第33話 王都編 4
「このバカリディ!! さっきのあれは何!? 死にたいの!?」
ジュリアムに引きずられる形で会場の外に来たリディは現在、廊下の隅でお説教を受けていた。怒りに顔を歪めるジュリアムの前で正座をしているリディが口をすぼめながら言う。
「だって、何言ってもいいって言ってたし」
「ええ、言ってたわね。じゃああなたは人間が大好物な魔物が『食べないから口の中に入って~』と言ったら素直に入るの? 体中に甘い蜜を塗ってスキップしながら飛び込むのね?」
「いや……」
そんな事は流石にしない。いくら食べないと言われても相手は獣と同じで理性が働くか分からないからだ。
「しないでしょ? そんな事をしたら、あなたのお腹から上は右下、お腹から下は左下、お腹は魔物のお腹の中だものね。つまりはそれと同じ。王女様だって、王様だって、それを超える超王様だって所詮は不完全な生き物よ。完璧に理性を保てる者なんていないのわかる?」
確かに感情のある人との約束が100パーセント守られる保証などどこにもない。それがまだ幼い女の子なら尚更だ。少しの発言でリディの首がバイバイする事にも成りえただろう。
「そうだね……短慮だったよ。ごめんね、あと助けてくれてありがとう」
頭を下げ、ジュリアムに感謝の笑顔を見せるリディ。その笑顔に毒気が抜かれたのか怒りが消沈していくジュリアム。
「……全く、あなたがいなくなるなんて、そんなゾッとする思いさせないでよね」
「そんなに心配してくれたの? う、嬉しい事言ってくれるなぁ~」
ジュリアムの言葉に照れたように頭を掻くリディ。
「心配に決まっているじゃない。だってあなたは私にとって……」
愛おしそうな視線でリディの手を掴むジュリアム。この流れはまさか! と淡い期待を胸に顔を赤らめるリディ。まさかの初彼女が出来――
「大事な大事な……お金のなる木で、モルモットなんだから」
「おいふざけんな。感動と純情を返せ」
理由を聞いて真顔になるリディ。ジュリアムも本心ではないのだろうが、照れ隠しにしては辛辣である。まぁこれが2人の心地の良い関係なのだが。
それから少しして、ジュリアムはダリアに呼ばれ会場に戻っていった。リディも戻ろうかと迷ったが、再び群がられるのも、王女に出くわすのも御免なので社交界が終わるまで廊下で大人しくユーリを待つ事にした。
ドア越しに会場の中から楽器を奏でる音が聞こえてくる。そう言えば会場の隅にチェロやピアノの様な楽器が用意されていた事を思い出すリディ。
(ダンスでも踊っているのかな? それにしても綺麗な音色だ)
目をつむり、クラシックの様なその音に耳を傾けつつ体でゆっくりとリズムをとる。
静かな空間に微かに聞こえる美しい音色。王都に来てから忙しなくしていたリディは初めて心休まる時間を堪能しているのであった。
「おや? 誰かと思えばあの顔だけ領公の娘ではないか」
しかし、そんな空間も下卑た声に天国から地獄に早変わりしてしまう。眉を顰め声の聞こえた方に目を向けると、そこには先ほど一般街で問題を起こしていたロブリ―準領公が嫌な笑みで立っていた。
(ちっ! こいつ会場にいたのかよ)
内心で舌打ちをしながら軽く頭を下げるリディ。
嫌な奴にあったと思い、面倒ごとになる前にここから離れようと即座に会場とは逆側に歩きだそうとする。だがロブリ―はそんなリディを逃そうとはしなかった。
「おい、何だその態度は! 田舎者は自己紹介も出来ないのか?」
怒ったようにリディの肩を掴むロブリ―。そのベタベタする手に不快感を表すが、ここで手を払ったりでもしたらより面倒な事になるのは火を見るより明らかと判断し嫌々ながらも対応する事にするリディ。
「これはどうもロブリ―準領公様、ブランシュ領公家が娘、リディ・ブランシュと申します」
笑顔を張り付けて両手でスカートを持ち上げ頭を下げるリディ。
「はん! だから何だ?」
(お前がやれって言ったんだろこのデブ!)
ロブリ―の見下した発言に殴ってやりたい気持ちになるが深呼吸で自分を落ち着かせる。もう自己紹介はした。これ以上この男と話す事など1つもない。
「それでは私はこれで」
なので再び去ろうとするリディだが、またもやロブリ―に阻まれる。
「待てと言っているだろう!」
(言ってねぇよこの豚!)
