怪しい者じゃないんです
不審な目に耐え、冷たい殺気に耐え。ようやくわたしがこの世界の言葉をしゃべれないと美少年さんが気づいてくれるまでに一時間はかかったんじゃないだろうか。
「リーズ」
分かった、という意味なのか深く頷いて美少年さんがわたしの額に右手の人差し指を当てた。
「************」
なにやらぼそぼそ言ってるけどよく分からない。
ただ長い長いセリフの後、あたしの額に触れる指先がポウとあたたかくなり。次の瞬間、頭の中に何かが流れ込むような嫌な感じがした。脳味噌の中身を全部入れ替えられているような気持ち悪さ。ちょっと吐きそうになるのを全力で耐えた。初対面のそれもこんな美少年の前で吐くなんて絶対に嫌、とかいう可愛い理由よりも、これ以上不審者扱いされるわけにはいかない。
「……これで言葉が分かるか」
「…………おぉ!!」
なんかすげぇぞ! 言葉が通じてるぞ!! 魔法か! 王道っぽくない展開だけど、魔法はあるのか!!
さっきの落ち着こうとしていた自分はどこへやら、興奮を露わに感動に目を輝かせるあたしに少しひきぎみの笑みを浮かべて、美少年さんはあたしの額から指を離した。
「何者だ」
どうやら今までの会話を再現してくれるらしい。ちゃきりとあたしの首元に切っ先を向けて、美少年さんは鋭い目をわたしに向けてくる。再現してくれるのはありがたいけど、そんなとこまで忠実に再現してくれなくてもいい。
「何者かって言われましても……。日本人?」
「ニホンジン?」
訝しげに眉を寄せるそんな表情も綺麗だ。常々思っていたことだけど、美人はそれだけでお得だ。なんかこう、何しても許される的な雰囲気がある。ずるい。……じゃなくて。
日本を知らないということはやっぱりここは地球じゃないと考えるのが妥当だろう。やっぱりここは異世界ということで間違いなさそうだ。
まずすべきこと。自分の身の安全の確保だ。外には得体の知れない怪物がいる。外でぺロリとお夕飯にされるより、美少年と和解する方がいいに決まっている。彼と和解できれば保護までは望めなくても近くの村かなんかに送ることくらいは頼めるかもしれない。村に出れば稼ぐことくらいできるだろうし、あまりに生活様式が違うようならしばらく面倒を見てもらえないか頼むという手もある。言葉の壁は魔法の力で乗り越えたから、次は怪しいものじゃないことを理解してもらわなきゃならない。とにかく不審者疑惑を取り除かないことには話が進まない。
「気付いたらここにいたんです。ほら、異世界トリップ的な?」
「とりっぷ…………<来訪者>ということか?」
「よく分からないですけど、たぶんそれじゃないですかね。わたしのいた世界には月が二つもありませんから」
「そんな話は聞いたことがないが」
「わたしだって初めての経験です」
おもいっきり疑いの目を向けてくる美少年さんに信じてよビームを送ってみた。
「魔物じゃないのか」
……華麗なスルーだった。見事なまでのスルーだった。お小遣い減額阻止に目を潤ませて(演技)懇願するわたしに対する棗の方がよっぽど惑わされてくれる。
「まもの?」
なにそれ煮物のこと? と首をかしげるわたしに訝しげな視線を送ってくる。
「魔のことだ」
そんなことも知らないのか、とその後に続きそうな口調だった。くそう、馬鹿にしきってるな。その上、聞き捨てならないフレーズが聞こえてきた。
ま、って「間」でもなく「真」でもなく「魔」でしょ? つまり、まものって魔物か! なんだよ、よりにもよってわたしが人間であることを疑ってるのか!
「魔!? そんなわけないでしょう! わたしはちゃんとした人間です!」
そりゃ平平凡凡のこれといって特筆することのない女子高生とはいえ! 一応人間のつもりで十六年間生きてきたんだけど。まさかそんなこと確認されるなんて思ってもみなかった、さすが異世界だ。疑いの幅が種族を超えているとは。
「ではその色は? 見たところ、神官でも王族でもないのになぜ神力を持っている?」
「ちょっと待った!」
いきなりそんなファンタジックなこと言われたって消化しきれないんですけど!
