罪は償わねばならない
シリアス回。カズサちゃんが暴走中。
夜、考えに考え抜いて。それでもわたしはまだ悩んでいた。
利用されるだけだとシュウさんは言っていた。ラディが城に戻ることは少しもラディのためにはならないとそう言っていた。
それを、わたしなんかのために。ラディからすれば身元も確かじゃないわたしなんかのために城に戻ると言わせていいんだろうか。ラディは本当にそれでいいんだろうか。お城の事も色のこともわたしには分からない。でも一度災厄の王子としてこの森に捨てられたラディを、他の人たちがすんなりと受け入れてくれるはずがないことは、わたしにだって分かる。そこに黒色を持ったわたしがいるとさらにラディの立場を悪くするだろうこともわかる。
どうやら昨日シュウさんは帰らずにここに泊まったらしい。こんな狭い小屋のどこで寝たのか不明だけどわたしが起きたときにはもういたから、たぶん泊まったってことなんだと思う。ラディの決意は相変わらず変わってはいないようだったけど、シュウさんはもうラディが城に戻ることを納得したようだった。城へ戻るなら服を調達しなくてはいけませんね、なんてラディのお母さんのように世話を焼いていたから。
ただ一人、本当にそれでいいのかと考え込むわたしに先に痺れを切らしたのはシュウさんだった。
「カズサ、少し出ませんか」
「……え?」
出る?
珍しい申し出にわたしは首を傾けた。買い物は昨日行ったし、わざわざ魔物の蔓延る森に出向く意味が分からない。
けれどシュウさんにはなにか考えがあるのか、やけに積極的だった。
「朝なら魔物も少ないですし。少し散歩しましょう」
「シュウラ」
「大丈夫です。すぐに帰ってきますから」
ラディはそういう意味で声をかけたんじゃないんだろうけど、シュウさんは至極真面目に頷いて強引にわたしを連れだした。ラディが心配そうに見送っていたから、大丈夫だよと手を振ってみせる。わたしを警戒しているシュウさんだけど、ラディが保護すると言った以上わたしを殺さないとシュウさんを言った。そのシュウさんのラディに対する忠誠はたぶん信じていいものだから。
外はほんの少し肌寒かった。昨日ようやく手に入れた長袖を着てきてよかった。いつもよりは少しあたたかく感じてほっと息を吐く。
今日はシュウさんもわたしもローブなしだ。色を隠さなくていいってことは、マーサ町に行くわけではないんだろうか。
どこへ向かっているのか分からないながらも大人しくついていく。それでも、少し湿っぽい地面を踏みしめ考えるのはこれからのこと。
この色で、言葉も分からず、仕事を探すのが困難だってことは分かる。困難というよりたぶん無理だろう。魔の色をもった身元不明の女なんてたぶん誰も雇ってはくれない。でも、お城へついていくのはラディの立場をさらに悪くする気がしてどうしてもいいとは思えない。
どうすればいいんだろう。どうすれば正解なんだろう。どうするのが一番いい方法なんだろう。
ラディがお城に戻るかもしれないとは思っていたけど、まさかこんなに早く分岐点がくるとは思わなかった。どうするのが一番いいのかとどれだけ考えても同じところを回るばかりでちっとも考えはまとまらない。
「カズサ」
わたしの名前を呼ぶシュウさんのイントネーションが変わったことに気付いて顔を上げる。
いつのまにかラディの神力が及ばないところまで来ていたらしい。言葉が通じない。小屋からはずいぶん離れたらしい。どちらかといえばマーサ町に近い、そんな中途半端なところだ。
わたしに言葉が通じていないことはシュウさんも分かっているのか、ただ無言でわたしを見つめていた。
その視線の訴える意味が分からず、辺りを見回してみる。
何の変哲もない森だ。鬱蒼と草木が茂る、あまりいい感じのしない場所。でもそれは、どこか見覚えがあるようで。
「…………あ」
ここでわたしは声を聞いたのを思い出す。
