第1話 プロローグ
前にもこの状況が俺のせいだって話はしたよな?
え?なぜそう思うかだって?
思うんじゃなくて、事実なんだ。
俺の頼りになる可愛い相棒は、タブレット端末から立体的に浮かび上がったホロ画像の中でこちらが続きを切り出すのを待っている。
疲れてんだ。またにしようぜ。
「そうやって、ジンはいっつもはぐらかすんだから」
アリーシャは怒ったような、拗ねたような、困ったような、それでいて今日こそは聞き出してやるって感じの決意の混じる微妙な表情で、真っ直ぐに俺を見返してくる。
少し青みがかった大きな黒い瞳には微かに非難の色まで滲ませて。
いつもながら感心する。
その表情が、口の重い俺に喋らせるのに一番効果的だと「わかってやっている」のだ。
アリーシャは、乱暴な言い方をすれば文字通り「青と黒の少女」だ。目と同じく、艶のあるセミロングの黒髪は、毛先に向かって青くなり、背景に映る青空に溶け込んでいる。今日はその髪を両サイドでツインテールにしているので、いつも以上に幼く見える。
15歳のまだ幼さの残る顔立ちで、うっすらニキビの浮かぶ頬も、色気よりは快活さを感じさせる唇も、褐色にこんがり焼けた肌も、好んでよく身に着けているブルーと黒を基調としたゴスロリっぽいドレスも、まだまだ未成熟な少女のそれだ。
―ちょっと生意気なとこあるけど、ぶっちゃけ可愛いんだよなぁ。
もっとも、この容姿はアリーシャ自身が本人の好みでカスタマイズして作り出したもので、生まれ持っての遺伝的形質に基づく属性ではない。15歳ってのは本当らしいが、言ってみればアバターのようなものだ。
彼女とはこのタブレット越しにしか会話を交わしたことが無く、実際にどこに居るのかは知らない。
AI、いわゆる人工知能ではない。
―いや、時々そうなんじゃないかと思うことはあるが
彼女が言うには「有機物の脳が付いたニンゲン」だそうだ。
ああっ!クソ!
迂闊にも今一瞬「可愛い」などと考えたことを後悔する。俺の表情の変化を読んだんだろう。アリーシャが満面の笑みを返してきた。
俺を殺しにかかってきている。この笑顔はあざとい。ズルい。卑怯だ。天使め。めちゃくちゃ可愛いじゃねーか!
しょうがない。話してやるか。
「ありがとう!ジン!」
三年前、まだ世界がこんな風に混乱と混沌と暴力に支配される前、俺はシステムエンジニアとして働くごく普通のサラリーマンだった。
―そうか、もう三年になるのか。あれから色んなものが変わっちまった…
割りと勤勉な方だったんだぜ。その日もどしゃぶりの雨の中、会社に行くために駅に向かって歩いてたんだ。
向こうから、園児の小さな一団が交差点を横断してきてね。
制服が甥っ子の幼稚園のものとは違っていたから、たいして気にも留めず、すれ違うつもりだったけど、引率の大人たちの様子がおかしい。急に慌てた様子で、オロオロしだしたんだ。
なにしろ、雨が激しくてね。叩きつける雨音に遮られて声はとぎれとぎれにしか聞こえない。けれど、
「ふたり…(ザー)穴に…(ザー)落ちた…」
そんな風に聞こえたんだ。
―な、に?!
俺はめちゃくちゃ驚いた。
兄貴夫婦にちょうど同じ年頃の甥っ子がいて、俺にも随分懐いている。
たまたま通りかかっただけとはいえ、この状況を見過ごせるわけがない。側溝か用水路にでも落ちたのか?それともマンホールの蓋が開いていたのか?ざっと見渡す限りでは何も分からない。いや、そもそも、落ちてしまいそうな穴自体、どこにあるのか見当もつかない。激しい雨に叩かれて、もう、あたり一面、地面が沸騰したようになっている。場所によっては、水がくるぶしくらいまで来ているし、道全体が黒々とした流れみたいになってきている。
穴?に落ちたという2名の園児の痕跡は見あたら無い。完全に水没しているとなると…、助けを呼んでいる暇は無い。
―いたっ!
一瞬だが、黄色い通園帽が見えた。俺が一番近い。すぐに駆け寄ったが、傍まで来た時には再び完全に水中に没してしまっていた。
雨に激しく叩かれながら、見当をつけて手を水中へ突っ込む。
―何故こんなところに穴がある?
そんな疑念が湧いてくるのを抑えこみ、まずは救出に専念する。考えるのは後だ。
手が何かに触れた。掴んだ。先ほど一瞬見えた園児に違いない。一気に引き上げようとする。しかし、園児の体重は、15キロ程はあるだろうか、衣服が水を含み、さらに重く感じる。イメージした程、簡単には引き上げられない。でも、渾身の力で上がらないって訳でもない。
足場の悪い中、必死に助けあげながら、体を反ったその最中、視野の片隅、すぐ近くにもう一人の園児も確認した。早くしなければ。時間をかけていては、手遅れになる。
何とか一人目の園児を助けあげる。男の子だ。幸い余り水も飲んでいない。ゲホッゲホッとむせている。呼吸、意識共に問題なし。駆け寄ってきた引率の大人に後をまかせ、おそらくは俺にしか確認できなかっただろう、もう一人の園児のところへと向かう。
急いでいるつもりだが、案外時間が経過している。
指していた傘はとっくに風に持っていかれてしまった。頭からびしょ濡れだというのに、背中を嫌な汗が流れる。
―たしかこのあたりだった筈だ
先ほどと同じく、見当をつけて手を水中へ突っ込む。さっきよりは手間取ったものの、何かを掴んだ。その時、信号が変わり、交差点の向こうからバスが近づいてくる。どしゃぶりの雨に視界を塞がれて、運転手は、とてもこちらを視認出来ているとは思えない。
視界が悪く、スピードは出していないが、確実にバスが迫ってくる。
両脇を抱えて2人目の園児をなんとか救い出すと同時に、バスの大きなタイヤが水を跳ねあげながら、目の前を通り過ぎる。
まさに間一髪、安堵の思いでバスを見送っていると、2人目の園児が、水を吐き出し、むせて泣きじゃくりながら、苦しい息の間から「女の子が…たすけてって…」と言う。
これを聞いて、さっと血の気が引く。さっきの子もこの子も男の子だ。3人目がいるのか?!
―2人だけじゃない!引率のやつら、2人って言ってなかったか?!
怒りに似た、興奮状態ながら、同時に半ば放心しながら辺りを見渡す。2人を無事に保護できたってだけでちょっとした奇跡だ。3人目ともなると…。既に致命的な時間が経過している…。雨はさらに激しくなり、何もかもを水のカーテンと轟音に塗り込めていく。
その時、水面下に幼児の可愛らしい手を見た気がした。
―偶然にしちゃ出来すぎだろう。なんで俺だけが子どもたちに気がつけるんだ?
その答えも後回しだ。あまりにも小さな手で、とても園児のものには見えない。でも、さっきの男の子が言っていたのは、きっとこの子のことだ!
…そうして、俺は3人目を穴から救いだした。でも、助けるべき園児は、やはり2人で良かったらしい。
招かれざる3人目を、俺が穴から引きずり出してしまったために、この世ならざる異界とのまだ不完全だったはずの通路をがっつり開いちまったんだ。
「で、こうなった、と。ジン!気を付けて!近くに反応がある!」
―うげ、ちょっとおしゃべりが過ぎたか
了解。アリーシャ、サポートたのむぜ。
「任せて!」
さあ、狩りの時間だ。