なんだって? 色? しんりょく? いや、待て待て。何一つ意味が分からない。
「まず、色ってなんですか?」
「髪も瞳も黒じゃないか」
「……いや生まれつきですけど」
あれですか。異世界では珍しい色ってことですか。そんなとこばっかりありがちですね。わたし、それならもっと他のありがちストーリーがよかったな。
「生まれつき? 魔の色を生まれつき持ってるのか?」
……珍しい色とかいうレベルじゃなく、むしろ忌まわしい色的な感じらしい。
なんてことだ! 王道ファンタジーどころかあたし敵役じゃないか! いやだ、魔王フラグは嫌だ! あれ周りに美形部下がいなければただの怪物の頭領じゃん! なんかこの展開だと美形な部下とか望めないじゃん! ていうか、この美少年さんで美形遭遇フラグを全てへし折ってしまった気がする。強烈すぎるよ、このビューティーフェイス。
「違うんです! いや、違わないけど! 魔の色じゃないんです!! これ、普通の色! 日本人、わたしたちの民族はみんなこの色なんですから!」
「魔族ということか?」
「ちっがーう!! 話聞いてた!? わたし人間なんですって!」
まさか言葉が通じているのに意志疎通ができないとは思ってもみなかった。そうか、言葉だけじゃちゃんとしたコミュニケーションはとれないんだね。やっぱりお互いに対する信頼感がないと……って、そんなことを学んでいる場合じゃない。
「ではその神力は?」
「んなもん持ってない、「持っているだろう。……よく見れば神力とは違うな。……魔力か?」
「知らんってば! わたし<来訪者>だって言ってるじゃんか!」
美少年のくせに(?)もの分かりが悪い! 頼むよ、分かってくれよ。魔とかそんな大層なモノじゃないんだって。
村人Aとか通りすがりの人Bとかその程度の役割しかないんだって。普通の平凡な一般市民なんだってば。
ぜはぜはと訴えるわたしに美少年さんはじっと視線を当て、唐突に微笑んだ。それはもう薔薇が咲いたかのような神々しい笑みだった。あ、笑うと笑窪できるんですね。
「……なら、改めて自己紹介。オレはガリゲア・イサウ・マオセリン・ラディッシュ。君は?」
名前の長さと突然のキャラ変更に驚きですが。
あれ、今まで無愛想かつ頑固なキャラじゃなかったっけ? わたしのこと「おまえ」とか呼んでなかったっけ? いきなり爽やか美少年? なんなの別人格なの。二重人格なの。美形で、魔法使えて、二重人格とかちょっと設定詰め込みすぎなんじゃないの。いや、もう剣を向けないでいてくれるならそれでいいんだけどね?
「わたしは柏木和紗です。こんなんでも一応女子高生……って言っても分かんないか」
「か、かず、カズ、サ?」
「あー、言いづらいならカズでもいいです」
どうやら日本の名前はここじゃ発音しづらいらしい。わたしの妥協案に頷いて美少年さん……あれ、名前なんだっけ?なんたらかんたらデニッシュ? ガナッシュ? いや、それはどっちも食べ物だ。
「……失礼ですが、」
「うん?」
「お名前をもう一度……」
「あぁ、ガリゲア・イサウ・マオセリン・ラディッシュ。覚えづらいかな?」
……なんたらかんたらラディッシュ!
どうせそんな長い名前、あたしのちっぽけな脳みそじゃ覚えられないだろうから、覚えている部分を略すことにした。
「ラディ?」
「ラディ? いいね、なんかいい響き!」
とっても楽しそうに笑うラディ。さっきまでのクールキャラはいずこに。
「カズ、行く場所はあるの?」
ルンルンと赤い綺麗な瞳を輝かせてあたしの顔を覗き込んでくるラディ。ふぁさふぁさと揺れる銀髪がわたしの目の前で揺れる。あ、睫毛も銀色なんですね。……いや、わたしより長い睫毛にジェラシーなんて感じてないけどね!
おう、と劣等感と闘うわたしにラディはきょとんと目を瞬かせて、それからゆるく微笑んだ。
近い上に笑うな! その美貌は時に凶器となるってことを忘れないでおくれ!
「な、ないですけど……。あ、そうか。さっきの物体Aとお友達になれる……わけないから森で暮らすわけにはいかないよなあ」
「物体A?」
ラディがきょとんと首を傾げる。さらりと揺れる綺麗な銀髪に触れたい誘惑にかられながら、あたしは頷く。
「口がおっきくて、体もおっきくて、そのくせ足が速い反則気味な生きモノに追いかけられてたんです」
「フィヌラ・ガラシィから逃げてきたの? ずいぶん足の速い子だね。それもカズの民族の特徴?」
「いや、わたしは平均より少し早い程度と言いますか……」
「へぇ」
ふぃぬら・がらしぃ? とか言うらしいあの生きモノから逃げきれたことはすごいことらしい。
しきりに感心するラディにちょっとひきつつわたしはふぃぬら・がらしぃと共存する術を考える。
さあ、ヤツを思い出してみよう。大きな体、その身体の半分を占める大きな口、そこに並ぶ黄ばんだ鋭い歯。「オレ飢えてるんです!」ってことを猛アピールしていたような気がしたのは気のせいじゃないはずだ。被食者と捕食者が友好関係を築く方法。……教科書には載ってなかったなあ。
「……贈り物してお近づきになるとか? いや、むしろわたしがエサじゃん。じゃあ、わたしを食べてください、みたいな? ご臨終決定じゃないか!」
ぶつぶつと考えるあたしにラディが鶴の一声。
「よかったら、しばらくここで暮らす?」
「え!」
ガバッと勢いよく顔を上げたあたしにラディがぎくりと体を反らす。
「いや! やましいことなんて考えてないからね!? ただ行くとこないなら、
「ありがとう!! これでふぃぬら・がらしぃにあたしを食べて、なんてサムいお願いをしないですむよ!」
「あ、うん。役に立てて良かったよ……?」
こうしてあたしの美少年とうはうは同棲……げふんげふん! 異世界生活が始まった。