第11話 ブランシュ編 9
家族での朝食を食べ終わり同じテーブルを囲んでいるジルにさり気なくウィンクをするリディ。
意味は“今日も街に行くから偽装よろしくね”である。これに対してジルは同じくウィンクで返す事が了承の合図である。
しかし今日のジルはその合図を見た瞬間、泣きそうな顔になり首を横に振った。
理由はもう限界だからである。
リディが街に降り、手を変え品を変え領民達の心を掴んでいた一方で、ジルも手を変え品を変え両親やメイド達にリディが街に行っている事を隠してきたのである。
そしてジルが毎回使用人が部屋に入ろうとすると抵抗し、時にはすわった目で泣きじゃくるものだからメイド達の間で噂になっているのだ。
ジル様がおかしくなった……まるでお嬢様の様に! と。リディに大変失礼である。
首を横に振るのは、そんな噂が囁かれている事を知った平凡大好きなジルのささやかな抵抗なのであろう。
まぁ、その話を聞いて「目立ってなんぼだろ!!」と言うリディには関係のない話だが。
ジルの態度に顔をしかめ、再びウィンクをする。
「ん!? ……んっ!」
パチ (偽装よろしくね!)
しかし、尚も首を横に振るジル。んっ! んっ! とあくまでもさり気なくウィンクをするリディ。
「んっ!!」
パチ! (偽装! 宜しくね!!)
「……」
フルフル (勘弁して)
そしてリディ、渾身のウィンクをジルにお見舞いする。ジルの顔の目の前で。さり気なく?
「んんぅぅぅぅぅ!!」
バチンッ!! (いいからやれ!!)
「……」
パチ (……はい)
涙目の兄にひたすら力強くウィンクをする妹の図にメイド達はヒソヒソと「やっぱりジル様はもう……」と囁き始める。
下を向いていて分からないが、恐らくジルは今泣いているだろう。それとは反対に満足そうに、元いた椅子に座るリディ。
そんなやり取りを、まったく見ていないユーリ。
見ていたのは、今だにヒソヒソと話しているメイド達と真剣な目でリディとジルを見ているアリアンヌだけ……。
*****
今日も今日とていつも通りに、リディは街に行くため地味な服装に着替え木を伝って下に降りるため窓を開ける。
「じゃあ行ってきます! あ、これいらなさそう」
窓の横にあった金色の蝋燭立てをボキッと折り、背中の風呂敷に入れるリディ。
「じゃあ本当に行ってきまーす!」
木に飛び移るリディ。部屋には体育座りで顔を埋めているジルだけが残る。頑張れジル!
*****
街に行くための道を小走りで駆ける。
最近では領民達とも比較的話せるようになり、ブランシュ領を盛り上げるために領民から案を提供してもらう事も出来るようになった。
領民の意見の大半は、ブランシュ領には街を守る兵が極端に少ない事が指摘された。
前にも話したが、このブランシュ領は立地条件などから野盗などに非常に襲われやすいにもかかわらず、国の支援金や兵を貰えずにいる。そのため、領民は自らの力で己を守らなければならない。
じゃあブランシュ領には兵はいないのか?
いや、数は少ないがいるにはいるのだ。ユーリが個人的に雇った兵たちが。
この兵達は基本、街には降りずブランシュ家の隣にある宿舎で鍛錬をしているか、ブランシュ邸の周りを巡回しているはずだ。
(でも、そんな所見た事ないよな~)
しかし実際は鍛錬も怠り、巡回も適当にこなすような事になってしまっている。リディが毎回見つからずに抜け出せるのがいい証拠だ。
(お金が出来たら、真っ先に警備兵を雇うのが先決かな~)
思考にふけっていると時間は早く、もうそろそろ街の入口に差し掛かるリディ。
まだ全員とはいかないが、いつもだったら数人の人達が「また来たのか」と笑いながら嫌味を言ってくれる筈。しかし今回はそのいつもとは違うようだ。
「あれは……兵士?」
目の先には、数十名の銀鎧に剣を装備した集団、恐らく先に話したユーリの私兵であろう、と領民達が何やら言い争いをしていた。
「そんな困ります!!」
「うるさい! もう決まった事だ!!」
「きゃっ!」
兵士の一人に詰め寄った妙齢の女性が突き飛ばされる。
「ちょっと!! 何しているんですか!?」
その光景に背中の風呂敷を落とし、突き飛ばされた女性を背に兵士の前に立つリディ。
「何があったのかは知りませんが、我が領民に手を上げる事は許しません!!」
「何だこのガキ!?」
リディの睨みに苛立ちを感じたのか、兵士の一人が声を荒げる。しかしそれ如きでリディは引かない。その顔をより一層険しくさせる。
「私はブランシュ家が娘、リディ・ブランシュ! あなた達は我が父ユーリ・ブランシュの私兵殿達とお見受けするが如何か!?」
いつもと違い、凛とした声で叫ぶリディ。
権力を振りかざすつもりはないが、一応はこちらの方が立場は上。出来うる限り威厳のある話し方をすれば兵も大人しくなるのではと言うリディの考えである。
若干動揺する兵士達に畳みかけるリディ。
「街を守る兵士ともあろう者が領民に手を上げるなどとんだ体たらく! 己が誇りをなくした者はさっさと犬小屋に帰られてはいかがか!?」
「なんだとガキのくせに!」
大人しくさせると言うリディのもくろみは外れ、一人の兵士が剣に手をかけた。無理もない、リディはまだ5歳の子供なのだ、威厳を感じさせるにはまだ早い。
