相手の文化を尊重しましょう
「******!」
「へ?」
一安心と息つく間もなく、鋭い声が浴びせられた。まだ声変わりしたてみたいな若い男の人の声。なかなか耳に心地いい低音だ。
むふむふ、とにやつく前にチャキリと首元に当てられたのは鈍く光る銀色。平和な現代日本ではまるで馴染みがないが、それが何なのかはすぐに分かった。
「****!」
「ひっ!」
生まれてこのかた、人に真剣を向けられたこともなければこんなに敵意剥き出しの声を出されたこともない。できることならしたくなかった初体験に頭の中は真っ白だった。
「******?」
訝しげな声と共に向けられていた剣の先が少し横にずれた。
小さく息を吐き出す。
そりゃたしかにさっきの物体Aに喰われるよりはいいかもしれないけど、異世界トリップ早々わけも分からないうちに剣で刺されて死ぬのも嫌だ。
「****? ********」
「……何言ってんのこの人」
難しい顔して何か言ってるんだけど、内容がさっぱり分からない。ていうか、地球の言語じゃないと思う。考えてみれば、英語もロクにできないわたしがバカでかい月が二つもある世界の言葉が分かるはずもない。夢見がちな中学生の読む物語では言葉の壁なんてなかったけど、極限までリアリティーを追求した異世界トリップでは言葉すら通じないらしい。身振り手振りで自分が怪しい人物じゃないことを伝えなければ、意味も分からないうちにご臨終なんてことになりかねない。
それだけはごめんだと、慌てて振り返って、わたしは本日何度目かになる驚きに動きを止めた。
「……わお」
振り返った先にいたのは絶世の美少年だった。
欧米系なのだろう、顔立ちははっきりとしていてきめ細かい肌は透けるように白い。耳にかかる程度の長さの髪は鮮やかな銀色で光の角度によって違う輝きを見せる。こちらを見据える瞳は赤。赤といっても明るい赤ではなく、臙脂色に近いような紅だ。手足はすらりと長く、身長はわたしより頭一つ半ほど高い(別にわたしの身長が低いわけではない、断じてない)。服はゆったりとした上着と足首まで隠すズボンで腰元には細いウエストを強調するように紐が結ばれている。お世辞にも奇麗とは言えない質素な服装だったけれど襟ぐりから覗く鎖骨がセクシーでよだれ出そ……げふんげふん。ともかく、少し顔色が悪いことを合わせ見ても溜息が出る程美しい少年だった。
もっともその手に持つ飾り気のない、明らかに実戦用の剣がこちらを向いていなければ、の話だけど。
わたしがいきなり振り向いたからか、逸れていた剣先がまたわたしの首を狙う。
「ちょっと待って! 話せば分かると思うの!」
言葉が通じないことを忘れて捲し立てた。
「そうやって出会い頭に剣を突き付けるのはどうかと思うの! ほら、人間同士なんだから言葉によるコミュニケーションを図ってみよう?」
その叫びはやっぱり通じていないのか美少年くんの眉が訝しげに寄せられ、ぐいと剣先がわたしの首元に近付く。首に神経が集中したみたいに動けない。怖い怖い怖い怖い!!
「ちょっと待とう! ここは穏便に話し合ってみようよ! とにかくその剣をわたしから逸らすことから始めてみよう!?」
ということで、恐怖から逃れるべく叫んでみた。
……結果余計に警戒された。
いやまあ、ソウデスヨネ。普通突然ワケの分からない言葉で叫びだしたら警戒しますよね。うん、わたしだって目の前で外人さんが叫び出したら警戒するよ。日本人相手でも危ない人に見えるもん。
落ち着け、わたし。せめて、取り乱すなら心の中だけで。言葉を発すれば発するほどわたしの命が危うくなっていくぞ。
大きく深呼吸して、とにかく落ち着きを取り戻す。
ご近所でも有名な華やか柏木家(一部除く)の長女であるために美形は見慣れているとはいえ、美少年は好きだ。美青年も好きだし、美少女も好きだ。ダンディなおじさまだって好きだ。でも殺されそうなこの状態は全く喜ばしい状況じゃない。取り乱している場合じゃないのだ。
言葉が通じないなら身振り手振りだ。大丈夫、頑張ればわたしが不審者じゃないことくらいは伝わるはず。
とりあえず何もするつもりはないよ、と掌を見せる。
「おーけー?」
なぜか片言の英語が飛び出すけど気にしない。気分は英語の教科書によく載っている外国人に道を教える中学生だ。いや、あんなに英語力のある中学生になりたかったけども。
「サーシュ?」
「イエス、さーしゅ!!」
サーシュが何かは不明だけど、とりあえずリピート。まずは相手の言語を理解することから始めよう! コミュニケーションを取るにはやっぱり相手を理解しなくちゃいけないと思うの!
「…………」
だというのに、ものすごい不審な目をされた。
……あれ、なんかしくった?