第40話 王都編 11
流れは今、完全にリディの手の平の上にある。もしこれに動揺して相手方が隙を見せたならば自慢の脚力で瞬時にサラを助け、同時にここにいるスラム民全員を御縄につかせる事も不可能ではないとリディは考えている。
そして思惑通りに血気盛んなスラムの男達は喚き始める。
「舐めんなよ!! 誰が領家の言いなりになんかなるかよ!!」
「おおよ!! 俺達にビビって手を出せねぇ貴族連中がいい気になるなよ!!」
「まとめて全員やっちまおうぜ!!」
対するこちらの私兵達もやる気十分、敵前逃亡はなさそうだ。
「リディ様には指1本触れさせない!!」
「スラムの犯罪者にブランシュの力を見せてやる!!」
「俺達リディ親衛隊に負けはない!!」
(元気なのはいいけど、ちゃんとおとうさまも守ってくれよ?)
そう思いつつ、リディはこの良い流れを崩さない様に黙っていた。白熱した空気のお陰で相手の目は自分にもサラにも向いていない。今が絶好のチャンス。リディはもうすぐ来るであろう私兵とスラム民の激突に備えサラを助け出す為、駆け出す構えをとっていた。しかし……。
「……ちっ! やめだ! やめやめ!!」
先程から真顔で沈黙を貫いていた火傷男が水をさしてきた。当然そんな事を言えば相手側には不満を出す者もいる。
「何でっすか!? ここで引いたら俺達の負けっすよ!!」
「アホ!! ここで奴らとやり合ってもこっちが損するだけだ。あいつを見て見ろ」
火傷男は視線をユーリに向ける。
「模範騎士の強さはこっちでも有名なんでね。触らぬ神に何とやらだ」
どうやら本気で引く様子の火傷男に若干苦い顔をするリディ。それを見てユーリがサポートする。
「いいのか? お前が私の相手を出来れば数の上では五分五分だぞ?」
しかし火傷男はユーリの言葉に呆れた様な表情をする。
「五分五分だぁ? 俺は頭はおかしいが馬鹿じゃないんだ――ぜっ!!」
火傷男が持っていた剣を突如リディの顔めがけて投げつける。グルグルと回転する剣をリディは冷静に見て、柄を片手で掴み取る。リディの現実離れした技に火傷男の後にいるスラム民も驚いた表情を浮かべている。
「……この王都には物を投げる奴しかいないのですか?」
目の前で自身が投げた剣を放り投げるリディを見て、普通ではない事を確信したのだろう、火傷男がニヤッと笑う。
「やっぱり見た目通りのお嬢様って訳じゃないか……自分の娘に随分えげつない教育してるな、ええ? 模範騎士様?」
「心外だな。私は娘にこんな曲芸を教えている親に見えるのか?」
「フン、まぁいい……金を寄越しな! ガキは返してやる」
リディに向き直った火傷男が後ろに指で合図を出すと、スラム民の1人がサラを火傷男の元に歩かせる。
「……そっちを先にして下さい」
「心配性な奴だな。ほら、行け」
リディの言葉でサラの背中を押し、前に歩かせる火傷男。裏をかくつもりもない様子だ。
サラは解放された事が嬉しいのかリディに満面の笑みを向け、小走りで駆けてくる。
リディもそんな笑顔を見て、思い通りにはならなかったがサラが無事帰ってくるので良しとしようと構えを解き、懐の財布を火傷男に投げた。
だが……リディの判断は少し早計であった。その瞬間、タイミングを見計らっていたかのように亭主が火傷男の背後から駆け出し、こちらに駆けて来ていたサラを再び羽交い絞めにしたのだ。
「なっ!!」
油断していたリディはそれに反応できず目を見開く。
「へへへ、逃がさねぇよ!」
「いやぁ!! 離して!!」
亭主は笑いながら暴れるサラに包丁を突き付けた。その瞬間ここまで冷静な思考だったリディが初めて怒りの声を上げる。
「この! どこまでその娘を傷つければ気が済むんだ!! お前は!!」
しかし亭主はまるで関係ない様で嫌な笑みを浮かべ馬鹿にしたように叫ぶ。
「騙される方が悪いんだよ!! いいか、この世の中はなぁ騙したもん勝ちなんだよ!! ばぁぁぁか!!」
「腸まで腐ってんのか!! 今取り出してやるから覚悟しろ――」
「――おっと! 近づくなよ! もし近づいたら」
「痛っ!」
亭主がサラの頬に軽く包丁を滑らせると、切り口から血が流れ始める。それを見てリディは苦い顔で動きを止める。
「へへへ!! スラムの皆さん!! これで金もこのガキも両方手に入りましたよ!!」
「やめてぇ!!」
「うるさいぞ!!」
泣きじゃくるサラを引き摺り自慢げに火傷男に見せる亭主。
「どうです? 結構やるもんでしょ? 私にかかれば領家を騙すのなんて朝飯前なんですぜ!!」
気に入られたいのか必死に自身のアピールポイントを並べる亭主だが、火傷男の方はそんな亭主をまるでつまらなさそうな目で見降ろしていた。そして――。
