第4話 ジン(1)
残酷な描写は無いと言ったな。あれは嘘だ。
いや、描写はしない。しないが今、目の前に繰り広げられている光景は残酷極まりない。
便宜上、俺が「虫」と呼んでいる「敵」は、幼稚園児程度の背丈の二足歩行の人型だが、黒光りする甲らのような物に覆われた背中、外骨格っぽい手足など、言ってみれば、巨大なゴキ○リって感じだ。
敏捷に動き回るが、大顎での噛みつきを除けば、それ程攻撃力は高くない。ただし、大顎はヤバい。噛みつかれただけならまだいい。痛いし、出血や痣ができもするが、食いちぎられるほどではないからだ。しかし、口の奥から、タンパク質を溶かす酵素を出すので、これに触れると火傷のような状態になる。これが痛い。めちゃくちゃ痛い。
この痛みを全身に浴びると、苦痛に耐えきれず失神してしまい…あとは分かるな?
で、こいつらの撃退法だが、「叩く」だ。
バットでも鉄パイプでも、斧でも。振り回す物体の質量と柄の長さ分の慣性モーメントを一点に集中して、対象にダメージを与えるタイプの武器なら何でもいい。
ただし、生半可じゃしぶとく生きてるから、何度も何度も殴打しなきゃならない。
その結果が目の前に広がる惨状なわけだが、描写は控えておこう。まだあと2匹残っているしな!
大顎をギチギチギチギチと咬み鳴らして威嚇してくる。1匹は既に横っ腹に一撃加えていたが、あまり効いてない。
―この位置はやばいな
たまに酵素を飛ばしてくる個体がいるのだ。真正面で相対するのはまずい。
「ジン!右へ回り込んで!」
腹部に打撃を加えた個体のそのダメージのある右側へ。アリーシャちゃん、わかってるね!
間一髪、飛んできた酵素の飛沫を避けて回り込む。そのまま間合いを詰めて近づき、その勢いに体重を乗せて、渾身の一撃!
―まだだ
今の一撃で頭部にダメージを与えたが、まだ足りない。このままこいつを盾にもう一匹を牽制したまま、斧の慣性力に任せてぐるぐる回転しがら、二撃目、三撃目とラッシュをお見舞いする。
その間、俺の目の代わりにアリーシャが目になってくれる。
「くるわよ!」
―あー、アリーシャちゃんの、このちょっと緊張した声もいいねぇ。
「ジン、ふざけてないで!」
―ホント表情読むのすげーわ。ん?俺が分かり易いやつって可能性もあるのか…
でもね。1対1なら、余裕なんだわ。
肩で荒い息をしながら、もう危険のないことを確認する。7匹同時に出現するのはマレで、いつもは4,5匹なので、今回はちょっとばかし手こずった。
おまけに被害者も守らなきゃならなかったし。
これまでに何人もの犠牲者を見てきた。今も左肩から二の腕にかけて、酷い火傷を負った女性が恐怖を顔に刻みガタガタ震えながら、部屋の隅で俺を見上げて声も出せずにいる。
そりゃそうだ。強い痛みに驚き、悲鳴をあげた直後に見知らぬ男が部屋に土足で上がり込んできて、小一時間、飛んだり跳ねたりしながら、斧を宙で振り回し続けてたんだから。
そう、彼女には「虫」は見えていない。
俺だけがってことも無いようで、見えるやつには見えるようだが、たいていの人には「虫」が見えていない。それが被害を大きくし、一方、この世界の異変がなかなか騒ぎにならずにいる理由だ。
いまのところ、せいぜい都市伝説のような扱いでしかない。
こんな時、アリーシャの存在は大きい。
タブレット端末を女性のそばにポンっと投げる。俺は近付かない。今近付いたところで、事態がややこしくなるだけだとわかっている。
「大丈夫ですか?お怪我は痛みますか?恐い思いをさせてしまってゴメンナサイ」
アリーシャの一番の武器は、相手の表情の小さな変化や声の調子の変化から、その時の感情や思考を読み取ること。超能力などではなく、集中力と努力の賜物だろう。
そして、二つ目の武器が、彼女自身の表情と声だ。自分の表情と声を自在に操り、怒りを鎮め、恐怖を和らげ、警戒心を解いてしまう。
どんな表情が効果的か、どんな声が効果的か、しっかり計算し尽くして使っている。
しかし、計算高いとか、人を騙すとか、そういうのとは違う。それらは彼女には無縁のものだ。彼女に打算はない。優しさや友愛(というより、俺には慈愛とさえ思える)の情が効果的に伝わる術を身に着けているのだ。
「あ、ありがとうございました」
まだ声に震えはあるものの、アリーシャから一通り状況説明を受け、見えざる脅威のあったこと、それが取り除かれたことを理解したらしい。
―すげぇな、ホント。魔法みたいだ。
なるべく刺激しないよう、やさしく女性に問いかける。
痛みますか?傷薬を塗らせて貰っても…いいですか?