シュウさんと初めてマーサ町に買い物に行った帰り道。とてもとても嫌な予感がしたのだ。
全身白づくめの怪しい人。嫌な気配のする力。もがき苦しむ獣の声。
助けなくては、と思った。それはわたしより弱い者だから。わたしが助けてあげないと。
『それは魔王か? それとも魔王の守護者か。はっ、どちらにせよ〈女神の月〉すら恐れぬ獣か』
まるで嘲るような言葉だった。高位の神人であることを示す色素の薄い瞳が、わたしを守るように立つシュウさんをバカにするように見ていた。
『死神、おまえがなぜ魔王を連れている』
そう嘲ったその人を、わたしは。
「カズサ?」
気遣わしげなその声はもう耳に入っていなかった。その発音が少し違和感のあるこの世界のものではなく、馴染みある日本語に近いものに変わっていたことにも気付かなかった。
ただ消えない血の匂いを、あの日の赤を、思い出していた。瞼の裏に蘇る、迸る鮮血。苦しげに呻く声。わたしを満たした黒い力。
ああ、どうして忘れていたんだろう。あの日の怒りを、あの日の猛りを。わたしが手に入れた力のことを。
力を望むか、とあのコインに尋ねられ頷いたその瞬間にわたしは全てを理解した。力の使い方、白尽くめの不気味な人間がわたしにとっての敵であること、その全てを。
敵であるならば殺さなくてはならない、と体の中を渦巻く力が言った。
わたしは知っていたのだ《・・・・・・・》。
腕に神力の源があることを。
神力の源が断たれることが神人にとってこれ以上ない屈辱であることを。
神力がなくなれば人が死ぬことも、その神人が捕らえていたフィヌラ・ガーレンが解放され神人を喰らうこともわたしには分かっていた《・・・・・・》。
全て分かった上でわたしは、あの神人の神力を堰きとめた。そうして、それを根こそぎ奪った。
殺してしまうことに躊躇いはなかった。
だって彼はわたしたちに害を及ぼすものだから、殺してしまわなくてはいけない。消してしまわなくてはいけない。殺される前に、わたしが。
それしか考えていなかった。
「カズサ……!」
焦ったような声にぼんやりと視線を向けた。
死の色を持つ哀れな騎士。何かをわたしに訴えかけている。
そうだ、あの日も彼はわたしを呆然と見ていた。笑みさえ浮かべながら神人を嬲り殺すわたしを恐れたような瞳で、見ていて。
「カズサ、落ち着いてくださいっ。今、あなたを害する者はいない」
殺してしまえ、とわたしの中の力が囁く。おまえに恐怖を感じている者など殺してしまえ、と。それはたしかに普通ではない思考のはずなのにあまりに自然に、そう囁く。
そうだ、殺してしまえ。あのときそうしなければおまえは殺されていた、そうだろう? 自分の身を守るために殺したんだ。おまえはなにも悪くない。おまえは生きようとしただけなのだから。それなのにヤツは怪物を見るような、そんな目でおまえを見ていた。人は恐怖を取り除こうと動く生き物だ。殺される前に殺してしまえ。
「嫌だ…………!」
違う、違う、違う。
わたしは殺したいわけじゃない。殺してはいけない。だってそれはとても普通じゃないことだから。普通じゃないことは、きっとたぶんよくないことだ。だからわたしは人を殺してはいけないはずだ。
「……あ、あ…………」
違う、それも違う。
普通じゃないから、殺してはいけない。そうじゃない。そうじゃない。そういう問題じゃない。それがたとえ正当防衛であっても、命を奪う事はいいことではないはずだ。圧倒的な力でねじ伏せるなんて、卑怯者のすることだ。だから殺してはいけない。わたしは力の保持者、圧倒的強者なのだから。
「違うっ……!」
違う。それも違う。
わたしは、わたしは、わたしは…………!
殺せ、と囁く声を振り切りたくて耳を塞ぐ。けれど頭の奥で響く声は、わたしの思考を侵食する。
殺せ、殺せ、殺してしまえ! 力のままに殺戮を続けろ。女神すら殺し、世界を壊せ!
