第16話 パルム編 1
鳥の囀るとある朝、ブランシュ家裏庭ではまだ幼い少女が短くなった銀色の髪をなびかせメイドに作ってもらった黒色の半袖と短パンを着て何もない空間に正拳突きを放っていた。
これが最近のこの少女、リディの日課である。
野盗がブランシュ領に攻め入った事件からすでに数週間。リディはその時の追い込まれた体験をバネに強くなろうと、こうして暇な時間を見つけては体を鍛えるようにしていた。
前世の漫画知識を生かして無敵の必殺技を模倣する、何て事はもちろん出来なかったが、それを差し引いたとしても、今のリディの肉体はおよそ子供が到達しうる肉体限界を優に超えていた。
横にいる黒髪メイド、アニエスがリディに向かって小石を投げる。それを瞬時に察知し、左足を軸にまわし蹴り、それもヒュン! と風切り音が鳴るレベルのを放つ。
見事小石を弾き、折れていた右足でダンッ! と地面を踏みつける。
「よし! 完全復活!!」
折れていた足に違和感がない事を確認すると、汗を拭い拳を握る。
今度、野盗が攻め入ってきた時には情けない姿を見せないように、全ては愛する家族の為に……とそんな気持ちを込め、最後は本気の拳を前に突き出す。
ヴォン!! と音が鳴り、その拳圧で長い雑草が揺れた。実際はただの風かもしれないが、その音を聞く限り、相当の威力がありそうだ。
「お嬢様、人間やめる気ですか?」
隣で見て、時々小石を投げてくれていたアニエスがリディの凄まじさに苦笑いをしながらタオルを差し出してくる。
リディは汗を拭きながら、目を細め笑う。
「まぁ、その内ねぇ~」
そんなリディの冗談にため息を吐くアニエス。
「髪も短くして。そんな勇猛だと誰も貰い手が現れませんよ」
「いいよ~。いざとなったら1人で子供産めるし。口から」
「やっぱり人間やめる気じゃないですか」
このブランシュ家のメイドの中ではアニエスが一番リディに軽口を聞いてくれる。堅苦しいのが嫌いなリディもそんなアニエスを大層気に入っているのであった。
さてそんな朝の修行を終え汗を流したリディは現在街に行く用の青いワンピースに着替えこっそりとブランシュ家の門を潜っていた……ジルを引き摺って。
「リディ、僕の記憶が正しければ君はまだ父様に街に行く許しを貰っていないはずなんだけど?」
ジルが疲れた様な顔でリディに問う。
「もう右足は完全回復しましたし、大丈夫ですよ! それに兄さんが私を心配してこうしてついて来てくれていますし」
「この状況が僕の故意だと!? いや、分かってるよ。言っても聞かない事は……」
リディに振り回されるのも大分馴れたのであろう、ジルは既に諦めの境地に至っている様だ。
そんな時、家の中でアニエスの叫び声が聞こえてくる。
「お嬢様ぁぁぁぁ!? どこですかぁぁ!!」
その声に焦るリディ。
「ヤバい!! アニエスが怒ってる。何でだろ?」
「勝手に家を抜け出した以外に何があるというんだい?」
そんな当たり前な答えに、リディはさらに疑問を重ねる。
「アニエスのほっぺに“売れ残り”て書いたからじゃないよね?」
「それだ!! 今すぐ謝った方がいいよ絶対!!」
ビシッとリディに突っ込むジル。
「そんなのは後で二人でやればいいでしょ? それよりさぁ早く行きましょう兄さん!!」
「僕もやるの!? いだだだだ、もう自分で走るから、尻が消えるだろ!!」
どこまでもマイペースなリディはジルを引き摺り街へと繰り出す。
*****
そして街に到着したリディとジル。野盗の件で大した被害はないと聞いてはいたが、やはり自分の目で確認しないと気が済まないリディは取りあえず、前と変わらない街の様子にホッと胸を撫で下ろした。
いや、前と変わらないって言うのは間違いだ。なぜなら……
「おお! お嬢ちゃんじゃねぇーか!? 無事だったか?」
「凄く心配したのよ! ケガはもう平気なの?」
「街の為に戦ってくれてありがとうな! この街のヒーローだ!」
ありえないくらいの歓迎ぶりである。つい最近までは相手にもされなかったのに、偉い変わりようである。
(痛い思いした甲斐、あったかも)
前とは違う意味で群がってくる領民達に嬉しくて顔が綻ぶリディ。ジルもそんな妹の様子が嬉しい様だ。その時、リディの頭の上のレーダーが反応し、ピンッと逆立つ。
ビーッ! ビーッ! 接近中! 接近中!
