第35話 王都編 6
食堂の隅に汚らしい薄い布が置かれている。ここがサラの寝床である。床は堅いし風が吹けば寒いしでお世辞にも良い環境とは呼べないが、それでもサラはその布に包まりながら満足そうな顔をしていた。久しぶりにまともな食事を食べれて、お腹が膨れる感覚を噛みしめているのだ。
それもこれも全ては今日たまたま出会った領家様のお陰だ。一人は悪い領家を絵に描いたような冷たい顔が特徴の男、そしてもう一人はまるで絵画から飛び出してきたような美しい女性。いや少女か。
なぜだかその2人、特に少女の方はサラを気にかけてくれている様だが、領家が一般人に懇意にするのは裏がある証拠だと言うのはこの街ではよく知られている事。
そんな考えがあったからこそ、サラは極力上手い話には乗らない様に目を合わせない様にしていた。
そんな時、少女の領家が家に来ないかと手を出してきた。サラだって本音を言えばこんな惨めな生活とはおさらばしたいと思っている。まともな食事はでない、こき使われる、少しでも口答えをすると殴られ、しなくても殴られる。この宿屋の夫婦はそういう事を平気でするのだ。サラ自身何回逃げ出そうと思い、実際に逃げ出したか……その度に思い知らされてきた。亭主と女の拳と共に、逃げだしたらどうなるかを。
もしあそこで亭主が来なかったら、少女領家の誘いに乗ってしまったかもしれない。いや、確実に乗っていただろう。
それほどまでに少女領家の笑顔が、言葉が、差し出された手がまるで魔法にかけられたように魅力的に映っていたからだ。
こんなに寒い場所なのに、あの領家の事を思い浮かべると胸が熱くなってくる。なぜあの時手を掴まなかったのか! そんな後悔が頭を廻る。
しかし直ぐに平静を保つため逆の事を考える。いやいや、あの手を握っていたら恐らく自分は亭主達からひどい目に会っていただろう。下手したら殺されているかもしれない。それに領家なんだから、もしかしたら自分を騙して遊んでいたのかもしれない。いつもあの忌々しい亭主と女が言ってるしね……領家は信じるな、と。
しかし、そう自分に言い聞かせてもどうしても考えてしまう。
(……もしあれが本音で言っていたなら。本当にわたしを)
少女領家、リディの言葉が思い返される。
『身内は絶対に大切にするし、裏切らない。何かあったら私が守ってあげる』
あの言葉には暖かさがあった。もしかしたら自分はこの最悪な環境から抜け出す事の出来る千載一遇のチャンスを棒に振ってしまったのではないか? あの手を握っていたのなら、自分はこの奴隷の様な生活から抜け出せたのではないか? そんな考えが脳裏を過ると思わず涙が目に溜まっていってしまうサラ。
(もう、考えない様にしよう……どうせ無理なんだから)
薄い毛布を頭に被せると足が寒くなり、足に被せると頭が寒くなる。皮肉な事にお腹一杯に食べたせいでいつもみたいに限界まで体を丸める事が出来ないと感じ立ち上がる。
(少し、散歩しよ)
お腹の中のものが消化されるまで、寝る事は出来そうにない。それに思考がグチャグチャで少し運動をしないと頭がパンクしそうだったからだ。
表から出ると誰かに見られてまた亭主達に怒られそうなので、裏口の人気がない道を歩こうと考えるサラ。
裏口を開けると冷たい風が顔に突き刺さる。白い息を吐き、俯きながら歩き出そうとする。
その時、不意に声が聞こえて来たので、思わず隠れるサラ。
恐る恐る覗いてみると、2人の男が話している。
1人は良く知っている顔だ。ここの憎たらしい亭主である。もう1人は誰だか分からないが、どう見ても堅気ではなさそうな顔まで隠す全身真黒な服だ。
何だか恐ろしくなり、すぐに戻ろうとするサラだが、亭主の言葉に動きが止まる。
「でも、ほんとにいいのですかい? 領家を殺したら大問題ですぜ?」
(え? 殺す?)
