知識を蓄えましょう
説明回です。カズサちゃん復活。
前回までの伏線は後々ちゃんと回収します。
世界は原始、九の女神から成っていた。九神は賢く、慈悲深く偉大であった。
<愛>の女神は美しく、<憎>の女神は醜く、<喜>の女神は希望を好み、<悲>の女神は絶望を好み、<楽>の女神は凪の如く穏やかで、<怒>の女神は烈火の如く激しく、<快>の女神は光を愛し、<苦>の女神は闇を愛し、全ての女神を<統>が束ねた。
<統>の女神がヒトを生み出し、<愛>の女神が愛を与え、<喜>の女神は祝福を贈り、<楽>の女神は恵みを施し、<快>の女神は性を創った。そうして女神たちは世界の均衡を保つ器となり、ヒトは九神の恩恵の上に生かされていた。いつしかヒトは神々への畏怖の心を忘れ、神々からの賜り物を無限に欲するようになった。世界の片隅の淀みに欲望が生まれた。ある日欲望が囁いた。
「女神のことなど忘れておしまい。いつまで女神の傀儡を続けるつもりだい?」
欲望に囚われたヒトを神々は嘆き、<憎>の女神が殺意を、<悲>の女神が悲嘆を、<苦>の女神が荒廃を与え一度ヒトは滅んだ。
〈神話『世界の始まり』 第一巻『聖なる誕生』より抜粋〉
シュウさんが淡々と読む、初心者向けとは言い難い神話にわたしはぱちくりと目をしばたかせた。
「……え、滅んだの?」
「一度滅んだと言われているね。でもヒトの中でたった一人の生き残り、〈最後のヒト〉がいた。彼が女神たちに懇願し世界の滅亡は免れたと言われているよ」
「……世界の滅亡、デスカ」
ちょっと自分たちを敬わなくなったくらいで、世界滅亡って横暴じゃないんだろうか。
ラディ曰く、ひどい熱を出して丸五日も寝ていたらしいわたしは一週間前スッキリと目を覚まし、寝込んでいたとは思えないほどの食欲を発揮した。だ、だってさ! 仕方ないよね! ほら、こっち来てからあの不思議フルーツしか食べてないんだし! と開き直ってみたもののシュウさんに盛大な溜め息をつかれた。曰く、「警戒していたのが馬鹿らしい」と。それは警戒心が解けたと解釈していいんだろうか。
白い人と出会った直後からの記憶がないけど、どうやら白い人を目にした途端わたしは倒れたらしい。白い人はシュウさんが退治したと。退治ってなにと聞いてもはぐらかされるだけでよく分からないけど、とにかく退治したらしい。穏便な退治だったことを願う。
そして現在、絶賛お勉強中というわけだ。先生はラディ。この世界のことを何も知らないと困るだろうから、とラディは笑ってたけどシュウさんは納得していない顔をしていた。大方、高貴なお方らしいラディに不審人物の世話をさせるなんて許せない、とかそういう感じのことを思ってるんだろう。ラディに説き伏せられたに違いない。文句を口に出すわけじゃないけれど、目が口ほどにものを言っちゃっている。
そのシュウさんはと言えば、毎朝やってきて夕方帰っていく。どこに帰るのかは不明だけど、毎日通うくらいならここに住んじゃえばいいに。面倒じゃないのかな。
毎朝ラディに朝食を届け、わたしには幼児向けの絵本を持ってきてくれるわけだが、シュウさんがここに来る用事といったらそれだけのようで夕方までただじっとわたしとラディの様子を見つめている。視線を外すのは食事のときと気晴らしにとわたしを連れて町に昼食を買いに行くときくらいで、ストーカーも真っ青な執着ぶりに若干どころか盛大にひいた。警戒されてるのか、ただの暇人なのか、たぶん前者だろうけどそれにしたって毎日毎日面倒じゃないんだろうか。
「そうして滅亡を免れた世界で<最後のヒト>は愛の女神との間に子を成した」
「はい、センセー!」
優等生よろしくピンと手を挙げたあたしにラディがやわらかく笑って首を傾げる。
「ん?」
「女神と子を成したってつまりデキちゃったってことですよね! ヤッちゃったんですか!」
ストレートに聞きすぎたのか、ラディが「えっと」と口ごもって目を逸らし、今日も絶賛ストーキング中だったシュウさんが盛大な溜め息を吐いた。