どうやらリディを逃がす気はないらしいロブリ―にため息を吐くリディ。本当に嫌だが仕方なく話を振る。
「あの、私に何か?」
「いやなに、先程は貴様の父親に世話になったからな、少し恩返しをしたいだけだよ」
つまりはユーリに怖い目に会わされたが本人に仕返しする勇気がないのでその娘をいじめて意趣返しと言う事か。
(くだらない。体の割に小さい奴だな)
余りの小物ぶりに笑顔が崩れリディの眉間に皺が寄ってしまう。
「何だ? その顔は!?」
「うぐ!」
その変化に気づき怒りを露わにするロブリ―はリディの後ろ髪を掴み下に引き、顔を無理やり上げさせてくる。
拳に力が入り今すぐにでも目の前の男を殴り飛ばしてやりたい衝動に駆られるリディだが、それも何とか我慢する。
ユーリに問題を起こすなと言われている事、先程のジュリアムの言葉、その2つがリディの鎖になっているのだ。
「フン! こんな小娘をブランシュ改革の顔役にするとはあの男は何を考えているのか」
ブランシュが飛躍的に発展した事は今や周知の事実。それは偉大な事でそれを成した人物はとても有能であるという事の証になるのだ。本来なら領公であるユーリの手腕が成せる業だと言う事になるのだが、なぜだかブランシュ改革に1番貢献したのはリディだと言う噂が流れてしまっている。まぁ実際にそうなのだがロブリ―はリディがそれを成したとは到底思えない様で、ユーリが何かしらの意図があって娘を顔役にしているのではないか、と考えている様である。
「いや……そう言う事か」
何かに気づいたように、再び嫌な笑みを浮かべるロブリ―。まるで商品を品定めする様にリディの顔を動かす。
(我慢、我慢、我慢)
成されるがままのリディはひたすらそれに耐える。
「この美しさだ、1目見たさに来る輩がいるだろうな……ククッ! 娘を出汁に使うとはあの男も中々下種な奴だ」
ロブリ―が顔を近づけてきたため、その口臭がリディの鼻に臭ってくる。
「どうだ? 下種男との家族ごっこなどやめて私の店で働かないか? 今でこの美貌なら少し経てばさらに美しくなるだろう。そうなれば寄り付く客は山ほど現れるだろうな。今の田舎暮らしよりうんと上流階級に相応しい生活が出来るぞ?」
そこまでがリディの限界だった。気づいたら口が開いてた。
「ベタベタした手で触るなこの豚が! それに臭いんだよ! さっきの女の子にもっと果物をぶつけて貰えば良かったんじゃないかお前!?」
「なっ! 何だと!?」
ロブリ―に髪の毛を引っ張られるが動じずさらに口を開くリディ。
「お金の食べ過ぎで二足歩行が出来てるような奴が、私のおとうさまを下種扱いするんじゃねぇよ」
「まだ言うかこの小娘が!!」
ロブリ―が腕を振り上げリディに下ろしてくる。しかしリディからしたら遅すぎる程のパンチだ。ガッとその拳を掴む。威力もまるで蚊が止まった程にしか感じない。
「何!?」
腕を掴まれた事に動揺するロブリ―はリディから距離を取ろうとするが、いくら引いても押しても掴まれた腕はビクともしない。
そんなロブリーの腕を握り潰してやろうかと思った矢先、会場の扉が開く音が聞こえ我に返るリディ。どうやら社交会が終了した様だ。
何ともタイミングが良いのか悪いのか分からないが、この場面を見られる訳にはいかないと考えるリディはロブリーに忠告だけ残す事にする。
「今あなたが無事でいられるのは、おとうさまの忠告があるからです」
リディが手に少し力を入れるとロブリーが痛そうに膝を崩す。
「ぐああ!」
顔を冷たく凍てつかせ、赤い瞳をロブリ―に合わせるリディ。まるで蛇に睨まれたカエルの様に動かなくなるロブリ―。
「忘れないで下さい。あなたみたいな実力がないのに権力を振りかざす様な人間は碌な死に方をしないって相場が決まっているの。矢に当たりたくないのなら精々腰を低くして生きてなさい。そっちの方が、あなたの大好きな汚れたお金を見つけられるかもね」
手を離すとロブリーは蹲り掴まれた腕を押える。リディはそんなロブリーを冷たい目で見下すと、ドレスを翻しその場から離れていく。
後ろでは会場から出始めた領家達が蹲っているロブリ―に声を掛け始めているがリディは一度も振り返らず会場の中にいるであろうユーリを探す。