再び2人を覗き見ると亭主が男から袋を受け取っている。中に入っているのは大量のお金だ。亭主がその金を嬉しそうに数えていると黒装束の男が言葉を発する。
「貴様が言わなければ、問題にはならない。貴様は何も知らないし、何も見ていない……いいな? もし言ったのなら」
そういうと男の眼光が亭主を貫く。
「だ、大丈夫ですぜ! 俺ぁ金が貰えればそれでいいんですから!」
「……ふん、ならいい。で? 例の領家はどの部屋にいるんだ?」
「へい、2階の奥の部屋には男が、一番手前の部屋には女がいます。先ほど見に行ったんですがぐっすり寝ていましたぜ」
「余計な事をしなくていい」
「す、すいやせん……」
事態を理解してしまったサラは思わず口を押える。話を聞く限り、あの2人は今日ここに来た領家を暗殺しようとしていたのだ。
どうする? 今ここで領家の2人の元に行き真実を伝えるか、それとも見て見ぬふりを通すか……。
しかしサラは直ぐにどちらが自分の為になるか答えを導き出した。それは見て見ぬふりを通す事だ。
もしここで知らぬ存ぜぬを通せば、自分はいつもの日常に戻る事が出来る。それもクソくらえだが死にはしない。
だがここでもし暗殺の事をリークしたのならば、確実にサラは殺される。亭主と女、もしくはあそこにいる暗殺者に。
(そうだよ……わたしには関係ない事だよ)
荒くなる息を必死に押え自分に言い聞かせる。自分には関係ない、自分には関係ないと。
しかし酷くなる心臓の脈打ちが、全身の震えがそれは間違っていると言っているように感じる。
(止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ!! また殴られるなんてヤダ!)
震えを止めようと必死で体を押えるサラ。頭の中ではいつもの様に拳を振り上げる亭主と女の姿が思い出される。
(……ごめんなさい)
そう思い、俯くサラ。
「ん?」
「どうかしたんですか?」
黒装束の男が横に視線を向けると、亭主が不思議そうな顔をする。男は足音を消し投影用のナイフを取り出す。そして宿屋の裏口の前に出る。
「……」
しかしそこには誰にもいなかった。男が地面に手を置くと、わずかにフードがずれて顔の刺青が露わになる。
「……ちっ!」
男は舌打ちをすると、瞬時にそこからいなくなった。
*****
「ふぁ~あ」
ベッドに横になり大きく欠伸をするリディ。部屋の中は広さはあるが、おいてある家具は小さい机と小さいクローゼットのみ。これで銀貨40枚と言うのだから笑えて来ると力なくほくそ笑むリディ。
外に目を向けると、窓の外には大きな月が見える。
(あ~あ、予想通り王都は最悪な所だったなぁ。遠いし、馬鹿にされるし、変な領家に絡まれるし、ボッたくしられるし、それに……)
そんな事を思い大きなため息を吐き天井を見る。
「それに……何か変な奴が上にいるしね!」
その瞬間、リディめがけてベッドの真上の天井から黒装束の男がナイフ突き刺そうとしてくる。
それをバック転の要領で躱すリディ。リディが寝ていたベッドには深々とナイフが突き刺さっており、殺す気であったかは不明だが避けなかったら確実に肩辺りを貫いていただろう。
あんな無防備な状態から完璧に避けられたのだから少しは動揺してもよさそうなものだが、男は即座にナイフを引き抜き、構える。
「へぇ」
その男を見て、リディの目が細められる。今まで戦ってきた野盗の連中とは訳が違う。恐らく相当な手練れであろう事をリディは直ぐに察する。
「サンタにしては少し過激じゃない? それに衣装も赤くないし、体系もシュッとし過ぎよ。子供の夢を壊さないでよねぇ全く」
ヤレヤレと首を横に振ると瞬時に男が間合いを詰めてナイフを刺そうとしてくる。がリディは床の板を1枚踏み抜き盾にする。
深々と板に刺さったナイフからは透明な液体が流れ出ている。
(何かしらの毒か)
突き刺さったナイフを引き抜かせる前にリディが右蹴りを男に放つが、男は即座にナイフを捨て後ろに下がりまた新しいナイフを構える。
惜しげもなくナイフを捨てる決断力。やはりただものじゃなさそうだとリディの中で男の危険度が上方修正される。
あれが致死性の毒かは分からないが塗ってある以上、一撃でも食らえば終わりだ。そのため少しの油断も出来ない。
リディは拳を前に出し構える。その時、男が初めて口を開く。
「ほう、ただの小娘かと思えば、中々やるではないか」
「ありがと。あなたも中々にハンサムよ。顔を見せなければね」
「言ってくれるな」
リディの軽い挑発にも乗ってこない。だが口を開いたと言う事は少しは話す気があると言う事だ。乗ってくるかは微妙だが、話術で上手い事情報を引き出せないかと考えるリディ。
「一応聞きたいのだけれど、何しに来たの?」
「それを貴様に話す義理はないな」
「まぁ大体予想は出来るけどねぇ~。誰の差し金? あ~なるほどあいつかぁ~」
男を上から下まで見て、納得したように頷くリディ。もちろんこれは相手を動揺させる演技だ。
「……」
「何であいつなんかについているの? 悪いけど王様も嫌っている様な奴だよ?」
ここでさり気なく自分が王様と親しいとアピールし、しかも雇い主がこの国の絶対者に嫌われていると言う事実を織り交ぜ忠誠心を崩す。
「でもさ、あなたは仕方なく雇われただけなんだし、ここは大人しく帰った方がいいんじゃない? 後は私が上手い事やっておくからさ!」
ここで私はあなたのためを思って言っているんだとさり気なく気遣う。後は大人しく帰ってくれたら後をつけて居場所を特定するだけでいい。果たして引っかかるのか?
