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俺は店を飛び出してジョンを探した。あの女はジョンを殺すために連れて行ったに違いない。俺は路地から路地を抜け、必死でジョンを探した。心臓が早鐘のように脈打つ。あいつを殺させたくはなかった。
「あんた、本当に自分を人間だと思ってるのね。お気の毒様」
それはあの女の声だった。路地の奥の狭い袋小路でその声は聞こえた。俺は女に気付かれないようにそっと路地を覗き込んだ。やっぱりだ。ジョンは塀に追い詰められている。
女は杭を番えた大きなアーチェリーをまっすぐジョンの胸に向けている。
ジョンは逃げようともせず、背中を塀に押し付けている。その顔に恐怖はなかった。
「俺は人間だよ。でも、お前がヴァンパイアだと思ってるんじゃ仕方ないな。ヴァンパイアを殺すと金になるのか? そんなことで金を稼いでるなんて、哀しいとは思わないか」
「哀しい? よく言うわね。いい? あんたは間違いなくヴァンパイアよ。ヴァンパイアなんて汚らわしい化け物、神に背くものよ。そんなものは世の中から消えるのが当然だわ」
女はアーチェリーの引き金に指をかけた。その瞬間ジョンの目じりがぴくりと動いた。
「あんたは記念すべき五十匹めのヴァンパイアよ。さようなら。人間になりたかったヴァンパイアさん」
俺は猛然とダッシュして後ろから女にアタックした。だが、一瞬遅く女は引き金を引いていた。ドスッという音に、女と一緒に倒れながら俺は絶望感に包まれた。だが、前方にジョンの姿はなかった。
一瞬、気が緩んだ。次の瞬間、俺は女に突き飛ばされた。素早く立ち上がった女はブーツのヒールで俺の腹を思い切り踏みつける。
「うぐっ!」
あまりの痛みに声も出ない。
「よせよ。お前の相手は俺だろう?」
ジョンがいつの間にか女の後ろに立っていた。女は目にも留まらぬ早さで剣を抜くと、振り向きざま、ジョンに切りかかった。ジョンは身軽に剣をかわし、突いてきた腕の手首を掴み、捻りあげた。
剣がぽろりと足元に落ちると同時に、ジョンはそれを蹴飛ばした。滑るように俺の目の前に転がってきた剣を掴んで、俺はどうにか立ち上がった。ジョンの手を振り払った女はジョンを殴りつけようとしたが、彼は逆に彼女を殴り倒した。おやおや、相手はうら若い乙女なのに容赦しない奴だな。
「俺は汚らしく罵られながら死ぬのだけはどうしてもいやなんでね。それじゃ」
ジョンは落ちていた杭を拾うと、塀の向こうに放り投げ、俺に言った。
「さあ、行こう」
俺とジョンがその場を去ろうとすると、女が叫んだ。
「畜生! これで終わったと思うなよ! あんたはあたしが絶対見つけ出して狩ってやるから!」
ひええ、執念深い女だ。俺は念のため剣をこのまま、いただいておくことにした。
俺達は前の日と同じ安宿に帰った。あれから、レストランにリュックを取りにいき、いきなり飛び出したのを謝って代金を払ったり、大忙しだった。例のウェイターはどさくさに紛れてジョンを口説いていたが、体よく断られたようだった。ホテルの部屋に入るなり、俺はベッドに倒れこんだ。もうへとへとだ。ところが、ジョンは窓から外の様子をそっと窺っている。
「すぐにここを出たほうがよさそうだよ、デビィ」
俺は起き上がると、急いで外を見た。
下の路地の向こうから近づいてくる二つの人影。あの女だ。もうひとりは背の高い男だ。長いマントを羽織っている。恐らく仲間のハンターだろう。
「そうだな。勝手口から逃げよう」
俺達は階下に降り、キッチンから裏道へ出ると路地を抜け森を目指した。
森に入ってどれくらいたっただろう。森の道は煌々と冴え渡る満月の光で意外に明るく、進むべき方向を見失うことはなかった。ジョンは歩きながら時々、月を見上げている。それにしても、こいつは強い。二十万ドルの首を取るためには寝ているところを殺すしかないだろう。でも、はたして俺にそれが出来るんだろうか。もちろん金は欲しい。今まで我慢していたものも買うことが出来るし。でも……。
「……俺はやっぱり人間じゃないのかもしれない」
「どうした? 思い出したのか?」
