第2話 アリーシャ(1)
―さて、と。
ポーン!
南国の水上コテージ風の部屋にはやや不釣り合いな軽妙な電子音と共に目の前に猫のような生き物が現れた。
「目の前」と言っても、ここはヴァーチャル空間だから、あくまでイメージなんだけれど。
「アリーシャ、どうだった?どうだった?」
真っ白なツヤツヤすべすべの毛並み。ブランカは私が飼っているアーガ(AIの愛玩動物、AI-GAN-ANIMAL。つまり人工知能のペット)だ。
見た目は猫に近いが、顔立ちは猫というより、私好みに美少年。会話もできるし、プカプカ宙に浮いたりもする。レイヤー1限定っていう、活動範囲の制約があるのが難点なんだけど。
レイヤー1ってのは、現実世界からヴァーチャルダイブ(VD)してやってくる第一階層の世界。ここでは、いろんな人が生活してる。ショッピングしたり、映画を見たり、デートをしたり、商いをしたり。だから、混乱が生じないように、超能力や魔法の類はご法度。物理法則は基本的に現実世界のそれと同じになってるし、魔物、怪物の類のクリーチャーもNG。
あ、AGAだけは特別。レイヤー1のルールが世界的に規格統一される前からあったので、「ペットとしての用途」に限り許されてる。
それにしても…。
あーん、癒されるぅ〜
「キャハハハハ!やめて!アリーシャ!くすぐったいよ!
で、どうだったの?オプファーとは接触できたの?」
うん、尻尾は捕まえたよ!
「げげっ!それは穏やかな表現ではないのなー」
―そこ、語尾が「ニャー」だと可愛さ2割増しだって言ってるのに、ブランカは頑なに「ニャー」とは言ってくれない。
尻尾丸めて警戒しちゃって、可愛いったらありゃしない。
名前はジン・カツラギ
職業はシステムエンジニア
32歳独身
3日前にVDから戻らなくなった
依頼人は実のお兄さん
「うん、それはボクも知ってるよー。それから?」
レイヤー2に居たんだけど…
「なーんだ、じゃあ、今回の依頼簡単なの?ちょちょいのちょいっと片付けて、報酬でSレアのブリリアント鰹節買ってよ~」
それが、そうでもなくて。
―なんだ?ブリリアント鰹節って…初めてきいたぞ。
今回のオプファー、想像力が豊かというか、頭の回転が早いというか、記憶の破綻をどんどん修正しちゃうのよ。
もしくは、「考えるのは後だ」とか言って突っ走っちゃうの。
私はジンからようやく聞き出すことのできた「彼の世界」について、ブランカに話して聞かせた。
私とあったのはほんの3日前なのに、3年くらい前、彼の世界で事件が起こったすぐ後ってことになってて、出会った経緯がわからないのも、忘れちゃっただけって事になってる。
今いる世界の現状は、自分が引き起こしたものだと強い責任を感じてて、なんとか対処しようとはりきっちゃってるの。使命感、苦痛、快感がバランス良く揃っちゃってるから、引き剥がすの苦労しそうなのよねぇ。
「なるほどねぇ」
―腕組みなんかしちゃって。半分鰹節のことしか考えてないでしょ?
「でも、バスのくだりは驚きだね。自分で作ったご都合主義な世界なら、なかなかそうはならないよね。」
間違いなくMっ気あるよね、この人。そういえば、システムエンジニアってMっ気ないと勤まらないって聞いたことある。
「…どこで聞いたんだよ、そんな話…」
ブランカが宙に浮いたままズッコケてる。この子、器用だわ。
「そうなると、確かにやっかいだねぇ。」
そうなのだ。
私の仕事は、基本的には安全な筈のVDで、ごくごくたまに起きるこうした事故で遭難した人のサルベージ。
レイヤー5っていう、もうカオスなことこの上ない世界からオプファーを救い出した実績から、「サルベージマスター」の賞号を貰ってる。
―誰から?とかヤボな突っ込みはご遠慮ください
そんな私にとっても、これはA+くらいの難易度の厄介な依頼だ。
「最終手段…」
だーめ!ブランカ!VD装置の強制解除は、脳に深刻なダメージを与えるリスクが高いのよ、知ってるでしょ?
「うん、だから薬で昏睡させて…」
私みたいな「サルベージ屋」が現れるまでは、事故が起きた時の救出方法はこれくらいしか手がなかった。今では滅多に使われないけれど、過去のデータによると、12.7%の確率で何らかの後遺症が残るらしい。依頼人は当然そんなの望んでいない。
世界の破綻を論理的に攻め立てて、本人に幻想の世界だと認識させて連れ帰るってのが常套手段。幻想でもいいから留まりたいと言い出す場合がやっかいで、オプファーの世界に深く降りて接触し、飴と鞭を使い分けながら、引っ張り出さなきゃならない。
今回のオプファーは世界の破綻を自己修復しちゃうから、まず幻想世界だと認識させるところからハードルが高いわけで。
―はあ、気が滅入る…
ブランカ!ショッピングに行くわよ!
「言うとおもったー鰹節アイス付きなら付き合うよー」
うるさい!だんだん腹がたってきた。