優しい女性に成長してほしい。両親である二人はリディの成長を楽しみにしていた。
しかし異変が起こった。生まれて数週間がたった頃からリディは泣く事や笑う事をする回数が少なくなっていってしまう。
呼吸はしている。目も開いている。誰かが食事を与えればちゃんと食べる。およそ人間が生きていく上で必要な事は全てこなす事が出来たリディ。
しかし、体が成長していくのと反比例するようになくなってゆく感情。
ひょっとして病気なのではないかと心配した両親は何度も医師に診てもらったが結果は全て異状なし。
そしてリディが1歳になる頃には、もはや感情のない人形になっていた。
いつも無表情で何をしても反応を示さないし、いくら話しかけても喋らない。毎日トイレ以外では自室に籠りボーッとしているだけの毎日。そんな少女だった。
両親は諦めなかった。いつかリディが心を取り戻すのではないかとありとあらゆる事を試してみた。
父はぬいぐるみを見つけては、部屋に届けた。母は毎日、虚ろな瞳で俯くリディに語り掛け続けた。兄も自身の妹のためにとメイドと一緒に食事を食べさせてあげた。
毎日、毎日……。しかし成果が見られないまま時は経ち、リディはもう5歳になっていた。
リディは相変わらず感情のない瞳で虚空を見つめるだけ。
もう駄目なんじゃないか? そんな気持ちが皆に見え始め諦めムードが萬栄していた頃、衝撃的な事件が起こる。
何とあの感情のない人形だったリディが……部屋でブリッジをしていたのだ。
*****
(選ばれた6人のって言うくらいだから領公って偉いのかなぁ~とは思ってたけど、案の定……広い家だな~)
異世界に来てから数日がたった頃。女の体にも少し慣れ始めたリディはそんな事を思いながらブランシュ家の広い廊下をキョロキョロと見渡しながら歩き、目的地へと向かっていた。
確かに前世で四畳半のボロアパートに住み、雨漏りと隣人の歯ぎしりに悩まされていたリディがこんな家を見て驚くのも無理はないだろう。
1階はいわゆる社交場に使われているフロア。
大きなシャンデリアと御当主の姿絵が目立つ玄関、パーティーをする大広間、食事をするための部屋に厨房、客間に応接室、書庫などがある。誰に見られてもいいように比較的豪華な飾りつけがされている。
2階がいわゆるプライベートフロア。
家族達の自室に当主の仕事部屋。お客が寝泊まりするための宿泊部屋。衣服などを置いておく収納部屋、などなど……。
地下は主に食糧庫として使われており、使用人達は屋根裏部屋で寝泊まりしている。
これが簡単に説明したブランシュ領公家の内装だ。
(俺はもうブルジョアの仲間入りなんだな~)
感慨深くそんな事を考えていると、いきなりリディの視界が暗くなる。
「ねぇねぇリディちゃん。だーれーだ?」
どこか楽しそうなその声にリディは答えが直ぐにでていた。
「もう、勘弁してくださいよ。今日だけで何回目ですか~?」
そんな事を言いつつ、内心ニヤニヤが止まらないリディ。
「53回目かな~」
「目がとれちゃいますよ~おかあさまぁ」
その言葉にパッと手を離し、満面の笑みを浮かべる銀髪の美女。
前の一件で勘違いをしていたが、こちらが本当の母親、アリアンヌである。
ちなみにリディが母親だと思っていた黒髪はブランシュ家のメイド長、アニエス。赤い髪の方が同じくメイドのシータ。灰髪の少年が兄のジルである。
「大正解! そう私があなたの母様よ、正真正銘、本当のね! わかった?」
どうやら勘違いされた事を相当気にしている様だ。そのせいだろうか事あるごとに自身は誰だ? と問いかけては念を押す事を繰り返しているアリアンヌ。
(まぁ、今思えばあれは俺が悪いな。もし逆の立場だったら……うん、爆発くらいしちゃうかも)
内心で反省しつつ、明るく返事をするリディ。
「はい、わかりましたおかあさま!」
「もうリディちゃん。無理して敬語なんて使わなくていいのよ。気軽にママって呼んで?」
始めは感極まってママと呼んでいたリディであるが、そこはやはり初めての母親だ。
とても大切だからこそ、何か不敬を働いてはいけないと感じ、尊敬の念を込め両親には敬語を使うように心がけているのだ。
「いえ! 尊敬するおかあさまなのですから、敬語を使うのは当然です!」
リディの言葉に嬉しくなったのか、両手を広げ抱き着いてくるアリアンヌ。
「いやー! 私の事そんな風に思ってくれてるのね~! もう可愛すぎるぅ! 何か欲しい物はない? 私リディちゃんの為なら何でもあげるし、何でも許しちゃう!!」
完全なるダメ親の理論であるが、そこは親子の親睦が今まで出来なかったアリアンヌ。表情豊かな娘が可愛くて仕方がないのであろう。
もちろん、その気持ちはリディとて同じである。現在自分を抱っこし、クルクルと回る母親にとても満足している。
「さぁ言って? 何でもしちゃうから!」
(何でも? 今なら許してくれるかな?)
