第36話 王都編 7
突如現れた刺青男に不意をつかれ、成すすべなく羽交い絞めにされてしまったリディ。
必死になって振りほどこうとするも、地に足がついていないせいで踏ん張る事も出来ない。ならば首に回っている腕を肉体チートで握りつぶそうとしても、鉄でも仕込まれているのかビクともしない。
「うっ、クソッ!」
締まっていく首に力を入れ、絞め落とされない様に耐えるリディ。
「ククク、まだ落ちないか。ならこれならどうだ!」
刺青男が状態を後ろに逸らしさらにリディの首を締め上げる。リディは首が捥げそうになりながらも意識を手放さないよう歯を食いしばる。
「頑丈な娘だ。痛ぶりがいがある」
(この、サディストめ!)
嬉しそうな刺青男の声に内心で悪態をつく。
「この!!」
そんなリディの状態に焦り、サラが室内にあった椅子を刺青男の足に叩きつけるが、足にも鉄を仕込んでいるのかビクともせず逆に椅子の方が砕けてしまう。それでもサラは砕けた木片を震える手で構え男と相対する。
「は、離せ! さもないと!」
男の足に飛びかかろうと駆け出すサラ。だがその瞬間、男の殺気を込めた眼光がサラに突き刺さる。
「うっ!」
「邪魔するなよ……お前の相手はこいつの後なんだから」
男の濃厚な殺気に当てられ、糸切れた様に意識を手放し倒れるサラ。まだ幼い子供には到底耐えられなかったのだろう。
「ぐうぅぅ!」
サラ! と叫びたかったが首が締まっているせいで声が出ないリディ。いい加減耐えるのも限界に近く、頭がボーッとし始める。
(ヤバい……意識が)
ドンドン体の力が抜けていき、目の前が霞んでいく。男の声も随分と遠くに聞こえ始める。
絶体絶命。薄れてゆく意識の中、自分の死が近づいてくる感覚を味わい思わず声がでるリディ。
「し、ぬ……」
もはや視界は真っ暗、体の感覚も失われ、わずかに聞こえてくる男の楽しそうな声も何を言っているのか聞き取れない。
助けも来ない。この世界に来て6年、リディの人生が今ここで幕を閉じようとしていた。
しかし、男の次の言葉に離れつつあったリディの意識がもうスピードで戻ってくる。
「安心しろ、お前は生け捕りにしろと言われている。あちらと違ってすぐに死ぬ訳ではない。もっとも死にたくなる様な事をされ続けるだろうがな」
なぜだか鮮明に聞こえた男の言葉に、腹の底が沸騰する感覚を覚えるリディ。
(あちらと違ってすぐ死ぬ訳じゃない? あちらってどちらだ? まさか、まさかだよな?)
男の言う“あちら”とは誰の事か考えるリディ。初めはサラから暗殺の企てがあると聞いて、対象は自分自身だと思っていた。どこで恨みを買ったのか分からないが、訳の分からない奴などたくさんいる。些細な事で殺される可能性もこの王都だったらあるだろうと。
しかし今自分の首を絞めている男はリディを生け捕りにしろと言われていると言った。ならなぜ暗殺という言葉が出て来たのか? 誘拐でいいのではないか?
答えは簡単に出てくる。暗殺の対象が別にいるのだ。しかもそれはリディの身近な人物。
そこまで考えてリディの頭にはある人物の顔が浮かんできた。リディの大好きな父親、ユーリの顔だ。
(まさかこいつら……おとうさまを殺そうと!?)