でもさ、神話じゃよくある展開だけど神様との子どもってどういうことだよってなるよね。神様とヤっちゃうなんてなんか凄まじい禁忌の香りがするんだけど。アリなのかな。それともあれか、神様の子どもはそんなこともせずにできちゃうのか。
「女神は形を持たないんだ」
迷うように視線を泳がせながらラディが口を開く。
「へ? 形がない?」
「女神は世界構成の原子とも言われる。彼女たちは姿がない。ある時はヒトに、またある時は獣に身を変えて現れるとされている」
偶像崇拝が禁止されてるってことでいいんだろうか。ならどうして女神だって分かるんだろう? 男神かもしれないじゃないか。
そう尋ねれば、ラディはぱちりとゆっくりまばたきをして「そうだねぇ」と驚いたような声を出した。
「それは考えてみたこともなかったな。その慈悲深さと〈最後のヒト〉と子を成せたことから女神じゃないかと言われているだけで、たしかに女神である確証はないね。でも神殿側は女神であると断言しているし、疑う人はいないよ」
これといって信じる神様がいないから分からないけど、そんな曖昧な存在を信じて拝めるってすごいなー。そういうものなんだろうか。
「でもさ、姿のない女神さまとヤッちゃうって、妄想癖があったの?」
「……女神にはその魂を分けた聖霊がいます」
シュウさんが心底呆れた様子で口を開く。
シュウさんはいつもただじっとわたしたちを見つめているだけだけど、あまりにわたしがとんちんかんな質問をすると説明を加えてくれる。盛大な溜め息つきで。はっきりいって溜め息はいらないと思うんだけど、なかなか分かりやすい説明だから文句は言うまい。
「せーれー? なんですか、それ」
「広義には土地に憑く聖気が形を成したモノです。性も知能もある土地の守護神のようなものです」
机の上に散乱する羊皮紙を引き寄せて、サラサラと書き付けたのはミミズが這ったような、……言い換えよう、海を漂う海藻のような文字だった。
ちょっとずつ文字を覚えたり言葉を覚えたりしているけれどまだスラスラ読めるようにはならない。
今までの意志疎通はラディの神力とかいう力のおかげで成り立っていたらしい。はじめに会ったとき額に指を当ててぶつぶつ言っていたのがそれらしい。あの記憶を書き換えるような嫌な感じは本当に記憶を書き換えていたらしく、記憶内の言語をこちらの言葉に書き換え、その上それを記憶と合致させないといけないものらしい。よくわからんけど、そういうものってことで無理矢理納得した。
神力とやらはある程度その術をかけた人の近くにいないと効果を発揮しないそうで、それでマーサ町にいたとき、まるで言葉が通じなかったらしい。たしかにラディがいないと意志疎通ができないんじゃ、なにも喋れないのと変わらない。というわけで、歴史や地理や神話を学ぶのと共に言葉や文字の勉強もしている。元の世界では勉強なんて大嫌いだったけど、生活がかかっているとなればあたしだって頑張る。さすがにお勉強中はラディの神力を借りているけど挨拶くらいはできるようになった。
「ですが、この場合の聖霊とは女神の魂を分け形を与えたモノを指します。普通聖霊は世界に干渉することができませんが、女神の聖霊はその聖気の強さから世界に干渉できる実体をもちます。元は同じ魂だったのですから当たり前といえば当たり前ですが、各女神が一体ずつ所有する聖霊もまとめて女神ということもあります。基本的に人の前に姿を現す女神はこの聖霊のことを指しますね」
ふむ。タマシイときましたか。さすが、異世界トリップ。なんでもアリだな。
「つまり子どもっていうのは厳密に言えば制裁と〈さいのひれ〉、」
「なんで制裁とさいのひれなんですか。聖霊と<最後のヒト>です」
仕方ないじゃん! あたしたちの世界になかった言葉は翻訳できないんだよ! 一回聞いただけでちゃんと言えるもんか! 発音難しいんだもん、ここの言葉!