「おい」
「へ、へい? なんでしょうか?」
「――余計な事をすんな」
火傷男は隣にいたスラム民の剣を抜き取ると、亭主の首を刎ね飛ばした。そのあまりの躊躇の無さにリディ含めブランシュ側の人間は絶句してしまう。
亭主の体は赤色の噴水をまき散らした後、力なく崩れ落ちた。そして頭の方は奇跡的に亭主の奥さんの手元に落ちて来た。
「ぎゃああああああ!!」
旦那の生首を見て雑音じみた悲鳴を上げ、白目で倒れる太った女。
「行くぞオメーら」
火傷男達はそのまま何事もなかったかのようにトンネルの中へと入って行った。リディ、そして恐らくユーリと私兵達もだろう。その集団の姿が見えなくなるまで、ただの後ろ姿への警戒心を解けずに固まるしかなかった。
我に返ったのは亭主の返り血を浴び立ったまま放心状態であったサラが糸の切れた人形の様に倒れた時だった。
「サラ!!」
倒れるサラに駆け寄り顔を覗き込むリディ。顔色はお世辞にも良いとは言えないが息はしている。
「心配するな。気を失っているだけだ」
「そうですか」
ユーリの言葉に安心し、サラの顔についている亭主の返り血を自分の衣服で拭きとるリディ。気絶しているサラをお姫様抱っこすると、隣のユーリがトンネルの奥に視線を向けながら言う。
「あんな連中を燻らせているなんて、この王都がさらに心配になった」
リディは王都の闇の恐ろしさを痛感しながらユーリと同じくトンネルの奥を見て真剣に言う。
「そうですね……理性のある獣は厄介です」
火傷男は終始冷静であった。リディの挑発にも乗って来ず、しっかりとした引き際、そして相手を見抜く洞察力を持っていた。
そのくせ、独断行動ではあったが亭主の行動は明らかにスラム側が有利になるものであったにも関わらず、それを良しとせず首を刎ねた。
“欲しいものは力づくで奪い取れ”と言った流儀を掲げている様だがその中にも何かしらのポリシーがあるのだろう。
ただがむしゃらに突っ込んでこない思考を持った獣。リディはそんなスラムの住人を恐ろしく感じ冷や汗を流した。
固まっているリディの肩にユーリが手を置く。
「まだここにいたいのか? 家でアリアンヌが首を長くして待っているぞ」
ユーリの言葉に真剣な表情を崩し、いつも通りに戻るリディ。
「……そうですね。おかあさまの首がここまで伸びて来ても困りますし、それに」
抱きかかえているサラを見て微笑む。
「新しいメイドも早く紹介したいですしね」
トンネルに背を向け、私兵に向かって声を上げる。そのリディの声に私兵達は頷きで返す。
「さぁ皆さん、帰りましょか」
サラ救出が無事完了した事を近くにいた警備兵に報告し、リディ達はブランシュに帰るため一般街の表通りにある民家の壁にもたれかかりながら私兵が馬車を持ってくるのを待っていた。
もうすぐ夕方になるので、出発は明日の朝にした方が良いのかもしれないが、リディは直ぐにでも王都を出たいと言った。それを否定しなかった所を見ると、ユーリも同じ気持ちなのだろう。
まだ人々がたくさん行き交う中、リディとユーリが立っている所だけ領民が避けて通っている。ボロボロの女の子を抱えた私兵を連れた領家が一般街で佇んでいるんだ。領民からしたら恐怖でしかないのかもしれない。
そんな視線と王都で起きた出来事が合わさってリディは疲労の溜まったため息を吐く。
娘の状態を心配したのかユーリがリディに声を掛ける。
「リディ、どこか体調でも悪いのか? 珍しく元気がないが」
「体調は問題ないです。ただ流石に疲れました。ここまでほぼ不眠不休でしたし。おとうさまだって……いえ、いつも通りですね」
リディとほぼ同じスケジュールだったのに加え、あんな事があった後なのに、ユーリはいつもと変わらずクールな顔だ。年季の差と言う奴であろうか。いや前世と合わせたらリディの方が年上の筈だが……。
(はぁ~今から帰っても、ブランシュに着くのは3日後かぁ~。早く帰っておかあさまに会いたい)
やっと帰れるとは言ってもブランシュは遠く、王都を出たとしても気の抜けない長旅が待っている。
その事がリディの心を憂鬱にさせ、さらに深いため息を吐かせた。 そんな時、リディの頭上から大量の水が降ってくる。
「雨か……この雨まるで今の私の心を映しているかのよう」
詩人の様な言葉を言いながら、儚い目で手をかざすリディ。今のリディにタイトルをつけるのであれば“悲しみを背負っている水も滴るいい少女”と言う言葉が似合うだろう。
しかしただ儚いだけの少女じゃないのがリディである。そんなリディにユーリが上を向きながら言う。
「……ここに住む住民はこの時間に花の世話をするんだ」
「何でそんな事わかるのですか?」
「それはな、私が上を見ているからだよ」
