5.くらやみの速さはどれくらい(エリザベス・ムーン/小尾芙佐訳)
【くらやみのはやさはどれくらい】
タイトルが素敵だなぁ、と手に取った本。海外SFノヴェルスということで、とうとうSFが出てきましたね。しかし、どうなんだろう。私の浅いSF観からすると、この本のSFっぽさはほんのちょっとではないでしょうか。主人公は生後二年以内なら自閉症の治療が行えるようになる前の、最後の自閉症者世代であるルウ・アレンデイル。むしろ彼の、日常と成長と葛藤が中心に描かれるヒューマンドラマであると思います。SF的な今とちょっと違う状況はポツポツ出てくるのですが、本当にただ少し書きました、こんな世界でやってます、くらいの数行の説明のみなので、世界観にSFを求めるとなんか違うなぁ、となると思います。
視点はルウの一人称。そして時々周りの人の三人称一元視点。
これに関しては、最初「えっ、ルウの一人称でいけばいいのに。なぜ他者の視点が入るの。気が削がれるなぁ」と思ったのですが、最後の方を読むに視点の転換は確かに必要だったかな、と思いました。
さて、自閉症と言えば、全くの他人事ではありません。私も大人の発達障害、つまり自閉症スペクトラムの端っこの人間です。と言って完全な自閉症のルウの言動が全て理解できるわけではもちろんありませんし、彼の中の決まり事なんて特に摩訶不思議です。でもここまでは、多分他の自閉症の本を読んでもテレビ番組を見ても感じることだろうと思い、特別な関心と目新しさは今では湧いてきません。それよりも、私はルウの内省に心を惹かれました。彼の言動はとても抑制的で、自覚的で、「健常者はこうは言わないだろう。この言葉はああいう意味だろう。この表情はこういうことだろう」と何度も顧みては理解しようとするその姿勢に、私は並みの健常者以上のストイックさと思慮深さを感じるのです。つまり、私にはルウが健常者よりもずっとよく考え、言葉を発しているように感じます。多分それが現実の世界に照らし合わせてみれば「普通と少し違う」ということになるのかもしれないですが、とても親近感を覚えます。この「考えて言葉を発するまでのタイムラグ」が健常者のように瞬間的にできないのが自閉症者であることの所以なのかな、とも思ったり。とにかく私は彼の頭の中が好ましいのです。
そして散りばめられた自閉症者の心の声が刺さります。気になる文章に付箋をビシビシ貼っていたら六十か所以上になってしまいました。その中で最も刺さった部分は、p.356「~相手のひととまともに目を合わせない人たちがいても、彼らは正常でちゃんと目を合わせなさいとうるさく注意するものはない。彼らは自閉症のように振る舞う彼ら自身のほんのわずかな部分を補うことのできる特別なものを持っている。ぼくはそれが欲しいのだ。~」という自閉症であるキャメロンの言葉です。そう、普通の人も自閉症的な振る舞いをすることは多々あるけれど、誰もそれを強くは非難しない。なのになぜ彼らは私たちは自閉症であると気づくのだろう? その違いは何なのだろう……。本当にそうだな、と思います。私も自閉症スペクトラムの傾向の強い人を見ると、「ああ、そんな感じだな」と思いますし、他の人も気付くでしょう。それと同時に、やはり私も出会った瞬間に「あ、変だな」と思われるタイプのようで、実際に言われたこともあります。ただの変人という可能性は高いのですが、でも確実に自分では気付けない『変さ』がある、ということにかなり驚いた記憶があります。私はそこまでではないですが、彼らは普通に見えることに切実なのです。それが胸に響きます。p.419の、ルウが普通になりたい理由をマージョリに内心で突きつけるところも、凄く響きました。ここが一つの私の中での盛り上がりだったかな。
と、色々といいところを挙げてきたのですが、この本、私は読むのに一か月以上かかってしまいました。図書館で二回延長しました。読むたびに惹かれる瞬間は確かにあるのですが、展開自体にそこまで引っ張る力がないように思いました。事件事故もフェンシング競技会も正直退屈な部類。エンターテイメントではないので仕方ないかもしれないのですが、率直な感想は「物語に色気があんまりないなぁ」という事。色気というのは、滲み出る物語の豊饒な感じ、と言い換えられるかもしれません。これは単に相性だと思うのですが、ネビュラ賞受賞(何の賞なんだろう……)、二十一世紀版「アルジャーノンに花束を」(アルジャーノンの方がスピード感があったなぁ)と呼ばれる本作……うーん、賞を取ったりあまりにも有名な作品って、どこか大衆向けっぽいところがあるんですよね。だから、ちょっと乾いている、その作品の奥まで知りたい、という興味が湧いてこない。深みを書いているようで、どこか普遍的で表面的……いや、だから読まれるんですけど。そうでない古典的名作はたくさんあるけれど、「ダ・ヴィンチコード」とか、高野和明の「ジェノサイド」とか、近年(でもないですけど)ベストセラーになった作品はなーんか読む喜びがなかったな、というのと、ちょっと似ているのかな、分からない……。私は基本的に変な作品が好きなのです。
そうは言っても、ラストは確かに「アルジャーノンに花束」と同じ訳者なだけある手法で、グッと惹かれましたけど。そして、ああ、そういうふうに閉じるのか……ととても寂しく、感情を揺さぶられたのは確かです。特にルウとマージョリは……私はこの恋は最初興味の範囲外で、途中からルウの感情の動きとともに気になり始めたのですが、そうかぁ……最早選択の問題ではないのか、としみじみしました。
タイトルを意味する言葉は頻繁に登場します。「暗闇の速さは光の速さよりも早いのではないか」と、暗闇の速さについて繰り返される問い、自問自答。ですが、これがスッと喉を通る隠喩ではないので、喉がゴロゴロする感じがします。隠喩ではなく、事実であると言えばそうなのですが。海外作品に特有の「なんか意味の分かりにくい訳文だな……」みたいな文章(この本にも結構ありました)と同じで、意味が分かるようで分からないまま読み進めてしまいました。
冒頭でSF味は薄いと言ったのですが、確かに薄いのですが、私はSFって好きだなぁ、と思い出しました。ミステリーとホラーが基本的に好きなのかと思っていたのですが、この脳をかき回す感じというのかな……もっとちゃんとSFに触れたいな、と思いました。