こちらの言葉、発音が日本人向けじゃないのだ。舌を丸めて発音するとか、「は」と「ひ」の中間音とか全面的に日本人向けじゃない。なんで「あ」の発音にそんなに種類があるんだよ! まだ英語の方が簡単、……嘘です調子乗りました。英語は聞き取りもおしゃべりもできません。だってほら、生活において必要にかられなかったからね!
「……と、とにかく! 厳密に言えばソレとソレとの子どもってことですか」
「そういうことになります」
「で、その子孫が現代の人々だと?」
「そう言われています。<最後のヒト>の末裔が今のマオセリン王国の王族です」
言われて昨日見たばかりの異世界地図を思い出す。島国がたくさんと大陸が三つでこの世界は成り立っている。マオセリン王国はその中で一番大きな大陸の半分を国土とする大国だ。国王を頂点とする王政を敷いていて、海あり山あり鉱山ありで商業が盛んな国、……だったはず。そして現在地。
……ってちょっと待て。
「え、<最後のヒト>って実在したの?」
「うん?」
「……当たり前でしょう」
溜め息をついて困ったときのシュウさんが説明を続ける。
「遥か昔の話なので確かな伝承は少ないですが、実在していたことはたしかです。これは建国史だとはじめにも言ったはずですが?」
「いや、それはそうなんだけど……」
だって神話って言ってたし、嘘っぽいし、建国史のわりに曖昧すぎるし。
え、ていうか実話だったのあれ。
「実在しないものを信仰するんですか、貴女の世界では」
「うーん。実在しないっていうかなんていうか。でも、国によって神様は違うし、わたしの生まれた国は特定の信仰神はいないよ」
「信仰神がいないの?」
ラディが素晴らしい食い付きをみせた。少し身を乗り出すようにして続きを促す。
「うん。外国の神様の誕生祭もやるけど、お正月も祝うよ」
「おしょうがつ?」
「あーっと、一年の変わり目にね親戚で集まって今年もよろしくお願いしますって挨拶するの。お節料理って言って長寿とか健康を願った料理を食べたりもするね」
「ふうん。誕生祭みたいなものかな」
「誕生祭?」
今度は発音に気を付けて反復してみた。
わたしは最近、十六年間で初めてインコを尊敬する機会に恵まれた。奴らあんな発音の難しそうな口でよく「オハヨウ」とか喋ってるんだよ! すごいよ、偉大だよ! あたしには無理だよ!
「<女神の月>の満ち月の日に女神たちからの恵みに感謝するんだ。その日は国中でお祭り騒ぎだよ」
満ち月って満月のことだよな。ここに来て最初に見た非現実的なモノ。あのでかい月。二つあったけどどっちが<女神の月>だろう。やっぱ蜜色の方だろうか。そしたらあの赤い方は?