「いや。耳のこともあるんだけど。あの、月の光、浴びていると身体中に何かが満ちてくるような気がするんだ。何かは分からない。でも、デビィ、お前のこと……」
「俺のことが、何だ?」
「あ、い、いや。何でもないよ」
ジョンはまた月を見上げて立ち止まった。身震いして両手で身体を抱え込む。
「おい、大丈夫か?」
ジョンは目を瞑っていた。風邪でもひいたように身体の震えが止まらない。何となく、呼吸の感覚が早くなってきたように見える。
「デビィ……」
苦しそうに肩で息をしながら、ジョンはそう呟いた。
「デビィ、逃げてくれ。早く!」
「おい、逃げてくれって……?」
「早く!」
「おや、兄ちゃん達、こんな真夜中に何処へ行くんだい?」
突然、俺達の傍で男の声がした。前方の森の中から屈強そうな大男が二人現れた。いずれも黒っぽいシャツにジーンズといういでたちだが、腰には剣を下げている。そいつらは俺達を見て陰険な笑みを浮かべた。
「ふん、こっちはどうでもいいが、そっちの兄ちゃんはいいな。上玉だぜ。男娼に売り飛ばせばいい値がつきそうだ」
「な、なんだ、お前達は!」
俺は女から取り上げた剣を振りかざしたが、男達はまったく動じない。
「無駄だ。諦めな」
後ろからの声に振り返るとさらに男がひとり森の中から現れた。前方にいた髭面の男が俺の方へ近づいてきた。手には牛刀のような剣を握り締めている。
「おい、兄ちゃん。金を寄越しな」
「いやだ! それに金なんか持ってない!」
男は俺の顔に向かって剣を振りかざした。刃先が今にも鼻を掠りそうだ。その気迫に俺は動けなくなってしまった。
「持ってないのか。まあ、いい。いずれにしても、兄ちゃんには死んでもらう」
力が入らない俺の手の剣を、男は片手でやすやすと奪い取ってもうひとりの男に渡した。
「この剣はなかなかのものだな。金になりそうだ」
俺は横目でジョンを見た。彼は相変らず目を瞑ったまま、身体を抱え込んでいる。すると、後方にいた長い黒髪の男がジョンに近づいてきた。男はジョンの目の前に立つと、いきなりぐいっと顎を掴んだ。ジョンは目を開け、両手を下げて男を見たが、まったく抵抗しようとしない。
「どうした。怖くて動けないのか」
男は無抵抗のジョンの身体にずうずうしく手を回した。
「おい、こいつ、味見させてもらっていいか?」
「まあ、いい。商品だから傷つけないようにやれ」
「分かってるって」
男はジョンの身体を両手で抱きかかえ、首筋に舌を這わせ始めた。ジョンは目を瞑り少し頭を逸らすようにしている。こいつ、この男に抱かれる気でいるのか。そう思った瞬間、ジョンが、かっと目を見開いた。その瞳はギラギラした青い光を放っている。ゆっくりと開いたその口には鋭く尖った二本の犬歯。
「グウアアアァア!」
狼の唸りのような低い声。
ジョンは、男の頭を素早く掴むと首筋に噛み付いた。男は悲鳴をあげた。だが、すぐに身体から力が抜けたように手がジョンの身体から外れ、だらりとぶら下がった。みるみるうちに男の腕が皺だらけになりジョンは顔を上げた。口の周りが真っ赤だ。ジョンは男を放り捨てるとこっちを見た。その顔は壮絶なまでに美しかったが、先ほどまで一緒に行動していた青年の意思は感じられなかった。ただの血に飢えた獣だ。
「ち、畜生! 化け物め! くたばれ!」
俺の目の前の男はそう叫ぶと、闇雲に剣を振り回しながらジョンに襲い掛かる。男はジョンの身体にまっすぐに剣を突き刺した。
男は息を弾ませながら、ジョンを睨んだ。ジョンもまた男を睨み返す。
「グアァアアアアア!」
ジョンは顔を顰めながら胸に突き刺さった剣を両手で掴んでゆっくりと抜き取った。
「ヒ……イイィ!」
逃げようとした男にジョンが後ろから襲い掛かる。乱暴に男の頭を掴んだ瞬間、首の折れる鈍い音がした。鋭い歯が男の首筋に突き刺さる。
「うわあああっ!」
もうひとりの男は震える手に持っていた俺の剣を取り落とし、そのまま森の奥へと一目散に逃げ出した。
俺は呆然として、ジョンを見ていた。あまりの出来事に逃げ出すことすら思いつかなかった。
やがて、ジョンは顔を上げ、俺のほうを見たが、すぐに目を逸らすと森の奥に向かって走り出した。数分後、静寂を引き裂く鋭い悲鳴が森の中に響き渡った。
どのくらい時間が経っただろう。