お言葉に甘えてリディはアリアンヌに懇願する。
「それじゃ俺もこんなヒラヒラした服じゃなくてジル兄さんみたいにズボンを穿いていいですか!?」
「それは絶対に許しません。あと“俺”じゃないでしょ? “私”でしょ?」
(あれ? 何でも許すって……)
どうやらアリアンヌは躾に関しては妥協しない様だ。
瞬時に真顔になりピシャッと言い放つアリアンヌに呆然とするリディ。しかし直ぐに心がジーンとしてくる。
(ああ、これが親の躾っていう奴か……もっとやって!!)
えへへへ、と完全にヤバめな表情のリディを「……これは、見てはいけない一面の様ね」と呟きゆっくりと地に下ろすアリアンヌ。見なかった事にするようだ。
「それで? リディちゃんは何しようとしてたの?」
アリアンヌの言葉に我に返るリディ。
(何しに? ……あっ!)
手をポンッと叩くリディ。
「そうだ! ジル兄さんともっと仲良くしようとしてたんだ!」
「何で? ジルとはもう仲良しでしょう?」
「まぁそうなんですが」
確かに、兄であるジルとは非常に良好な関係を築けているリディ。普通に楽しく話をし、楽しく食事をし、楽しく遊んでいる。
しかし、リディはなぜか感じてしまう。無難だと……。
仲良しならそれでいいじゃないかと思うが、リディの中では兄弟とはもっと熱く、泥臭いものと言う評価らしい。
恐らく、生前に見た映画で男兄弟が夕日をバックに“ある事”をするシーンに感化されているのだろう。
「でも、これ以上どう仲良くなるの?」
「フフフ、とっておきの方法があるのですよ。古今東西これをやって兄弟の絆が深まらなかったためしがない程に」
人差し指をたて、自信満々の表情になるリディ。
*****
窓から差し込む暖かい日差しを浴びながら、自室にて読書をしている灰髪の少年ジル。
(ああ、平和だ……)
元々平穏や平凡を好むジルはこの静けさの広がる時間が大好きだった。普通の子供はどちらかと言うと騒がしい者だが、8歳にしてジルは随分と大人びた感性を持っていた。
しかしそれにも理由がある。
それは、いつか長男としてブランシュ領を継がなければいけないというプレッシャーである。父親はジルに色々な事を叩きこんでいる。
ブランシュ領を経営していく術、騎士としての剣術、他と渡り合っていくための処世術。毎日毎日遊ぶ事もなくそれをやらされていたジル。
とても耐えられない。何度もこんな事はやめて普通でありたいと叫びたかった……。
それが出来ない理由は1つ。リディの存在である。
娘のために頭を悩ませている両親を見て、その上自分まで我が儘を言ってしまうわけにはいかない。基本的に全ての値が平均的なジルだが、空気を読むその一点に関しては目を見張る所があった。そしてそれが災いした結果が今のジルの性格を形成してしまっているのだ。
はっきり言ってジルはリディを恨んでいた。仮にリディがいなかったとしても、きっとジルの状況は何も変わらなかっただろう。そんな事は本人が一番分かっている。
しかし、それでもずっとずっと言ってやりたかった。お前さえいなければと。
言った所で、リディは何の反応も示しはしないが。
恐らく自分はこれからも一生、妹を恨んでいくのだろう。ジルはそう思っていた。しかし
「あんな顔を見せられたらな」
微笑みながら本から目を離し、質素な自室にある一体のぬいぐるみを見つめるジル。
そのぬいぐるみは人形の様だった妹が感情を取り戻した日に貰ったものだ。
黒髪メイド、アニエスを母親と勘違いした妹のリディ。本当の母親であるアリアンヌと長いハグを終えた後、話を聞くとどうやら今までの自分の事を全く覚えていない様だ。
自分は今までずっとお前の事で苦しんできたと言うのに、憶えてないだと?
