第28話 ジル決断編 4
皆が寝静まった頃、リディは未だに屋根の上で膝を抱えていた。あれから何度もメイドやユーリ、アリアンヌが説得に来たけれど頑としてここから降りるつもりはリディにはなかった。
この世界は現代と同じように春夏秋冬があり、今は秋頃だろう。吹き抜ける風が少し肌寒くブルッと震えるリディ。
「何なんだろう、今の私」
頭の中で先ほどのやり取りを思い出す。今冷静に考えて見てもやはりジルが学校に行きたいと言うのならば行かせてあげるべきだとリディの中で結論がでてくる。
家族が大好きで家族の為に何でもしてあげたいリディ。
なのに今回の件に関しては全然協力的になれない。いやむしろ妨害をしたいとすら感じている。
そんな矛盾にやきもきしながらため息を吐く。
(そう言えば、前の世界で兄貴がいた奴が言ってたな、兄貴が出てくと清々するって。部屋も独り占めできるし、食べ物も取り合わないし、うるさく言われないし……)
頭の中でジルが居なくなった生活を想像する。ジルのいない部屋。ジルのいない食事、ジルのいない毎日……。
「……うっ!」
想像するだけで悲しい気持ちが溢れてくるリディ。どうやら前世の友人の話にリディは当てはまらなかった様だ。
膝に顔を埋め、前後に揺れ始めるリディ。悲しくなる気持ちを行動で消そうとする、久々の前世での癖が出て来てしまう。
(大体兄さんも兄さんだ! 家族と離れるのに何とも思ってないのか? あんなに普通そうにしてさ!! 薄情な奴!)
ふつふつと怒りが湧いてくるリディ。そんな考えも、悲しさを紛らわすために必要なのだろう。
「リディ?」
そんな時、後ろから声が掛かり咄嗟に振り向く。そこにはこの件の中心人物であるジルが包みと木剣を持ってフラフラと立っていた。
兄の登場に嬉しく思い声を出そうとするが、すぐに不貞腐れたようにそっぽを向くリディ。
(あ~、何でこんな態度取ってるんだよ!)
自分でもよくわからない行動に苛立つリディ。
「わわ! ここ危ないよ」
屋根の傾斜に苦戦しつつも木剣を支えにして何とかリディの横に腰掛けるジル。
「ふぅ。やっとついた」
笑顔で言うジルに不機嫌そうに目だけを向けるリディ。
「何の様ですか? 私なんてほっといても何とも思わないでしょ……ちっ、こんな事言ってどうするんだ」
自分の発言に舌打ちをするリディ。そんなリディに持っていた包みを渡すジル。中にはおにぎりが入っている。
「夕飯食べてないでしょ? だから持ってきたんだよ」
ジルの笑顔と気遣いの気持ちに申し訳なくなり俯くリディ。そんなリディに言葉を続けるジル。
「それと、さっき言いかけた話の続きをしに来たんだ」
「さっき?」
「ああ、僕がなぜ学校に行こうと思ったかだよ」
そう言えばジルが何か言いかけていたが、自分が聞かずに泣きじゃくり逃げた事を思い出すリディ。
「上を見てごらん?」
ジルに促され、上を見上げるリディ。そこには夜空に無数に散りばめられた星の数々が。
そう言えば、こっちに来た時にこの星空を見た時は感動したな~と懐かしく感じ、手を上に挙げ握りこむリディ。あまりにも星が綺麗に輝くので、掴めそうに感じてしまったのだ。
しかし思いだけで星が掴めるわけもなく、手をゆっくりと下ろすリディ。
「いつ見ても綺麗です。少し手を伸ばせば届きそうなくらいに」
「そう、近い様でとても遠い……僕にはね、君があんな風に見えているんだ」
「え?」
少し悲しそうに星を見上げるジルに言葉の意味が分からずキョトンとするリディ。
「僕達家族の為に無理をして、家族の為にブランシュ領を救って、家族の為に野盗と戦ってくれて……いつもいつも君は僕達を守ってくれている。そんな君が僕にはとても輝いて見える時があるんだ。正直羨ましいくらいにかっこいいよ」
ジルの悲しそうな視線がリディに向く。