「まずい、奴が来る! 隠れなきゃ!」
「えっ? 何その頭?」
急いで近くの民家に隠れたリディとジルは窓からソーッと外の様子を伺う。すると例の3バカトリオが無邪気な声で走っていた。
「あれ!? リディの臭いがしたんだけど、いねぇ!!」
「「いねぇ! いねぇ!」」
「クソー!! 一緒に泥んこの投げ合いっこしようと思ったのに!!」
「「ショボーン」」
「仕方ねぇ!! 今度あいつが来た時の為に泥玉いっぱい作ってブチ当ててやろうぜ!」
「「いいね!」」
それだけ言うと、ギャハハ! と笑いながら去って行く3バカトリオ。リディはこの3人が特に苦手なのだ。理由は付き合っていると汚くなるから。
その3人がいなくなった事を確認するとフーッと息を吐くリディ。
「何とかバレずにやり過ごしたか~」
「君が時々泥まみれで帰ってくる理由がわかったよ。それよりさっきの頭は何なの?」
そんな事をジルが言っていると再びリディの頭のレーダーが反応し、ピンッ! と逆立つ。
ビーッ! ビーッ! 接近中! 接近中!
「まずい! 来る!」
「そうそれ。何それ? ねぇそれ? 何?」
顔を低くし、窓の外を覗き込む2人。そこには土煙をまき散らしながら走り抜けるアニエスの姿が。
「お嬢様ぁぁぁぁ!! どぉぉぉこぉぉぉだぁぁぁぁぁ!! よくもやったなぁ許さねぇぇ!!」
左から右へと通り過ぎるアニエス。すると……
「リディちゃぁぁぁぁん!! どこぉぉぉぉぉ!? 私もまぜてぇぇぇぇぇ!!」
左から右へと通り過ぎるアリアンヌ。すると……
「いや、奥方様ぁぁぁ!! あなたは屋敷から出ないで下さいぃぃぃぃぃ!!」
左から右へと通り過ぎるシータ。
何か色んな者が通り過ぎたが、バレずに済んでホッとするリディ。
「ふー、ここで見つかったら、本来の目的が果たせないですからね」
「目的?」
「もう、忘れたんですか? このブランシュ領を盛り上げるって言ったじゃないですか!?」
そう、リディが今回街にきた目的は、街の様子確認の意味もあるが実は資金不足解消の糸口を掴むためだったのだ。
現在父であるユーリは別方向からそれを解決するため、先の野盗から没収した戦利品と野盗自身の身柄を金にするついでに王都へと向かい、良い方法を模索している。
そんな父の働きを知っていて、手助けしないのは家族大好き人間として失格だ、と言う事でこうして連れ戻されないように隠れているわけだ。
「もちろん、ジル兄さんも一緒に考えて下さいよ?」
「……ああ、もちろんだよ」
二ヒヒと笑い拳を出すリディに同じく笑いながら拳を合わせるジル。最強のコンビ再び結成である。
ビーッ! ビーッ! 接近中! 接近中!
「あ! これはガイルさんの反応だ! おーい! ガイルさーん!」
「それそれそれ? え? 識別出来るの? 人間じゃないの? 君、人間じゃないの!?」
民家を飛び出すリディを見て常識とは何ぞや? と呟くジルであった。