しかしそこで引くぐらいなら、リディはこんな所にノコノコ出てこない。
眼光を強め、兵を睨む。
「それを抜く行為がどういう事か、理解できているのか!」
「ぐ!!」
領家の娘に剣を抜く、それすなわち死刑台への直行便と同義。それほどこの世界の領家は恐れられているのだ。
それが分かっているのであろう、兵士も動きを止める。そんな眼光飛び交う中、一人の男が前に出てくる。
赤い髪に無精ひげを蓄えた男だ。
「失礼、リディ・ブランシュ様。私はここの兵の兵長をやっております、ロランドと申します。まずは部下の無礼、どうかお許しを……」
膝をつき、頭を下げるロランドに多少は話の分かる奴がいるのかとホッとするリディ。
「謝罪を承りました。頭をお上げ下さい」
「ありがとうございます」
頭を上げたロランドはリディを見ながらフッと笑う。
「しかし、噂に聞いていたリディ様とは随分違うのですね。とても御年5歳とは思えない風格と聡明さだ」
その噂が逆に気になるが、どうせ禄でもないだろうと感じあえて突っ込まない事にするリディ。
「それを聞いて安心しましたよ、次に会うのが楽しみです」
今度、兵の宿舎に説教しに行ってやる。ちなみにさっき女性を突き飛ばした奴はジャイアントスウィングの刑だ! と内心意気込むリディ。ロランドは噂に違わぬリディを見てどんな反応をするだろうか。
リディの発言の意図が読めないのか首を捻るロランド。しかしそれをいちいち説明するよりは早くこの件を治めたいリディは本題を切り出す。
「それより、日頃街に降りないおとうさまの私兵が、一体どんな用件でここにいるのですか?」
「いや、それは」
言いたくないのか視線を逸らすロランド。しかし答えは後ろにいる領民の一人が答えてくれた。
「そこの兵に、税を上げるって言われたんだよ!」
(なっ!? 税を上げる!?)
驚き目を見開くリディ。 最低限の生活も出来ないこの街からさらに税を徴収するなど、全くもって理解不能である。
「一体誰の命令で……」
(いや、そんなの決まってるじゃないか)
リディは言葉を紡ぐ前に答えを導き出した。
「あなたのお父上、ユーリ様ですよ」
(お・と・う・さ・ま~)
ロランドのダメ押しの言葉に、衝撃を受ける。そうこんな命令を出せるのは現領公であるユーリしかいない。
「何を考えているんですか、お父様……」
一体何のために? と必死に値上げの理由を考える。しかし思いつくのはどれも取るに足らないくだらない事。
家の補強、使用人の増加、欲しいものがある。もしかしてリディがちょくちょく持って来ていた調度品の補充か? いやいやそんな事で増税なんてしないだろう。ではなぜ? それをいくら考えても答えを知っているのはユーリ本人だけだ。
そんな風にリディが混乱していると、領民の一人が言った。
「……やっぱり、家の領公様は俺たちの事なんて何も考えてないんだよ!」
その怒りは周囲にいる人たちに同調しはじめる。
「俺たちは餓死してもいいって事かよ!」
「そうよ! このままじゃ皆死んでしまうわ!」
(……何かまずい流れな気がする)
どんどん白熱し始める領民達に嫌な予感と冷や汗が止まらないリディ。
「皆さん落ち着いてっ!」
「もう我慢ならねぇ! おい! 皆で領公の所に乗り込もうぜ!!」
「「おおぉぉ!!」」
リディの言葉など耳に入らない領民達。皆各々に近くにある武器になりそうなものを持ち始める。
完全にスイッチが入ってしまった領民達。兵士達もその反応に止めようとするが、数の上では高々40数人の兵士がこの広場だけでも数百といる領民達を止められるわけもなく後退し始める。
「と、止まれ!! おい斬られたいのか!?」
「うるせぇ!! もうあんたらの言いなりになるのはごめんなんだよ!!」
領民と兵士が入り乱れ取っ組み合いを始める。男の怒りの声、女性の叫び、子供の泣き声。
そんな混沌吹き荒れる中、リディは呆然として今まで自分が気づき上げてきた領民の信頼が一気に崩れ落ちてゆく様を見ていた。
(ははは、やってくれたなおとうさま。もう笑うしかないよ~)
領民の一人が兵士に殴りかかる。
(いやいやいや、怒ってないよ~。いくら俺の努力を水の泡にしてくれたとしても、お父様に怒るなんてそんな……)
遠くにいる子供が泥団子を兵士に向かって投げる。コントロールが悪く、リディに当たる。
(怒らないよ~。ハハハハハハハッ! マウント取って耳たぶ引きちぎって風船ガム。アハハ~)
リディの持ってきた蝋燭立てが何度も踏みつぶされる。
(アハハ……ハハ……プチンッ!)
それは何の音だったのか、しかし確実にリディの頭の中で鳴った。
ちなみにリディは生前、トランプタワーを完成間際で友人に倒された時、ブチ切れた事がある。
「クソおやじいいぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」
何ヘクタール響いたのかリディの叫びはまるで爆風の様に響き渡り、領民、兵士一同は耳を押え、遠くの山では鳥が飛び立つ。
リディの叫び声のおかげで先程までの怒声飛び交う現場が一気に静かになる。
一同がポカンとしている中、踵を返し自身が来た道を爆走するリディ。向かう先はもちろん愛する父のいる家だ。