「でも同時にとても不安になる。君は止まれって言っても止まってくれないから、いつか無茶な事をして壊れてしまうんじゃないかって」
自分が壊れる想像が全く出来ないリディはジルの言葉に共感できず眉を顰める。しかし大好きな兄が不安がっているのをほっとくわけにもいかず、元気づける事に。
「それは……私は頑丈ですから大丈夫ですよ!」
笑顔で返すリディ。しかしジルはその言葉に怒りを感じている様だ。
「ほら、また分かってない。まぁ嫌な事にそれがリディなんだけどね」
そんなジルの視線に焦り、思わず顔を逸らしてしまう。
「君にとって僕は常に後ろにいる存在で、どんな状況でも守るべき対象でしかないんだよ」
それの何が悪いのか? 自分が家族を守るのは当たり前の事なのに、なぜジルは怒っている? 考えてもジルの怒りが何なのか理解できないリディ。苦し紛れに出した答えは否定の言葉だった。
「……そんな事はないと思いますけど」
「はぁ~そんな事あるんだよ」
少し怒ったように立ち上がるジルに何か間違った事を言ったのかと不安になるリディ。
「えっと……何か怒ってます?」
しかしジルは直ぐに顔を元に戻しリディに笑いかける。
「リディ、少し運動をしようか」
そう言って木剣を持った腕をクルクルと回しながらリディと距離を取るジル。
「僕はこれでも騎士を目指しているんだ。だから木剣を使わせてもらうよ」
状況が理解できずオロオロとしてジルに問いかける。
「あの兄さん? 何をする気ですか?」
体を真横にして、木剣を両手で持ち斜め後ろに構えるジル。ユーリと同じブランシュ家に受け継がれてきた構えだ。
「僕と戦ってくれ。 全力で」
「はい!? 確かジル兄さんがなぜ学校に行きたいかって話ですよね!? 何でそんな事をする必要があるのですか!? 訳が分かりません!?」
「だからだよ……いいか手加減はなしだ」
混乱しているリディにお構いなしに向かってくるジル。今までジルとは何度も模擬試合をやってきたリディ。大体が互いに本気を出さず、軽く打ち合う程度だったのにも関わらず、今のジルからは本気のプレッシャーが感じられる。
「はぁ!!」
ジルの力の籠った横なぎをバックステップで躱すリディ。
ユーリには及ばないであろうが、14にしてこれほどの鋭い剣技を放てるのだ、相当な努力を積み重ねてきたのだろう。しかしここは足場の悪い屋根の上だ。
いつも通りの感覚でやるとすぐにバランスを崩す。案の定ジルがフラフラとしてしまう。
「おわっ!」
「あわわわわわ!! もうやめましょう兄さん!! ここじゃ危ないですよ!!」
気が気でないリディに何とか体を支える事の出来たジルが苦笑いで言う。
「ふぅ……はは、僕も自分でどうかしてると思うよ。でもまぁ、僕だってたまには馬鹿になりたい時もあるんだよっ!」
駆け出し続けざまに放たれた斬撃を横に転がり躱すリディ。肉体チートのお陰でバランスを取るのはそれ程難しくない。しかしそんな物持ち合わせていないのにも関わらず、ジルの猛攻は止まる気配を見せない。フラフラとしながらも次々と迫ってくるジルの剣技に躱す戦法を取るリディ。いや、躱す事しか出来ない。少しでも攻撃をしようものならジルが落ちてしまうのではないかと思っているからだ。
しかしこのままやっていても、危険極まりない状況に変わりはなく、リディはいつジルが
落ちそうになっても助けられるように常に意識して攻撃を躱していた。
「今は僕との真剣勝負の真っ最中だろ。なのに君は他の事を考えているね?」
しかしそんな考えをジルはお見通しの様で、顔を歪める
「いや~」
「それとも僕は君の横に立つ資格もないのかい? 全く……腹が立つよ!!」
一瞬の叫びと共にジルが今までより一層強く屋根を踏み込み、猛スピードでリディに駆ける。こんな足場の悪い所でそこまでの踏み込みをするなど自殺行為だ。リディだって少なからず慎重に足運びをしているのに、ジルはそんな事を視野に入れてない様だ。
