異界の少女(S)
シュウさんサイドです。
ニホンとか言う世界から来たと言い張るその少女のことを、完全に信じたわけじゃなかった。
ラディッシュさまがいくら大丈夫だと言ったって、カズサと名乗る少女がいくら幼さを残す顔立ちをしていたって、魔力を感じ取る力のほとんどないオレにも分かるほどの膨大な魔力とその身に纏う混じりけのない魔の色。たしかにこんな幼げで、少し間の抜けてそうな少女が敵国の間者だとも、魔物を束ねる彼の王だとも思えなかったが、警戒するには十分すぎる理由があった。
……あったはずだった。
「ありあと!」
おまけだよ、と気前よく渡されたカナンの実とウィッカの実を受け取って、たどたどしくお礼を言う少女に戸惑う。
先ほどまでなんら支障なく喋れていたのはラディッシュ様が意思通じの神力をかけていたからだったらしい。神力は一定区間にいる間しかその効果を発揮しない。その距離は力の大きさに比例するが、いくらあの森から一番近い町とはいえ、神力の発動区間を出てしまうほどの距離はある。この町に着き、飛び交う言語が理解できなかったのか少女は不安そうに顔を曇らせてキョロキョロと辺りを見回した。それからしばらくして少女は「ウィーニィ」が感謝を表す言葉だと学習したらしい。試しに、と買ってみた魔除けのタリャスも嫌な顔一つせずに受け取って「ありあと!」とたどたどしくお礼を口にした。
カナンの実を剥いて渡したときも悪意のない笑顔でお礼を口にするし、抵抗があったらしいウィッカの実も「おいすい!」と覚えたての言葉を誇るようにたどたどしく言う。それから興味深そうに眺めていたツードラの乾燥薬を買ってやればひきつった笑顔でそれでも「ありあと」とお礼を口にした。
いちいち調子の狂う少女だった。悪意のない目、なんの見返りもなくすぐに人を信用する素直さ。どれをとっても敵国のスパイだとも、暗殺者だとも思えなくてどう対処すればいいのか分からない。
王宮内でも、騎士団内でも向けられるのは色めいた視線か蔑んだ視線のみ。こんな風に無条件で信用されたことなどなかった。ラディッシュさまでさえ、最初は警戒して話しかけてはくださらなかった。それが普通の反応のはずなのだ。出会い頭にいきなり剣を突き付けられたなら尚更。
「服を買うか」
言葉が理解できていないのは分かっているがそれでも一応話しかける。案の定少女は訳が分からないというふうに目をぱちくりさせたが歩き出せば慌ててついてきた。
少女がついてきていることを気配で感じながら服屋を目指す。ひょこひょこと歩きながら少女はきょろきょろ辺りを見回している。はぐれるんじゃないかとヒヤヒヤするが一応オレの姿をとらえてはいるらしい。オレが立ち止まればぴょこんと半歩後ろで立ち止まった。
「この娘のサイズに合う服をくれ」
とん、と娘の背を押すと娘は不思議そうに店主を見上げた。ここが何を売っているところなのか推測を巡らせているのだろう、忙しなく視線が動く。
店主は頷いて店の奥へ行く。手に持つ布を少女の前に突き出すと少女はかちりと固まり、しばらくしてから戸惑うようにグレーの布を指差した。
頭の悪い娘ではないのだと思う。状況から推測する力がある。ただ流されるだけの馬鹿かと思っていたがそういうわけではないのだ。見ていれば周りをよく観察し自分の置かれている状況を把握しようと努力しているのが分かる。言葉は通じていなくても前後の流れからそれが何を意味するかを正確に推測し行動する。王城にいる女たちより、よほど賢い。まだ少女だとは思えない賢さだ。
だからこそ怪しいとも思う。娘が着ていた服は質のいいものだった。丈の短いスカートに品があるとは思えないが、見たことのない形をしたそれに人の手が加わっていることはたしかだ。肌も艶やかで荒れた様子はない。身分の高い家の子だとは思えないのに、条件的には少なくとも地方領主以上の権力を持つ家の娘だ。そういう家の娘は幼い頃から夫となる男に尽くすよう育てられるからあれほど挑戦的に人に視線をやらないし、女に相応しくない教養も身につけていないものだ。けれど彼女の賢さは明らかにどこかで学んだものだった。
一体彼女は何者なのか。まるで掴めない人物像に眉を寄せた。
「シュウ、――――!」
町からの帰り道、森に入ったところ辺りで少女がオレの袖を引く。その腕にはしっかりとさっき買った服が抱き込まれている。それが服だと分かったときにも少女は嬉しそうに笑ってはっきりとお礼を口にした。
あれから、あれだけでは朝食には足りないだろうとソーサの肉を挟んだフェルディを買い与えたが口の周りをべたべたに汚しながら食べるのでオレがいちいち拭ってやらなければならなかった。おかしい、どうして親子みたいなやりとりをしているんだ。
少女はオレの名前を断片的にしか覚えられなかったのか、オレを「シュウ」と呼ぶ。嫌なわけではないが、その親しげな様子にやはり戸惑う。
「シュウ、――!」
何か異国の言葉で叫んでいるが、何を言っているのか分からない。眉を寄せれば、少女は苛立ったように舌打ちして、次の瞬間顔色を変えて後ろを振り返った。オレもつられてそちらに視線を向け、
「……魔物か!」
腰にさがる剣に手を伸ばした。
フィヌラ・ガーレン。上級魔物ではないが、下級のガラシィよりよほど力がある。昨日は<女神>の月が満月に近かったこともあり、魔物は大人しくしているだろうと油断したのがいけなかったか。そうだ、カディアさまの崩御で知ったはずではないか。今月の<女神>の加護は薄い。魔物の活動を制限するものがない。
「シュウ!」
少女が叫ぶ。
視線を送れば泣きそうな顔でこちらを見る少女がいた。不安なのか、怖いのか。人とふれあうことの少ないオレにはその表情だけでは判断できないが、それでも大丈夫だと頷いてみせた。だが、少女は違うのだと首を振る。何か言いたげに口を開くが、どうオレに知らせればいいのか分からなかったのだろう。悔しそうに眉を歪めて口を閉じた。
「ヴーッ」
獰猛な牙を見せ唸るガーレン。怯まず正面から剣を構え、
「……なに?」
ようやく少女が恐怖する意味を知った。