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レイ・ブラッドウッド。
そいつが奴のフル・ネームだ。
奴と俺が、いつ、何処で出会ったのか。俺が何故奴と行動を共にするようになったか。
それをこれからここに記そうと思う。
俺の名前はデビィ。その当時、俺はまだ人間で大学生だった。三年間付き合っていた彼女に振られ、気分転換のつもりで夏期休暇を利用して放浪の旅に出た。大金を持っていたわけでもないし、カードを持ってはいても肝心の預貯金がもの寂しい。不安を抱えた旅ではあったが、移動はヒッチ・ハイク、宿は安宿を探して泊まり、行く先々で皿洗いやらウェイターやらのアルバイトをしては食いつないでいたし、女にも不自由はしなかった。
その旅も一ヶ月ほど続き、そろそろ家に帰ろうかという頃、俺はその町に辿り着いたのだ。
森を縫う一本道が何処までも続いている。俺はピックアップトラックの座り心地のよくない助手席で、咥えタバコでハンドルを握る髭面の中年男の下手糞なカントリーを我慢して聞いていた。やがて森が途切れ、広い麦畑の向こうに小さな町が見えてきた。
「ありがとう、ここでいいよ」
俺は町の方向を示す看板の前に、トラックを止めてもらった。
「何だ、兄ちゃん。この町に入るのか?」
「ああ、もう夕方だし、ここで宿を探してみるよ」
男は『クレセント・ムーン・ヒルズ』と書かれた看板を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「ということは、お前もハンターかね?」
「ハンター? いや違うよ。狩猟大会でもあるの?」
「いや、そういうことじゃなく、今、この町には大勢ハンターが集まっているんだよ。ヴァンパイア・ハンターだ。何でも三十年ほど前にこの先の森に封印された吸血鬼の棺を探しているらしい。見つければ二十万ドルだそうだ」
「二十万ドル? そいつは凄いな」
「まあな。兄ちゃんもやってみたらどうだ? ただし、この辺の森には盗賊やら、化け物やらがうろうろしてるらしいから、せいぜい気をつけた方がいいよ。若い男ひとりってのも、かなりアブねえから」
そう言いながら意味ありげににやりと笑った。
なんとなく嫌な予感がしたが、もう今日はこれ以上移動したくはない。
「ご忠告、ありがとう。気をつけるよ」
トラックが走り去ると、俺は町に向かって歩き出した。麦畑を赤く染めながら日が沈もうとしている。二十万ドルか。悪くないな。でも、俺はハント用の道具を何も持っていない。そう思いながら、町に足を踏み入れると、なるほど、様々な衣装に身を包んだハンター達が大勢歩き回っている。Tシャツにジーンズの上にGジャンを羽織っただけの俺自身が何とも場違いな存在に思えた。地味な石造りの建物が多い町だが、ハンター相手の出店が数多く石畳の道路に並んでいる。ハンバーガーやホットドッグを売る店、得体の知れない道具や、衣服を売る店。どの店もそれなりに繁盛している。
「兄ちゃん、道具がないんだったら、売ってやるよ。一式100ドルだ」
俺の腕を掴んだのは、前歯が抜け深い皺を顔に刻みこんだ、みるからに貧相な男だった。男の皺だらけの手には、不似合いな大きなルビーの指輪が光っている。
胡散臭い男だ。だけど、どの店の店主も同じように胡散臭い。100ドルか。まあ、ダメもとで一か八かやってみる価値はありそうだ。
「道具って、どんなものなんだ。見せてくれよ」
男は自分の前のテーブルに、上から吊るしてあった麻袋のひとつを下ろすと中身を出してみせた。
十字架、ハンマー、鉈、そして、木の杭。
「これだけあれば十分だよ。なにせ相手は封印されて眠ってるんだからな。見つけたら胸に杭を打ち込むだけの話だ。どうだ、簡単だろう?」
男は黄色く濁った目で俺を下から見上げる。
簡単といっても、相手はヴァンパイアだ。人間に紛れて生活するヴァンパイアが多い中、何が理由で眠らされているのか分からないが、きっととんでもなく凶暴な奴なんだろう。