「ちょっ!! おわ!!」
そしてジルの一閃がリディの髪に掠る。思わず尻餅をつくリディの足にジルの足が引っかかる。
「うわぁっ!!」
「兄さん!!」
そのまま屋根の斜面を転がるジルだが何とか際を掴み落下を防ぐ。宙ぶらりんのジルを急いで助けようと駆け出すリディ。
「待ってて! 今助けるから――」
「――来るな!!」
その叫びに体が止まる。ジルは何とか一人で這い上がると息を整え始める。
「はぁ、はぁ。勘違いするなリディ! 僕は君に助けてもらう、守ってもらう存在なんかじゃない!! 渦中にいたら共に戦う、横で肩を並べる騎士だ!!」
日頃大人しいジルの心からの叫びに、リディは動けないでいた。そんなリディを無視して、ジルは再度木剣を強く握り構える。
「でも君は強い。今の僕の力なんて必要としない程に。だから僕は騎士学校に行くんだ!! いつか君と共に戦い、守れるくらいに強くなるために!! それが僕の貫き通す意思だ!! リディ!!」
ジルの学校入学の理由。それは妹を守りたいと言う事だった。それなのにいつも戦闘の最前線にいるのはその妹で、自分は後ろで見ているだけ。ジルはそんな自分に不甲斐なさを感じていたのだろう。
ジルの気持ちを理解して、考えるリディ。
(そうだよな、妹に守られる兄なんてみっともないよな。そんな事も俺は分からなかったのか。じゃあここでわざと負ければ兄さんが俺を守れる証明に……いやそうじゃないだろ!)
頬をバチンと叩き、己の考えを否定する。家族を守ると言うリディの意思と同様、ジルにも同じように守りたいものがあるんだ。
ここで手を抜く事はジルの兄としてのプライド、騎士としての誇りを汚す行為だ。
リディもそれは理解できる。ならここは……。
「……ごめんなさい兄さん。次は全力で行きます」
ジルの為にも、本気で相手をすると決め、リディは真剣な顔で拳を握り構えを取る。
リディの纏う空気が変わった事を感じ取ったのか嬉しそうに叫ぶジル。
「ああ、行くぞ!!」
先程と同様思いっきり駆け出すジル。リディはしっかりと動きを見据え自身の出来る最大の技で迎え撃とうと考える。
不安定な足場など関係ないと、リディは右足を軸に神速のまわし蹴りを放つ。
一瞬の風切り音。そして……。
バキッ!! ジルの木剣が粉々に破壊される。
リディはすかさずその拳をジルに突き出し、顔の前で止める。寸止めである。
リディの拳の拳圧がジルの灰色の髪を後ろに押し出す。
「「……」」
互いに少しの沈黙の後、ジルが呟く。
「負けたよ……やっぱり、リディは強いな」
いつもの様に優しく笑うジルを見て、拳を下げ息を吐き出す事で闘気をしまうリディ。
「リディ、僕は今よりもっとずっと強くなるよ。君を守れるくらいに。それまで待っててくれるかい?」
正直、頷きたくない。しかしもうリディに止める気はない。己の中で、我慢! 我慢! と繰り返し呟き何とか声を絞り出す。涙も出しながら。
「は、はいぃ! お待ぢじでまず!」
そんなリディの頭に手を乗せ、嬉しそうに微笑み
「ありがとう」
と言うジル。
満天と輝く星空の下で、戦い語り合ったブランシュ兄妹。二人の絆はまた1歩深まったのであった。
*****
それから早1か月。ジルが王都に行く日が来た。
ブランシュ領の門にはリディ達の他にジルの王都行きを見送るためにたくさんの領民達が集まっていた。
その1人1人に律儀に挨拶をして回るジル。そして馬車が到着しいよいよ出発の時間になった。学園入学に必要な大量の荷物を使用人に乗せてもらっている間、ジルは最後の挨拶をする。
「では父様、母様、リディ、そして皆さん。行ってまいります」
領民達が頷き、口々に頑張れと言う中、ユーリがジルの前に立つ。
「ジル、これからの6年はお前にとってとても重要なものになるだろう。辛い事もたくさん経験し、何度も挫折するかもしれない。泣いてもいいし、怒りもしていい。しかし気持ちで負ける事だけは許さない。常に心に芯を持ち続けていろ。いいな?」
