私は一本の木だった。
私が未だ一本の木であった頃、朝は鳥の鳴く声を響かせ、昼は太陽と空の強い色合いに目を細め、夜は広い静寂に沈み込んでいた。
傍を駆け抜けていく風のような時間の中でゆったりと眠っていたのだった。
しかしながら私はいささか貧弱であった。
同時期に植樹された兄弟たちよりも私の背丈は小さく、幹は周りのどの兄弟よりもか弱い。
こうした私のコンプレックスは、昼間の太陽でも乾かしきれないほどに湿り切って、根腐れしていってしまった。
こんな私の姿に、とうとう私を植えた人間さえもあきれ返り、私はやがて立派な木材になるであろう兄弟たちに別れを告げ、私は紙に姿を変えることになったのだ。
紙に姿を変えてまず最初に私は新聞となった。
生まれ故郷の遠目に見えた急流の如き速さで私は文字を打ち込まれ、一つの役割を得た。
このときばかりは腐りきった心に乾いた風が清々しく吹いているような気持ちになれたのだった。
朝の強く冷たい風が吹く中、老夫婦の家に届けられた私はほんわかとあったかい朝ごはんの匂いと、団らんののどかな会話の中での幸せな時間を過ごした。
しかし新聞とはその日暮らしのもの。
その日の夕方には仲間たちが眠る段ボール箱に投げ捨てられ、そのまた二日後には紐でくくられて捨てられた。
そして次は紙パックになった。
またもや文字を打ち込まれ、箱状に成形されて、中にたくさんの牛乳をため込んだ。
冷蔵庫というのは少しひんやりするが、それもまた一興と、この時には自らの境遇を楽しめるようになっていた。
それから何度か私は生まれ変わり、いろいろなことを知った。
人に携わるその中で半永久的な生死のサイクルを経験して、私の気質もいささか酔狂になったのであった。
そんな中で、私は四巻一セットの文庫本になった。
本という形をとるのは私にとって初めてのことだった。
このときもうずいぶんと年を取ってよれよれになった私にとって、比較的長い間そのままでいられる本というのはありがたいものであった。
老い先短い私の永久就職といったところである。
私は田舎の小さな商店街の小さな本屋に送られた。
太陽の光でもうしみだらけの文庫本の中で私のまだ白く新しい体が光る。
「おやおや、見ない顔だね。」
横の古い文庫本が私にしゃべりかけた。
「今日来たばっかりなのですよ。どうぞこれからよろしくお願いします。」
「そうなのか。よろしくな。しかし今日来たばかりにしちゃあ、もう中身はよれよれとしてるなあ。」
「ははは。再生紙を長らくやっていたもので。若いころはよかったのですが、元気がなくなると再生してもこんなものにしかなれませんでね。」
「ああ、そうだったのかい。どうりで。俺は生まれてこの方文庫やってたもんで知らねえけどよ、再生紙ってのもいろいろなことやるんだろ。俺は不器用でそんなことできそうもねえなあ。」
「ただ酔狂なだけですよ。それに今は文庫になってこうやってゆっくり座っているのが一番ですから。」
「ちげえねえな。」
古い文庫本はからからと笑った。
裏表なく、一本気なその本はそれから何年かたって一人の若い青年に買っていかれた。
青年の辛気臭い顔を見たその本はうげえと苦い顔をしていたので笑ってやったものだ。
それから何年かたってだろうか。
夕方近くの駅から商店街に人が流れていく中で、一人のスーツ姿の男が私の一巻を手に取り、パラパラと開いた後、買われた。
スーツの男は家についてから最後まで晩飯を食することなく、風呂に入るでもなく、私を読んでいた。
本の教訓めいた説話一つ一つを目を皿にして受け止め、それらをみて少し寂しそうな顔をした。
そして最後全てを見終わったときに、でこぼこの使い古した缶ケースの中から頃のボールペンを取り出し、相変わらずの寂しげな顔でわたしの表紙の裏の端に、こう書き添えた。
『醒めない夢はあるのでしょうか。
私の知る夢はどれもいずれ醒めてしまうものでした。
私がこんなにも冷たい人間であるのは、夢が見られなくなったからです。
いや、こうして夢のせいにしているのも、そもそもの私の冷たさ故かもしれません。
だからこそ、貴方は夢から醒めるべきなのです。』
私は何が書いてあるかよりも、これを書いているときの男の寂しく辛そうな顔が頭から離れなかった。