カッと目を見開くとリディの周りから怒気が充満し始め、男の殺意を呑み込み始める。
「何だこいつは!?」
その怒気が空気を支配し、まるで押しつぶされそうなほどの圧が部屋を満たす。今まで笑っていた刺青男も恐怖を覚えたのか笑みが消え無意識からか後ろに下がって行く。
しかしいくら怒りの力を爆発させたとしても、リディに現状を打開する術はあるのだろうか? 尚も首は絞められ続け、男の腕はビクともしない。一番の問題は体が宙に浮いているので踏ん張りが利かない事だ。
男もそれを分かっているからか、リディの重圧に押しつぶされそうになりながらも距離を取らない。
「ク、クク! やっぱりお前は異常だよ! 思わず離しそうになってしまった。これほどの闘気は今まで感じた事もない! 実に恐ろしい……だがそれがどうした? 今のお前はただ恐ろしい威圧を放っているだけに過ぎない! 檻の中に入っている獣が、いくら吠えても睨んでも、檻が壊れる事なんてないんだよ!!」
そう、威圧は所詮精神にしか作用しない物。気の強い者や訓練を受けた者にはあまり聞かない代物だ。
恐らく男も相当の手練れ。感情をコントロールして無機物の様に感じなくする事など簡単なのだろう。だから檻の中の獣を例えに出したのだ。
まぁしかし、その例えが意味を持つのは中に入っているのが普通の獣だった場合のみだが……。
ズドンッ!! まるで鉄骨が叩きつけられるような大きな音が室内に響くと同時に男の体が持ちあがり始める。
「なっ!!」
目を見開く男。何が起きたのかを上手く理解できていない様だ。今の現状を説明するとこうだ。
男が後ろに下がったお陰でリディの足が壁に届く位置となった。リディはぶら下がっていた2本の足をその壁に突き刺し、どんどん上へと昇って行っているのだ。壁を地面にするというとんでもないリディの行動に動揺が隠せないのか、持ち上げられていく男。
「……はっ! 化け物がっ!!」
叫び腕を離す男だったが時すでに遅し。リディはそんな刺青男を地に着ける気はなく、頭をわしずかみにする。
刺青男は必死そうにリディの手を除けようとするが全くビクともせず、どんどん天井が近くなってゆく。
先程とは逆に今度はリディが刺青男をぶら下げている。その男の苦しそうな目線とリディの怒りの目線が交差する。すると刺青男は、「ひぃ!」と怯えた様に声を上げ動かなくなる。
もう壁が登れない位置にくると、リディの怒りが爆発する。ただ1言……。
「くたばれ」
そう言うと掴んでいた刺青男の顔を足を突き刺している壁に思いっきり叩きつける。衝撃音と共に陥没しひび割れた壁と刺青男の顔。
しかしリディは止まらない。壁から足を引き抜き血まみれの刺青男の頭を持ったまま後方に宙返りをし、膝を刺青男の後頭部に固定するとそのまま地面に向けて急降下。
ドシャーン!! と音をたて男の顔が床深くに叩きつけられる。
男の頭は見事床にハマっており、体はピクピクと痙攣した後、動かなくなった。生きてはいるだろう、恐らくだが。
「……カハァー」
熱のこもった息を吐き出し立ち上がるリディ。サラをチラッと見る……ちゃんと息をしている様だ。それを確認すると猛スピードで扉を破りユーリの部屋に向かう。
*****
黒装束の男3人に囲まれ戦闘を繰り広げているユーリ。背後から攻撃をしてきた男の腕を掴みナイフを奪うと腹を蹴り飛ばす。その隙に正面の男2人が同時に襲い掛かってくるので1人には掴んだナイフを投げ注意を逸らさせ、もう1人を確実に沈める為に顔面に掌底を食らわす。しかしインパクトの瞬間、後ろに重心を逸らされたお陰で昏倒させるには至らなかった。
この男4人が動き回るにはいささか窮屈な部屋で何度目かになる構え直し。3対1という圧倒的不利な状況でもユーリは冷静に男達の攻撃を捌き続けていた。
「クッ! 流石はブランシュ領公だ。模範騎士の異名は伊達ではないな」
何事も満遍なく鍛えぬいたユーリの剣術。その中にある素手で剣に対抗する技も、もちろんユーリは鍛えぬいている。しかし目の前の男同様、ユーリ自身も内心自分がここまで動けたのかと驚いていた。いくら名高い騎士だったからと言ってもそれはとうの昔の話。
