一
一
―――元和九年七月某日―――
その日仙台で病に臥す保春院の元を一人の女性が訪ねた。
「保春院様、西館殿が」
従女の一人が保春院の耳元で囁く。それを聞き、ふと目を開ける。西館殿と呼ばれた女の名を五郎八といい、保春院の息子、政宗の娘である。
「保春院様、具合は如何ですか?」
息子、政宗から保春院に宛てた手紙を持ってきたという。保春院は礼を言い、体を起こした。山形より移り住んで以来、高齢ということも重なり度々病に臥しているのだ。
「大丈夫じゃ。此処の所調子は大分良い」
身体を起こしながら言う。五郎八はそのまま寝ている事を勧めたが、具合が良いからと身体を起こし孫娘を優しく見つめてきた。
「それより、ばばと呼んではくれぬか。五郎八」
そう、保春院は一度も彼女にばばと呼ばれたことは無い。産まれる前後に保春院は山形に戻り、五郎八は京で産まれている。顔を合わせたのは此処、仙台に来てからだ。仕方の無い事だと思いつつ寂しかった。
「おばば様」
躊躇いがちに五郎八が呼ぶ。何とも嬉しかった。ふと昔の記憶が蘇える。
「今日時間はあるかえ?あればこのばばの昔話に付きおうてはくれぬか」
「私もおばば様と話がしとうございました。喜んで」
微笑み五郎八が答える。
かつて「奥州の鬼姫」と呼ばれ、伊達に嫁ぎ、修羅となった彼女の人生が走馬灯となって蘇える。後悔してはいけない。決めたのだ。鬼となり守ろうと。
「何処から話しようかの」
そう言い、瞼を閉じる。
保春院は気が付いていた。これは懺悔なのだと。誰かに話さずには黄泉路につくことすら出来ぬのだと。何とも心の弱い事、と自分で思う。孫はその事に気が付いているのだろうか。ただ話すのを待っている。ありがたい、そう思いながら五郎八を見つめた。
「おばば様がお話したい所から話してくださいませ」
そう言い、じっと保春院の瞳を見つめていた。この子はやはりと思った。目元が政宗にそっくりだった。そう、己の信念通すが為、自分や夫、輝宗に挑む時の……。輝宗は「お義に似ていい目だ」と喜んでいたが、あの頃あの目で見られるのが嫌いだった。
理由など明白。片目が失われたからだ。己の失態だ。だからであろう。今、五郎八に見つめられて思うは、あの子に両の目が揃っていればこの様な感じだったのだろう、それだけだ。五十を過ぎた今も息子の目はあの頃と変らない。
あの子に両の目が揃ったままであったら何かが違っただろうか。ずっと繰り返し胸に問うてきた言葉だ。答えは、出ない。
「おばば様?」
いぶかしんだ五郎八が問い掛けてきた。
「何でもありませんよ。そなたの目がほんに、藤次郎に似ておる。そう思うたけじゃ」
それを聞き、五郎八はくすくすと笑い出す。先日母である愛と弟、忠宗に同じことを言われたばかりだという。
「父上も私が『男児であれば』などとおっしゃるのですよ」
ややふてくされたような顔になる。しかし保春院は笑う。
「ばばはそなたが女子であって良かったと思うがの」
そうでなくば、この様に話そうなどとは思えなかっただろう。その時はどうしただろうか。おそらく話をせず、墓まで持っていったことだろう。
「藤次郎は今どちらにいるかの」
「京へ。上様のお供をしていると聞いております」
「ほう、上様のな。何とも信を得たのもじゃ」
「上様は父上を実の父のように慕っていらっしゃるようですよ」
そう言って五郎八は笑う。
自分が山形にいた頃には考えられなかった。あの頃は幕府を転覆させる者として兄、義光に見張りを頼ませていた幕府が。人が変れば、ここまで違うものか。
不思議そうに己を見つめる孫を見て保春院は微笑む。なんと穏やかに最期を迎える事が出来ようとは。兄は不安なまま他界したというのに。兄に心の奥で詫びる。
「そうじゃな。話すとしようかの。このばばが米沢に嫁いだは…」
彼女の記憶は遥か昔へ遡る。