四の九
この戦の処理が済んでから、義は出家し「|保春院殿花窓久栄尼大姉」という戒名を宗乙に貰うことになった。そのまま寺に行こうかと思っていたのだが、政宗夫婦、特に愛によって引き留められることとなった。
伊達にとっての負け戦が続く。こうなれば、政宗と愛の離縁話がどこからともなく湧いてくる。
おそらくは相馬だ。それを抑えられぬ田村は要らぬのでは? そんな声までもが囁かれるようになった。
「そろそろわたくしも孫が見たいのだが」
「お義母様が変な動きをしなければ」
嫁と姑、二人の会話とは思えない。そう称したのは喜多である。
義は「そろそろ不仲説を払拭してもいい頃合いだ」と言ったのに対して、愛は「義が嫁いびりをしているだの、義がいるから仲がこじれるという噂を流すのを止めれば考える」と返したのだ。
昔は気弱に見えた愛も言うようになった。
「孫が見たいのは事実ですよ」
「あの方次第としか」
これだけのことではにかむ愛は、未だ生娘である。何せ、政宗が寝所に行っていない。さすがに「寝所に通え」などと言えない。
「喜多、何かいい方法はないか?」
義は思わず話を振った。
「……いっそ左門を理由にしては如何でしょうか」
「あのような騒ぎが起きぬようにとでも釘をさすか」
左門は弥左衛門といい、小十郎の長子だ。
産まれた時の騒動は今でも忘れられない。
小十郎の妻が弥左衛門を身籠った時、政宗は家督を継ぎ、輝宗を失ったばかり。そんな中の慶事だ。喜ばないはずもない。
……ただ一人、小十郎を除いて。
「主である政宗様にお子がいらっしゃらないのに、私が子を持つのはまかりならん」そう言って、子を殺そうとしたのである。
慌てたのは政宗と愛だ。政宗は「その方の言い分もあろうが思いとどまってもらえないだろうか。子を殺害するようなことがあればその方を恨む」と書状までしたためた。最悪小十郎の妻を匿う心づもりをしていたのは愛で。そんな二人を「甘い」と称したのは、小十郎の姉であるはずの喜多だった。
そんなこともあってか、政宗と愛は佐門をいたく可愛がっている。
「そういうわけじゃ。左門の弟妹に同じことが起きぬよう、精進いたせ」
「わ……分かりました」
顔を真っ赤にして俯く愛は、己の忘れた初々しさというものを思い出させた。
左門、弥左衛門……片倉小十郎景綱の長子、つまりは二代目片倉小十郎。始めは重綱だったのだが、江戸幕府三代目将軍・家光の嗣子家綱の諱を避け重長と名前を改めた。こちらは、政宗と衆道の関係にあったのは事実で、大阪の陣の時に「お前以外に将は任せられないが、心配だ(意訳)と言って、口づけをしたという話が残っている。この方の継室は阿梅といい、真田信繁(幸村のこと)の娘。別名「鬼の小十郎」