いつか感じた、抗いがたい衝動。まるで悪魔のように囁く魅惑的な声。
「嫌だ……!」
「カズサ、落ち着いて。大丈夫です、もうあなたを脅かすものはなにもいない」
ぐい、と誰かに引き寄せられた。あたたかい体温がわたしを包む。押しつけられた耳元にとくとくと生きる音が聞こえてくる。
混乱した頭がスッと冷めていくような気がした。
「わた、し……」
「大丈夫です、カズサ。もう大丈夫です」
優しい声。ただひたすら宥めてくれる、あたたかい声。
もうだいじょうぶだよ、つらかったね。いつの日か聞いた、優しい声に少し似ていた。
「シュウ、さん」
「すみません、少し強引すぎました」
宥めるように大きな手がわたしの背を撫でる。ようやく息がつけた気がして、シュウさんの胸に額を預けた。
「……シュウさん」
わたしは、人を殺してしまった。
それはたしかに悪いことのはずで、それはたしかに人間としてしてはいけないことのはずで。わたしは最低なことをしたはずなのに。
わたしの中の良心はちくりとも痛まない。
「いいんです、カズサ。あなたのしたことはたしかに残虐ではあったけれど、間違ったことではない」
「……ちがう」
「違いません。あなたは自分の身を守った。ただそれだけです。生物の当然の本能です」
違う、違うんだよシュウさん。
それはこの世界では当たり前のことかもしれない。怪しい人を見かけたらすぐさま首元に剣を突き付けることのできるこの世界では当たり前のことかもしれない。
でも違うのだ。わたしの生きていた世界はここじゃない。人を殺すことがどんな理由であれ罪とされる、わたしたちの世界ではわたしは立派な犯罪者なのだ。どんな理由があったって命を奪うことは、間違ったことだ。それはどうして、なんて考えるまでもなく当たり前のことのはずで、人を殺すことはいけないことのはずで。それなのに。
わたしは、それが悪いことだと、そう思わなかったのだ。そしてたぶん、今もそう思ってはいない。
「どのみちあの神人はわたしが殺していたでしょう。この場所を知られたとあってはラディッシュさまのことも知られてしまいますから。あの時点でラディッシュさまのことを神殿の者に知られるわけにはいかなかった。彼を生きて帰すわけにはいかなかったのですから」
「……ラディ」
そうか、とふと気付く。
そうか、ラディはこのことを知っていたからあんなことを言ったのか。
わたしがなんの躊躇いもなく人を殺してしまったから。もう二度とわたしがこんなことをしなくてすむように。これ以上誰かを傷つけないために、城に来て魔力について学べとそう言ったのか。
わたしが人を殺してしまったから。
行かなくては、と誰にともなく決心する。いくぶんか冷静になった頭がそう判断した。
わたしは行かなくてはならない。ラディと一緒にお城へ行って、わたしの持つ底知れぬ力を制御する術を身につけなくてはいけない。人を殺してはいけないのだ、とそう思うのなら。きっとそうすることが誰にとっても一番いい方法なのだ。
「……シュウさん」
「はい」
顔は上げないままシュウさんに告げる。
「わたし、お城へ行きます」
「はい」
シュウさんは反対しなかった。ただいつになく優しい声音で頷いた。
「だから、わたしが暴走してしまったら迷わず殺してください」
わたしが誰かを殺す前に。きっとわたしは躊躇えないから。
「……はい」
少しの間を置いてシュウさんが頷いてくれる。とくとくと心臓は変わることなく命を刻む。
わたしは学ばなくてはいけない。そうしてわたしの持つ力に教えなくてはいけない。人を殺すために力を揮うことはいけないことなのだと。こうして命を刻むこの音を止めてしまうことは、神にだって許されないことなのだから。
そう決心した矢先。
「……ディーファ・マウーゼ・キリュウ・シュウラ? こんなところで何をしている」
聞き覚えのある声に振り返れば、
「……タキハ・カミュ・セルヴァ」
そこには昨日会ったばかりの聖騎士さまが立っていた。