「<女神の月>が満ち月に近ければ近いほど世界に注ぐ恩恵は大きい。満ち月は半年に一度くるから年に二度誕生祭があるね」
地球と同じ時間区分と考えるとずいぶんゆっくりと月は満ち欠けするらしい。
うーん、天体とかどうなってんだろ。ていうか、この世界の月も太陽の光を反射して光ってるのかな。買い物に行くときにみた太陽に特に変わった点はなかったけど。
「そもそも<女神の月>ってなんなの?」
そういえばシュウさんに初めて会ったときもそんなこと言っていた気がする。<女神の月>の加護がどうのって。
「<女神の月>は本来九神の加護を指すんだ。実際他の国では<女神の月>といえば九神の加護を指すよ。満ち月の日に生まれた子どもは女神に愛された子だと有難がられたりもする。……でもこの国では違う」
そこでラディは言葉を切った。ゆっくり息を吸い込み吐き出すのに合わせてゆっくり声が乗せられる。
「<愛>の女神はその存在全てで<最後のヒト>を愛した。永遠を生きる女神はもう二度と他人を愛することはない。だから<最後のヒト>と呼ばれるんだ」
「どうして? 未来のことなんて分かんないじゃん」
神様と子どもができちゃうってのはやっぱりよく分からないけど、それでもこれから先誰かを愛さない確証なんてないんじゃないだろうか。永遠を生きているならなおさら。
「女神はヒトではありません」
シュウさんが口を開く。
「女神が特定を愛することはあってはならないのです。万物に平等でなければ神である意味はないのですから。<愛>の女神は禁忌を犯した罪として唯一の心を剥奪されました。ただそこに在るだけの存在に成り下がった。彼女の存在意義はもはや世界の愛を保つための器でしかない。故に彼女が他人を愛することは二度とありません」
「……はあ、なるほど」
昼ドラも真っ青なドロドロ具合だ。女神が生ける屍的な存在ってどういうこっちゃ。いいのかそれで。世界のバランス云々とかないの? そういうお約束展開はないの?
「でも<愛>の女神の<最後のヒト>に対する愛は深かった。<愛>を剥奪される直前に彼女は〈最後のヒト〉に至上の祝福を与えた。〈最後のヒト〉と〈愛〉の女神の血を継ぐ者全てに祝福を。そうして生まれた子を<祝福の子>、<女神のT月>と呼ぶ」
ラディが説明を引き継ぐ。
「つまりマオセリンの王族ってこと?」
「そういうことになるね。もう血がずいぶん薄まってしまったから<祝福の子>が生まれることは珍しいけど。マオセリンの王族に纏わる者はみな多少なりとも祝福を受けているよ。ここ百年で一番の祝福は第二王子、カディア様だった。鮮やかな金と青の両方を持つ方はここ百年生まれていなかったから神殿は大喜びだった」
……これは地雷を踏んだかもしれん。カディア様ってラディの弟君じゃなかったっけ。詳しくは分からないけど王族らしいラディがこんな森にいるのはそれこそ昼ドラも真っ青な理由があるんだろうから触れないでおこうと思っていたのに。わたしのバカ!
「えぇっと、金と青が祝福の証なの?」
「金と青をその身に持つことが祝福の証なんだ。その身のどこが一部分にでもその色があればいい。その色の量が多ければ多いほどいいんだ。カディア様の場合は瞳が金、髪が薄青。今代の国王陛下は両目共に青をお持ちだよ」
うん、目の色は遺伝しないんだね。
なんてずれた感想は呑み込んでおいた。なんか完全に話題を間違えた空気が流れてるんだけど。やっぱりこれってわたしのせい?
「ちょうどいい。この国だけじゃない、この世界全てで共通する色の価値を知っておいた方がいいね。カズの世界は分からないけど、この世界では色が人を見るときの一つの基準とされているんだ」
色。日本も昔は役職によって身に付ける色が違ったのは知っているけれど。ラディの言っているのはもっと差別的な意味を含んでいる気がした。
「金は至上の祝福を、青は祝福を、白は神聖を表す。金を身に纏うことは<祝福の子>にしか認められていないし、神聖色である青と白は王族と神殿、それから王家直属騎士団にしか認められていない」
つまり白い騎士服で胸のエンブレムが青薔薇のシュウさんは想像通りにお偉いさんってことだ。王家直属ってことはお抱えボディーガード? みたいなものかな。
「黒はイーリの色として忌避される。身分の低さを表すのも黒に近い暗い色だ。そして、」
ラディは皮肉げな笑みに口元を歪めた。綺麗な顔が自嘲に翳る。
「銀と赤は最下級、最も忌避すべき穢れの色とされている」
ラディの美しい紅の瞳にわたしの姿が映っていた。