男は学校教師だった。
鞄に入れられて学校まで連れられたときにわかった。
学校に来るのも初めてのことではない。
前に牛乳キャップになったときに何度か来たことがあったのだ。
男は私を鞄にひそめたまま授業にあちこちのクラスへ行った。
そして日が暮れ始めて、ほとんどの生徒が帰ったところである、男が学校の屋上で煙草をふかしていると、一人の女生徒が男のもとによって来た。
男はそれを一瞥し、気にしてないかのように暮れゆく空を見つめ、おもむろに私を取り出したかと思えば、女生徒のもとに差し出した。
女生徒は私は戸惑うでもなく受け取り去っていった。
そして女生徒は家で私を男同様に、丁寧に読んでいき、すべて読み終わると、ペラペラと何ページかめくった後に男の書いた文字に気づいた。
それを見て女生徒は優しい顔をして私を閉じたのだった。
それから男が私の二巻を買ったのは、三日後のことだ。
男は一巻同様しっかりと目を通して、そして今度は優しい顔で表紙の裏にこう添えた。
『この本のように万物が移り変わるものだとするならば、貴方は悲しむでしょう。
また、彼の本のように変わらないものもあるというのなら、それを私は受け入れないでしょう。
なので、すべての変わりゆく万物が変わらないもののもとにあると信じたい。』
そして男はまた暮れなずむ屋上で女生徒に私を差し出した。
女生徒は前よりもずっと優しい顔でそれを読んでいた。
それからしばらく男は私の続きを買いに来なかった。
私は薄々感づいていた。
男は決して私を読むために買っていたわけではない。
私はいわば色恋沙汰のだしにされているのだ。
しかしながら私はそのことを別段残念に思わなかった。
なぜなのだろうか、しっかりと説明できないが、本でありながら本の職務にあらぬことをしていることが愉しくて仕方がないのだ。
私はこの本としての不健全な在り方に年甲斐もなく興奮しているのである。
はてさて男が血の気が引いたような顔で私の三巻を買いに来たのはそれから二か月後のことである。
男は今度は本の内容には目もくれず、青い顔で表紙の裏にこう添えた。
『岩は水に流されてやがて小石になって丸まっていきます。
しかし、そんな小石も岩だったころの、尖っていたころのことを、忘れてはいないはずです。
だからこそ尖った心をどうか忘れないで。』
この三巻は、女生徒に渡すのに相当苦労したようだ。
女生徒は学校を休んでいるようで、女生徒の家の裏口の横の石垣の上に男は私を置いたのだから。
私は石垣の上で太陽と空を見上げているうちに故郷の空を思い出した。
あの頃のじめじめとした心は紙としての長い生活の中ですっかり乾ききっていた。
今となってはこの本としての、また恋文としての使命に心を弾ませながら、ひいてはどうかこの私の三巻、男の三度目の恋文にあの女生徒が気づいてくれることを祈っていた。
夕方ごろに女生徒の祖父が私を見つけて女生徒のもとまで渡してくれたので私の祈りは報われたのだろう。
それから一週間ほどたって、焦って男は私の最終巻である四巻を探しに来た。
しかしその本はもうここにはない。
男は無粋にも他の町まで探していたみたいだが、何分珍しいタイトルゆえにすぐに見つけることができなかったようだ。
男はとぼとぼと帰路についた。
いろいろと後悔するところのものがあるのだろう。
目線は地を這い、肩は落ちっぱなしである。
そして男は家についた。
そのとき男は信じられないものを見た。
女生徒が男の家の前にいるのである。
女生徒は少し恥じらいながら一冊の本を差し出した。
その本はなんと私の最終巻であったのだ。
男はその本を受け取ると表紙の裏を見た。
そこに何が書いてあったのか。
それは、男と女生徒のみが語り合うべき言葉である。
それから六十年がたって、かつての女生徒はしわが増えてもの忘れが多い老婆となった。
そんなある日老婆は家の大掃除をした。
そして六十年間ほかの文庫本と一緒に段ボール箱に入れたままだった私を見つけて、何か引っかかうようなかからないような顔をして、私を他の段ボールごと古本屋に売りに出した。
私は今は古本屋の中で、本ならぬ本を道行く人に語っているのだ。