俺は、その場に立ったまま、血を吸い尽くされて萎びた二つの死体を眺めていた。
がさがさと草を踏む音がして、ジョンが戻ってきた。俺が貸してやったTシャツは血に染まっていた。ジョンは怪しく光る目を俺にまっすぐ向けて近づいてくる。
「おい! ジョン、俺だ! デビィだ!」
俺が叫ぶと、ジョンははっとして立ち止まった。
「……デビィ?」
ジョンの目から急速に光が失われていく。ジョンは血まみれの手を見た。自分の身体を、そして二つの死体を見た。
「う……うわああああ!」
ジョンは手で顔を覆い、その場にへたり込んでしまった。
俺は二人の死体を森の中に移動した。剣を拾い、ジョンを立たせると森の中に入っていった。少し開けた場所を見つけて腰を下ろす。ジョンは木に持たれて座っていた。膝を立て、じっと下を向いたままだ。
「ジョン、胸の傷は大丈夫か?」
ジョンは顔を上げた。
「大丈夫だ。もう塞がってきてるし痛みもないよ。それから、俺はジョンじゃない。思い出したんだよ。何もかも」
「……そうか」
「俺の名前はレイ。レイ・ブラッドウッド。ブラッドウッド家の直系の血をひくヴァンパイアだ。俺は人間じゃない。あの女の言うとおりだ。俺は人間になりたかっただけさ」
ジョンは俺のほうに顔を向けて、寂しそうな笑みを浮かべた。
「人間の女に恋をしたんだ。ロザリーという名の本当に素敵な娘だったよ。俺はヴァンパイアのタブーを犯して彼女と一緒に暮らしていた。だが、奴らはそれに気が付き、俺を無理やり連れ戻した」
「……ロザリーは?」
「奴らが来る前に俺が逃がした」
「奴らというのは何だ?」
「ジェイク・ブラッドウッドと彼の仲間だ。ジェイクは俺の異母兄弟だ。奴は正妻の息子、俺は愛人の息子だけどね。奴は俺を目の敵にしている」
「お前を眠らせて封印したのは奴なのか?」
「いや、そうじゃない。彼女は俺の一族の秘密を知ってしまった。詳しいことは言えないが、本当は彼女を殺さなければならなかったんだ。俺は一族のタブーを犯したんだ。だから罰を受けたのさ」
「それじゃ、今、お前に賞金を掛けてるのはその男か?」
「だろうな。俺が封印されてるのを知っているのは一族の連中だけだ。だが棺のある場所だけはたぶんジェイクの奴には知らされていなかったんだろう。もし奴が知っていれば俺はとっくの昔に殺されてる。しかし長老や父が生きていればジェイクにこんな勝手なことはさせないはずなんだが。きっと、何かあったに違いない。でも、もうそんなことはどうでもいいさ」
レイは、俺の渡したタオルで顔を拭き、血のついたタオルをじっと見つめた。
「三十年間。俺はたぶん人間として暮らしていたんだ。夢の中でね。あまりよく覚えてはいないけど」
俺はいたたまれない気分だった。何か食べ物でもないかとリュックの中を掻き回すと底の方から大分前に買って忘れていたハーシーのチョコバーが出てきた。少し潰れてるけど、まあいいだろう。
「食えよ。少しは気晴らしになる」
レイはチョコバーを受け取ると少しだけ微笑んだが、すぐに目を伏せてふっと溜息をついた。
「デビィ、迷惑かけてすまなかった。いきなり衝動が襲ってきて理性で制御できなかったんだ」
「いいよ。俺は盗賊に殺されなかったから、逆に感謝してるよ」
「感謝、か。お前はいい奴だな」
レイはチョコバーを食べずにじっと見つめながら、
「デビィ、お前も金が欲しいんだろう? 俺が眠ってるうちに殺しても構わないよ。もう、俺は疲れた」と小さく呟いた。
俺には返す言葉がなかった。レイは木に寄りかかり、目を瞑る。しばらくして軽い寝息を立て始めた。
レイの寝顔を見ながら、俺は悩んだ。こいつは立派なヴァンパイアだ。金のためでなくても杭を打ち込むのが正しい行動かもしれない。でも、どうしてもそんな気にはなれなかった。こんなもの、持っていたってしょうがない。杭を手に取ると森の奥へ向かって力いっぱい投げ捨てた。
翌朝、夜が明けると同時にレイに着替えをさせて俺達は出発した。
森を抜け、大きな幹線道路でヒッチハイクをしてワゴン車に乗った。やがてあるレストランで降ろしてもらった俺達はその後、大きく運命を狂わされることになるが、その顛末、そして、レイの悲しい恋の話はまた日を改めてしようと思う。
<END>