「はい! 父様!」
「よし! 立派な男になって帰ってこい」
ジルの肩を強めに叩くユーリ。いつもの冷静な表情だが随分と熱い見送りだ。
そしてアリアンヌが前に出る。
「私はユーリみたいに堅い事を言う気はないから、母親らしい事を言わせてもらうわね?」
「はい!」
「大変だったら私達を頼っていいし、辛かったらいつでも戻ってきてね? 強く抱きしめてあげるから」
「ありがとうございます、母様! ですがそんな機会はないと思いますよ! 僕も男ですから」
「あら~男の子は母親の気持ちが分からないのね~。ふふ、立派になったわね」
凛とするジルの顔を優しい笑みで撫でるアリアンヌ。
そして最後にリディが前に出る。
「……」
涙を堪えるように俯きジルの目を見てはまた俯くを繰り返しているリディ。気を抜いたらすぐに泣いてしまうのだろう。
そんな妹の頭をコツンと叩くジル。
「リディ、何も言ってくれないのかい?」
「いや、違くてぇ……ほんとは笑顔で送りたいんですけど、気を抜くと顔の穴から液体が出てきそうでぇ~」
顔を赤くして震えるリディを見て微笑むジル。そっと右手でリディの鼻を抓む。
「ほら、1つ押えててあげるから、何か言ってくれ」
ジルのサポートが功を奏したわけではないと思うが俯いていたリディが余計に赤くなった目でジルを見る。
「……出来るだけ……出来るだけ多く帰ってきてくださいぃ~。ウサギは寂しいと死んじゃうんですよぉ~」
「ははは、君らしいな。わかったよ約束する」
そして馬車に乗り込むジル。最後に馬車の窓から見送る人達を見て少ししんみりした気持ちになる。
もう我慢しなくていいのかリディはわんわん泣いていて、アリアンヌに慰められている。
そんなリディを見て、もらい泣きしてしまいそうで急いで顔をひっこめる。
そして御者の合図で馬車が動き始める。
領民達の歓声を聞きながらジルは目をつむりリディとの思い出を浮かべる。遊んだ時や言い争いをした時、リディのイタズラで一緒に怒られた時、数々の思い出がジルの胸を熱くする。
(騒がしい妹だけど、しばらく会えないと思うと悲しい物だな)
最後にもうひと目でも後ろを見ようとするジル……しかし直ぐにやめる。振り向いてしまったら思いが揺らいでしまいそうだったから。
「……きっと強くなるよ」
拳を握り前を見る。その目は覚悟を決めた男の目だ。強くなると言う決意を胸に、ジルを乗せた馬車は進んでいくのであった。
ドドドドドドドドド!!
「ん?」
外で音が聞こえてくる。もう振り返らないと決めたジルだが流石に少し気になって窓の外を見る。
「んなっ!?」
「うえええええええん!! やっばりむりだぁぁぁぁぁ!! いがないでよぉぉぉぉ!!」
そこには泣きじゃくり猛スピードで馬車を追いかけるリディの姿が。その後ろではユーリを先頭に領民達がリディを連れ戻そうと叫んでいる。
先ほどのジルの覚悟が台無しだ。
「どまっでぇぇぇ!!」
馬車の後ろを掴み無理やりに止めるリディ。衝撃で頭をぶつけるジル。
「痛っ~! リディ!!」
先程の決意を返せと怒り、馬車から飛び出す。
「何で追いかけてくるんだ!? もう行っていい流れだったじゃないか!! 台無しだよ!!」
「いや全然無理だから!! 全体的にやっぱ行っちゃだめだからぁぁぁぁ!!」
「いい加減にしろ、馬鹿妹!!」
ゴチンとリディに拳骨を落とすジル。リディは尚も泣きじゃくりながら両手で頭を押え叫ぶ。
「痛いぃぃぃぃぃぃ!! うええええええん!!」
何とも流れをぶち壊すリディ。結局リディは直ぐに取り押さえられ、ジルの馬車は王都に向かい無事出発した。その後ユーリから再び拳骨をくらうリディであった。
「痛いぃぃぃぃぃぃぃ!! うえええええん!!」