ジルは思った、やっぱり妹は嫌いだと。
しかし、その考えは直ぐに改めさせられる事になる。どうやらアリアンヌに今までの自分の事を聞いたのだろう。
申し訳なさそうにジルの部屋に入ってくるリディ。恐らく謝罪をしに来たのだろうとジルは予想していた。
謝罪如きで誰が許してやるもんか! ジルはそんな事を思っていた。
しかし、リディの行動は予想外だった。
「今までごめんなさい!」と言い土下座をしたのだ。しかも何度も床に頭を擦り付けて。
これにはジルも面食らってしまい、「許すよ!」と言って必死にやめさせようとする。
しかしリディは「自分の気が済まない!」と全くやめようとしなかった。ひたすら頭を下げ続けるそんな妹にあたふたとする事しか出来なかったジル。
結局、リディが謝罪をやめたのは数時間後の事だった。
「今、こんな物しか持っていないけど……謝罪の気持ち。ほらここ押すと音が鳴るんだよ」と真剣な顔で言い自分の部屋から持って来たであろうぬいぐるみをプピィーと鳴らすリディ。はっきりいってぬいぐるみなんて貰っても困ると苦い顔をするジル。その顔をどうとらえたのかリディは慌て始める。
「ええっ! た、足りないならもっとあるよ! 全部あげるよ! あっ、でもおとうさまから貰った物みたいなので少しは残してくれるとありがたい……ぞ?」
「……プッ!」
何というか、今まで見てきた能面の様な妹とはあまりにもかけ離れ過ぎていて、それがおかしくなり吹き出してしまったジル。
「あれ? ひょっとしてぬいぐるみ好きなの?」と言ってさらに音を鳴らすリディに内心そんなわけないだろと思いつつさらに笑うジル。
ひとしきり笑った後、ジルはぬいぐるみを受け取り、「ありがとう」と感謝を述べた。
そしてリディはそんなジルの対応に心底満足したのか、まるで花が咲くような笑みを浮かべた。
その時の笑顔を見て、恨みとかそういう悪感情がジルにはどうでも良くなったのだ。
「いい意味で破天荒と言うか……全く、どこまでも読めない妹だよ」
そう呟き再び本に視線を戻そうとしたその時、自室のドアが思いっきりけ破られ満面の笑みのリディが入ってくる。
「兄さん発見!! リディ隊員そのまま接触を図ります!!」
「うわああああ!!」
訳の分からない事を言っているリディに驚き椅子から立ち上がるジル。
「リ、リディ!? 一体何の用だ?」
「絆! 絆を深めよう兄さん! 手っ取り早く。さぁさぁさぁさぁ!!」
詰め寄ってくるリディに嫌な予感がジルの脳裏を過る。そうこの妹、悪い意味でも破天荒なのである。
遅れてアリアンヌが「面白そうだから私も混ぜて!!」と部屋に入ってくる。
追い込まれていく状況に何とか話し合いで解決しようとするジル。
「まぁまぁ二人とも落ち着いて。大体、絆なんてものは時間をかけて深めていくものだよ?」
手っ取り早くなんて……そんな方法はどこにもない。と信じたいジル。
しかし、そんな願いは見事に打ち砕かれる。
「それが兄さん、あるんだよね~」
「へ、へぇ~」
「夕日をバックに殴り合いだよ!!」
「……へぇ~」
「だから、殴り合おう!!」
「いや、それは何かおかしい!!」
問答無用と飛びかかってくるリディを見て、ジルは心の底から叫ぶのであった。
「本当に読めない妹だよぉぉぉ!!」
破天荒な妹に平穏な時間を壊されたジル。しかし結構、こういう時間も好きだったりするのであっ