若い時の様に修行漬けの毎日を送る事など出来る訳もなく、毎日領地経営の仕事の方に時間を割いてしまっているユーリ。なので昔よりも自分が弱くなっていると予想していたのだが、案外腕は鈍っていない様だ。
皮肉な話だが、これも偏にブランシュ領に攻めてくる野盗相手に実戦を重ねたおかげだろう。
(それに、肉弾戦の腕が上がっているな。リディとの組手のお陰か……)
リディは強い。齢11歳にしてもう組手の相手がまともに務まる者がブランシュではユーリしかいなくなってしまっている。
ちなみにユーリはまだリディ相手に黒星をつけてはいないが、内心では組手をする度に縮まっていく差に焦りを隠せないでいる。父親の威厳を保つためにまだまだ娘には負けていられないのだ。
ユーリは3人を見据えつつ思考する。
(フム、しかし動きの速い連中だ。上手く躱されてしまい中々決めきれない……体力にも限界があるし出来れば早く終わらせてしまいたいな)
かと言って焦燥して冷静さを欠くユーリではない。やる事は先ほどと同じ、来る攻撃を受け流し、隙を全力で叩く。1人1人確実に。
しかしユーリと違い、相手方は攻め方を変える考えを持っている様だ。男の1人がユーリを煽る言葉を発する。
「クク、いい加減その平淡な顔は見飽きましたので、少し楽しい話を聞かせてあげましょうか」
「……挑発のつもりか? 時間の無駄だと思うぞ」
「それはどうですかね? 所でブランシュ領公殿は娘さんと大層仲がよろしいみたいですねぇ? いやあれほど身め麗しい少女に好かれているなんて羨ましい限りですよ」
「……」
ユーリの眉が少し吊り上がる。男は煽りが成功したと思ったようで、さらに言葉を続ける。
「それなのに残念ですね。あの娘の最後を見届けられなかったなんて、いや、悲しい」
意味深に含み笑いをする男達を無言で見つめるユーリ。
「どんな顔をしていたと思います? 相当怖かったのでしょうねぇ、涙を流しながらプルプルと小鹿の様に震えて実に可愛かったですよ。最後に『お父様』と1言。実に健気な少女だ。思わず同情して首を跳ねられないかと思いましたよ。まぁ思っただけですがね」
「ハハハ」と笑い声を大きくする男達。ユーリはさらに眉を吊り上げ、体も小刻みに震え始めた。娘を大事に思う父親がこんな事を言われたらどう思うだろうか?
冷静でいられる者がいるだろうか? 否である。そんな親などいるはずがない。
目論見がハマったと思っているのか男達がゆっくりと構えを取り始める。しかしユーリは相変わらず俯き肩を揺らしている。
「ハハハ、冷酷と噂される領公殿も所詮は人の親だったのですね。これは悲劇だ。ハハハハハハハハ――」
しかし男の笑い声に重ねるように笑う人物がいた。ユーリである。
「ハハハハハハハハ! 悲劇だって? 違うこれは3流以下の喜劇だ」
あれだけの事を言われたにも関わらず愉快そうに笑うユーリに男達は不気味な者を見る目を向ける。
「あ、あなたは、娘が死んで悲しくはないのですか!?」
「え? ああいや、すまないな。折角挑発して貰ったのに便乗できずに笑ってしまって。しかしお前達があまりにも可笑しな事をいう物だから、ついな」
ユーリは思っていた。涙を流しながら震える? 小鹿の様? 健気? 一体どこの娘の話だ? と。
そんなユーリが男達にはどう見えているだろうか? 恐らく娘の死を聞いて爆笑する頭のおかしい父親だ。
ユーリが笑っている今こそ最大の攻撃所の様な気もするが、男達は恐れからか汗を垂らすだけで体を動かそうとしなかった。
「狂っている」
1人の男が呟いたその瞬間、ドガン! と大きな音がこの宿屋から何度も鳴り響いて来た。
ユーリの笑いに混乱を見せていた男達は、突如聞こえてきたその音に反応してしまう。その隙をユーリは逃さなかった。
直ぐに表情を切り替え、正面の男2人を昏倒させる。
「クソ! 一体何の音だ!?」
仲間がやられたのを見て、後ろに下がる男。逃げようと思っているのかじりじりと扉に近づいていく。そんな男に涼しそうにユーリが答える。
「小鹿が怒った音だよ。知らないのか?」
「何を言って……」