近付きますよ、の合図だ。女性は一瞬ビクッとしかけて、思いとどまり、小さく2回、大きく1回うなづいた。
女性の着衣の左袖「だけ」(←ここ重要)を取り出したハサミで切り離し、酷い火傷があらわになった肩から二の腕にかけて、特効薬の中和剤と痛み止めの混合薬をスプレーでしっかりと掛けていく。傷口の痛みを抑えていた右手の掌にもしっかりとスプレーを振りかける。
次は部屋の後片付けだ。俺とアリーシャにしか見えないし、アリーシャはタブレットの中だ。戦闘で疲れてはいたが、この後片付けも俺がやるしかない。
なぁ、アリーシャ。
「なぁに?ジン」
被害者の女性とすっかり打ち解けた会話の最中だったが、俺は割り込んでどうしても聞きたかった疑問をぶつけた。
アリーシャから聞いたこの世界の説明は基本的に納得のいくものだった。そもそも、アリーシャの話をあの表情と声で聞かされて、疑うことなど誰にもできない。ここが死後の世界というものです。と聞かされても信じてしまいそうだ。
それに、俺の知る現実世界とも符合する。4つの疑問を除いて。
―元々のプログラムの魔法少女はどうなったのか?
『魔法少女とドキドキ♡キュアラブ♡マジカル♡デート』
このコンテンツタイトルをアリーシャから聞かされた時には顔から火が出るってのが本当にあるんだと実感した。女の子相手にいい大人が、と我に返ってこっ恥ずかしかったが、アリーシャはそんなことは気にも留めていない風だったので助かった。
そして、1つ目の疑問については、解決済だという。
魔法少女が現れるイベントが発生する前に事故が起こり、救出のために現れたアリーシャがこの世界に割り込む際に魔法少女をオーバーライドしてしまったらしい。
ブランカ(誰だろ?)の地道なログ解析からこれは確実なんだという。
なるほど。じゃあ、2つ目の疑問だ。
―本来、4時間がリミットで、まぁ俺の時間感覚では3年以上なのは置いても、もう4日は経過してるわけだ。現実世界の俺の体はどうなってるんだ?
ふむ。きちんとメディカルセンターでケアを受けているらしい。良かった。
じゃあ、3つ目の疑問。
―もし、状況がそういうことなら、俺は一刻も早く元の現実世界に戻りたいと思う。現実もハードだが、この世界もかなりハードだ。なぜ戻れない?
これはまだ未解決だという。そもそも事故の起きた原因もわかっていないが、オートブローシーケンスが作動しないのも謎だという。
ただし、マニュアル起動でブローシーケンスを作動させる準備をしているから、まもなくレイヤー1へ戻れる(そこゴールじゃねーけどな)はずだという。
わかった。じゃあ、最後の疑問だ。
―ここがレイヤー2の世界だと言うのなら、アリーシャは「ここ」に、現れることが可能なんじゃないのか?なんでタブレット越しに会話するような、まどろっこしい手続きを踏んでいるのか?
これについては、珍しく、というか、初めてアリーシャが悲しそうな顔をしたのを見て、俺は後悔した。
「それについては、また今度ね…」
俺は何か地雷を踏んじまったらしい。なんだかは全く分からないが。