「そんな馬鹿な手に引っかかると思っているのか?」
「ああ、ダメか。残念無念」
まぁ当然だろう。リディもやってみるか程度で行った事だし、別に上手く行くなどとは思っていない。
「ま、なら無理やり椅子に括りつけて楽しくおしゃべりして貰うまでね」
「なめるなよ! ガキが!」
掛け声と共に男がナイフを投影する。それをしゃがんで躱し、男に肉迫するが男は既に2本のナイフを構え振り回す。
一体どれだけ隠し持っているんだと嫌味を言いつつ、男の攻撃を躱し続けるリディ。
上に下に右に左に、男の縦横無尽な動きに手を出せずにいる。少しでも掠めたら毒にやられてしまうからだ。
眉を顰め、バックステップで距離を空ける。この時だけは無駄に広い部屋で良かったと夫婦に感謝するリディ。
自分が押していると思っているであろう男は余裕そうにナイフをクルクルと回し言う。
「どうした? 調子が良いのは口だけか?」
「うわサイテー、女の子相手に毒付きナイフ馬鹿みたいに使って偉そうに。お手ては2本しかないんだからその本数で我慢しなさいよねぇ」
「たまに貴様みたいな規格外な奴がいるからな。油断は出来ないんだよ。特に俺の様な殺しを生業としている輩は少しの手抜きが命取りになるのでな」
「……ふむふむ、確かにそうかも。言い負かされてしまったわ! フフフ、小手先だけじゃなくて口も達者なのねあなた」
最もな男の言い分に、どこか楽しそうに驚く演技をするリディ。その余裕そうな顔に不気味な者でも見た様な声を出す男。
「……この状況を分かっているのか? なぜそんな余裕そうに笑っていられるんだ?」
「笑う? 私が?」
そう言われ口元に手を持っていくリディ。確かに笑っている。こんな命のやり取りをしているにもかかわらず、なぜ自分は笑っている? なぜこんなにも気分が高揚している? リディは考える。
(ああ、そうか……)
今まで殺す殺されるの戦いなど、ブランシュに攻め込んできた野盗達相手に腐る程やってきているリディにとっては、この状況はいつもと何ら変わりない物なのだ。ただ場所が王都で部屋の中と言うだけの違いしかない。
大雑把に言うと戦いになれているのだ。殺意を向けられる事も、相手が武器を持っている状況も。
「フフ、馴れって怖いわぁ~。まるで戦闘凶みたい」
月明かりがリディの全身を照らす。左手を頬に当て、体は自然体だがどこか妖艶に見える。赤い唇が上がり、楽しそうな赤い瞳が目の前の男を射抜く。
「っ! 狂った女だ!」
そんなリディを見て慌てたようにナイフを投影する男。リディは上体を下げ自身に向かってくるナイフをじっくりと見て柄をキャッチする。
しかし男は笑っている。なぜならそのナイフはフェイクで本命は掴んだナイフの影に合わせて投げられたもう1本のナイフだったからだ。
普通ならどう見ても避けられないし掴めないタイミングだ。と男は思っているのだろうが、生憎リディの体は普通とは違う。
「おっと!」
リディは床を蹴り上げ、頭を軸に体を180度縦回転させると言う曲芸じみた方法でそれを見事躱し、すかさず自分が今までいた所を通り過ぎるナイフをキャッチする。
「なにっ!?」
驚きを見せる男を無視して、リディは空中で逆さになった状態から掴んだ2本のナイフを男に向かって投げ返す。
もちろんリディの様な人間離れした技を出来ない男は避ける以外の選択を取れず、地面に張り付く形でそれを躱す。しかしリディの攻めは止まらない。
「ねぇ、サッカーってこの国にもある? こうやるんだよ」
いつの間にか男に迫っていたリディは左足を後ろに掲げ、男の顔面めがけて思いっきり蹴りを放つ。
「クッ!!」
しかし男も中々やり手な様で、這いつくばった体を横に回転させギリギリの所でリディの蹴りを躱す。凄まじい音で足を空振りしたリディの足は今真上に上がった状態だ。
これは完全に無防備な状態だと判断できる。そして男がそれを見逃すはずもなく体制を整え、自分の懐に手を入れる。恐らくまたナイフを出すのだろう。
「もう一丁!」
それを良しとしないリディは明るい声で、振り上げた足を強引に方向転換させ、踵を男のこめかみめがけてふるい落とす。こんな荒業肉体チートがあるからこそ出来る代物だ。