笑みを無くし、男を睨む。
「あまり家の娘を嘗めるなと言う事だ。お前達如き束になってもあの娘には勝てない。次があるなら検討しておけ。まあ次はないがな」
そのまま男との距離を詰め始めるユーリ。
「さて、早くカタをつけないといけない理由が出来たな。このままじゃ重症患者が増えて医者が可哀相だ。お前だって五体満足で檻に入りたいだろう?」
決着をつけるため低い姿勢で構えるユーリ。しかし男は予想外の行動に出る。
「クソ! こうなったら!」
男が上着をめくると、中から大量の爆弾が出てきた。それには流石のユーリも驚き思わず目を見開いてしまう。
「ハハハ! こんな事もあろうかと用意しておいて良かったぞ! どうだ? いくら貴様でもこれが爆発したらただでは済まないだろ? ほ~らつけちゃうぞぉ~怖いだろ? あ?」
男がやけくそ気味にマッチをやすり部分に当てる。少しでも手を引けば導火線に火が点き爆弾が爆発するだろう。
「馬鹿な事を。闇に生きる暗殺者が聞いてあきれるな。花火師に転職したらどうだ?」
「黙れ! どんな手段を使っても任務は遂行する! それが我々の誇りであり、プライドであり……え~さっき誇りって言った?」
「言った……お前実はかなり緊張しているな? さては新人か? 止めておけ、碌な結果にならないぞ」
ユーリが呆れているが、その態度はさらに男に油を注いでしまう。
「黙れ黙れ! 緊張などするものか!! 俺の覚悟見せてやる! さぁ領公殿よ、共に地獄に落ちようぞ!!」
「よせっ!」
そうして男が腕を振り上げ、振り下ろす。マッチに灯るゆらゆらとした火が導火線に近づこうとしたその瞬間!
「おとうさま!! ご無事ですか!?」
「あっ」
リディが勢いよく扉を開けるものだから、マッチの火が風圧で消えてしまう。
「「「……」」」
数秒の沈黙の後
「……さぁ、共に地獄に落ちようぞ!!」
男が仕切り直し、再び火を点けようとマッチを出すが、それは運悪く古いマッチだったのか何度擦っても火が点かない。
何だか空回りする敵が居たたまれなくなってくるユーリと何となく動けないでいるリディ。
「クソ、なぜ点かない! 何でいつも俺はこうなんだ!! 肝心な所でいつもこうだ! ああ神様! 俺はどうすればいいんだ!?」
「舐めればいいんじゃない?」
「なるほど!!」
リディの助言を真に受け男が何故だかマッチをべローンとなめ始めた。ホントに何故だ……。
「あんた馬鹿でしょ?」
リディが呆れ顔でそう言うと、扉を引っこ抜いて男に叩きつける。
「ドアラッ!」
意味深な叫び声を発し、男が壁に叩きつけられ悶絶する。
「見てるこっちが恥ずかしい……ああはなりたくないな」
ユーリは顔を押えそう呟くと、悶絶中の男に扉を引き摺りながら近づいていくリディを引き留める。
「リディ、そいつには依頼主について話して貰う。だから2撃目はなしだ」
「でもこいつはおとうさまを暗殺……いや爆殺しようとしたのですよ? せめて腕の一本ぐらいちょん切っちゃいましょうよ。肩が軽くなったらペラペラと話しだすかもしれませんし」
「ヒィ!」
怯える男に威圧を放ち詰め寄るリディ。怖い事を言う娘だなと内心苦笑いをするユーリ。
だが、男の怯える姿を見てこのまま乗っかった方が尋問が捗ると思いリディと同じように威圧を放ち男に詰め寄る。
「まぁそれもいいが少し待て。この男の意見も聞いてやらねばな」
怯える男に冷酷な笑みを見せるユーリ。
「お前はどちらが良いと思う? 紅茶を飲みながら平和的に話をするか、それとも……好きな方を選んでいいぞ?」
あえてそれともの後を言わずに恐怖心を煽るユーリになけなしの抵抗を見せる男。
「あ、誰が……言うものか」
「……そうか、なら私は赤い絨毯でも買いに行こうかな。目立たなくするために」
「ええ、いってらっしゃいおとうさま……ごゆっくりと」
ユーリの後ろで右手をボキボキと鳴らすリディを見て、顔面が蒼白になる男。そんな男にユーリが止めの一言。
「折角助かった命だ……大事にしないとな」
もう男に抵抗する気力は残されていなかったのだろう。そこから男はせっせと口を動かしてくれた。