良くわからないユーリの言葉に顔を上に向けるリディ。そこには、なぜか2階の窓から吊り下げられた植木鉢に水をやっているよぼよぼの老人がいた。
雨ではない、よぼよぼ過ぎる老人の手元が狂い、水が植木鉢を避けてリディの頭に降りかかっていただけだ。
「……」
人の頭に水をかけた、いや現在進行形でかけ続けているんだ。謝罪するべきだ。少しの怒りを感じリディは眉をピクピクさせながら無言で老人を見続けるがどうやらこちらが全く見えていない様子。老人相手に声を大にして注意するのも何だか大人げない、そう思いリディはそっと反対側のユーリの隣に移動した。
「花と同じで元気になったか?」
ユーリの茶化す言葉に笑いながら血管を浮かせるリディ。
「ええ、とてつもなくねぇ。何なら毎日水を与えましょうか? 今から何が咲くのか楽しみですよ」
「安心しろ、そんな事をしなくてもお前の頭はお花畑だ」
ユーリの口が少し悪くなった。こういう時のユーリが何を考えているのか理解できるリディは怒りを治め、小さく笑った。
「……相変わらず元気づけようとするのがへたっぴですね」
「……すまない」
「いいんです。その気持ちだけで充分ですから」
濡れてしまった首元をパタパタとさせながらリディがユーリの気遣いを嬉しく感じていると再びユーリが言葉を発した。
「リディ、1ついいか?」
「はい? なんでしょう?」
ユーリは自分達を守るため辺りを警戒している私兵の1人に目を向ける。その腕には未だ眠り続けるサラが抱えられている。
「なぜあの娘を助けたのか聞いていいか? こう言っては何だがお前が身内の事以外でここまで必死になっているのを私は見た事がない」
リディはユーリと同じくサラに視線を向け、考える。とは言ってもリディは別に意味もなくサラを助けた訳ではない。そこにはリディらしい理由があった。
「最初ロブリ―に絡まれている所を見た時は、可哀相な娘がいるなぁ~程度でしたし、1度助けてはいおしまい……の予定だったのです」
この時のリディはまだサラの事をただの他人という認識だった。
「2度目に会った時は、両親がいない事を知って私と同じ……いや可哀相だなと思いました」
前世で親のいない悲しみをリディは十分に理解している。親を知っているか知っていないかの差はあれど、リディはそんなサラに少し自分を重ねてしまったのだ。
「同情したという訳か?」
「それもないと言ったら嘘になります……でも本当の理由は全然違います」
ユーリの言葉にリディは目をつむり首を横に振る。
確かにボロボロの姿を見て昔のブランシュ領民と重ねたり、両親がいない事を自分と重ね同情したりもした。だがリディは別に聖人君子ではない。行く先で目に余る問題があったのなら助けてあげるし、助けてと頼って来たらそれもやぶさかではない。しかしただの他人の為に自ら進んで危険な所に行くなんて家族の事以外では考えられない。そう家族の事以外では。
リディは宿屋での出来事、サラが恐怖に震えながらも自分の所に暗殺の企がある事を教えに来てくれた時の事を思い出す。
そしてリディはゆっくりと目を開けると、優しそうに寝ているサラを見る。
「サラは私の為に暗殺の事を報告しに来てくれました。自分の身が危険に晒されると分かっていながら、リスクを顧みずに」
まるでリディが家族の為に動く時の様に。自分の事を度外視し、ただ好きな人のために。
「私の事をそんな風に思ってくれているのだと感じた時、嬉しくて胸が暖かくなりました。その時、思ったのです――」
――ああ、そんなサラと家族になりたい……。
風が吹き、揺らされた銀色の髪をかき上げ少しの間を空けた後、リディは綺麗に輝く赤い瞳を細め天使顔負けの笑顔で口を開いた。
まるでこの世の者ではない様な、そんな娘の美しい笑顔にユーリは目を離せないでいる。
風が止み、ユーリの反応がない事に疑問を持ったリディが不安そうに横を見上げる。
「こんな理由じゃ納得できませんか?」
「……いや、むしろひどく納得した。私の娘らしい事この上ないな」
リディの答えに満足したのか、冷たい表情が少し隠れる程の優しい笑みを浮かべるユーリ。
そんな父親の顔にリディが嬉しくない訳もなく、リディもいつも通り全力で笑い返す。
悪領家などとんでもない。
今の2人にタイトルをつけるのであれば“優しい親子”であろうか……。
「所でリディ」
「はい? まだ聞きたい事があるのですか?」
ユーリは上を見ながら言う。
「いやそうではなく……ここの2階には窓が2つあるんだ」
「……」
再び自分の頭が水で濡れていくのを感じ、リディは嫌そうな顔をして言う。
「領民がここを避けて通る理由が分かりましたよ……」