「ぐわっ!」
浅かった様で、男のフードを破る事しか出来なかった。しかし男に大きな隙が出来た。
男の懐に飛び込み拳を構えるリディ。露わになった驚愕する男の顔をニコッと見つつ。
「ほらね? やっぱり隠してた方がイケメンだよ」
男の腹に標準を定め弾丸の様な左拳を突き上げようとする。が瞬間男が笑った。
その笑みに違和感を感じ、良く見ると破れた男の服から僅かに見える銀色。男の腹部に仕込まれている鉄板だ。
拳を止める事は出来ない。しかし直ぐに腕を脱力すれば当たった時のダメージは浅くて済む。そう考え拳を引こうとするリディだが、男のニヤける顔が視界に入るともう考えるのをやめた。
「しゃらくさいんだよぉぉぉぉ!!」
ガキンッ!! リディの突き上げた拳は体重差など関係なしに男の体を空中に浮かせ、数秒の滞空時間を経て男は床に墜落する。
動かなくなった男を確認すると、自分の拳を見るリディ。赤く腫れているが痛みはない。いやアドレナリンの影響で感じていないだけか。握るのにも特に影響はない様なので砕けてはいないだろう。
「……ふぅ~、結構強かったかも」
脱力し、部屋のクローゼットを空けるリディ。
「もういいよ」
「は、はい!」
中にはブルブルと震えるサラが入っていた。実は暗殺者の男が来る前、ぐっすりと眠っていたリディはサラに起こされていた。恐怖からか震えが押えられないサラの話は理解に少し時間を要したが何とか暗殺の企てがある事を理解したリディ。それと同時刻に気配を感じたので急いでサラをクローゼットに隠した、という経緯だ。
「あの……あっ!」
おどおどと出てくるサラはリディの拳が腫れている事に気がつき顔を一気に青くする。
「どうしたの?」
「そんなっ、こんなに綺麗な、御方に傷を……ごめんなさいっ!」
泣きながら頭を下げるサラに困惑するリディ。
「ちょっと! 別にこれはあなたのせいじゃ――」
「――いえ! わたしが悪いんです!」
頭を下げつつ、叫ぶサラ。
「わたし、あなたに誘われて本当はとっても嬉しかったんです! こんなわたしに手を差し伸べてくれて微笑んでくれて、お腹一杯ご飯を食べさせてくれて。初めてでした。あそこまで優しくされたのは……」
サラが涙が床にぽたぽたと落としながら蹲る。真剣な顔でそれを聞き続けるリディ。
「なのにわたしは悩んでしまったんです! 暗殺の話を聞いた時に自分は関係ない、見なかった事にしようと! 本当に自分勝手で、弱虫で愚図でどうしようもない人間です……」
「……サラ、顔を上げて?」
震えながら蹲るサラの顔を上げさせ、優しく微笑むリディ。
「どこが? あなたは私の元に駆けつけてくれたでしょう?」
「それは、ただ混乱してて、訳も分からずに!」
「それでも来てくれた。無意識だろうが何だろうが、あなたが私を助けてくれた事には変わりないわ」
サラの涙を無事な方の右手で拭うリディ。
「自分を卑下しないで。あなたは他人を思いやれる、強くて立派な人間よ。誰が何と言おうと、私が保証するわ」
サラの頭を抱きしめ、撫でる。次第にサラの震えが無くなってゆくのを感じるリディ。
「……はい、ありがとうございます」
絞り出すように声を発するサラは迷うようにリディの背に手を回そうとする。しかし――。
「感動的じゃないか」
「っ!! 離れて!!」
「きゃ!」
突然聞こえてきた男の声。先ほどの男より明らかなレベルの違いが肌で感じられる程の威圧を背中に感じるリディ。直ぐにサラを突き飛ばし背後を振り向こうとするが、男の方が早かったようだ。
「ぐっ!」
「リディさん!」
首に腕を回され、男と体が密着する。足が宙に浮いてしまいジタバタと足掻くリディ。
「やっと隙が出来たか。全く末恐ろしい小娘だよお前は」
男の腕の力が強まりリディの首が締まってゆく。
「かはっ!」
(こいつ、絞め落とす気か!)
辛うじて上に目を向けるリディ。男の顔には大きな稲妻の様な刺青が入っていた。
しかしそれが分かった所でこの状況が改善する訳でもなく、リディは耐えるしかなかった。