「大丈夫なのか? こんなものだけで」
「まあ、後はお前さんの度胸次第だ」
まあ、そういうもんだろう。一応、フォールディング・ナイフも持っているから、それほど怖れることはない。
「買おう」
「ありがとうよ。ああ、それから、ハントに参加するんだったら、郵便局の横のホテルで受付をしてるから名前を登録してくるといい」
「ご親切に、どうも」
俺は昨日まで滞在していた町で稼いできた金の中から代金を払い、ホテルへ向かった。ホテルの中に入ってみると、ロビーに大きな机が置かれていて、その後ろに腰まである長い銀色の髪に黒いスーツの男が腕を組み、目を瞑って座っていた。近付いていくと男は目を開け、鋭い目つきで俺を見た。瞳の色は水銀を流したようなメタルな銀色。カラー・コンタクトでも入れてるんだろう。
男は、俺が名簿に名前を記入すると、四角いプラスチックの番号札を黙って差し出した。
「あの、これは?」
「胸につけろ。明日は午前八時から森に入れ。棺を見つけたら封印を外して棺を開け、中のヴァンパイアを殺せ。仕留めた印に首を切り取って持ってこい」
吐き捨てるようにそれだけ言うと、男は再び腕を組んで目を瞑った。番号札の数字は666。これはなかなか幸先がいいじゃないか。
「あの、ちょっと聞いていいですか?」
男は目を開け、面倒くさそうに答えた。
「なんだ?」
「そのヴァンパイアってどんな奴なんですか? 凄く凶暴な奴とか?」
その途端、男の眼が鋭い銀色の光を放ったように見えた。
「そんなことはどうでもいい。とにかく探せ。いいか。これ以上、余計なことを聞くと登録を取り消すぞ! さっさと行け!」
「ああ、すみません」
俺は今にも火を噴きそうな男の様子に慌てて退散した。
そういえば腹が減った。近くのレストランにそのまま直行し、ビールとチーズバーガーを頼み、色褪せたブルーのチェックのクロスがかかったテーブルにつき、改めて辺りを見回してみた。店には大勢のハンター達がいた。どいつも時代遅れも甚だしいような衣装に帽子を被っている。それがポリシーなのかもしれないが、一瞬タイムスリップをしたような錯覚に陥った。俺の目の前の席に若いハンターが腰掛けた。黒いレースのブラウスにマント、そして鍔広の黒い帽子。怪傑ゾロみたいな格好だ。
「おい、お前も二十万ドル狙ってるのか」
そいつは、いかにも軽蔑したように目を細めて俺を見ている。
「まあ、お前らみたいなシロウトには狩りは無理だ。俺を見ろ。もう獰猛なヴァンパイアどもを三十匹やっつけてるんだぜ」
そして、首に巻いた首飾りを自慢げに持ち上げて見せた。皮の紐で出来たそれには、長さ三センチほどもある白い歯が穴を空けられ、ビーズのように数珠繋ぎに紐を通されていた。
「それは?」
「こいつは、ヴァンパイアの牙だ。報酬をもらう証拠の牙を一本抜く時に、もう一本は記念にいただくのさ」
その気色悪い首飾りを見つめているうちに牙を抜き取られるヴァンパイアがなんとなく気の毒になってきた。
「あんまり趣味がいいとはいえないな」
「なんだと? 貴様、まさかハンター相手に喧嘩売るつもりじゃねえだろうな?」
おやおや、どうも機嫌を損ねたらしい。
「ああ、悪かった。そんなつもりはないよ。そういうものを見慣れてないもので」
その頃、俺は格闘技はまったくダメな奴だったから、絡まれたときは謝ることを身上としていた。
男はふん、と鼻をならした。
「いいか。ヴァンパイアってやつはお前が思ってるほど簡単に仕留められないぞ。逆に血を吸い取られないように気をつけるんだな」
俺は黙ってチーズ・バーガーを平らげた。店を出るとあたりはすっかり暗くなっていた。誘蛾灯に集まる虫のように酒場や食堂には人が群がっている。俺はとにかく早く寝たかったので出来るだけ安い宿を探した。だが、何処もハンター達で満室だった。ようやく裏通りに面した古いホテルを見つけ、軋むベッドに身を投げ出す頃には午後九時を過ぎていた。窓ガラス越しに街灯の灯がぼんやりと見える。その夜、俺は久々に別れた恋人の夢を見た。夢の中で彼女はアイスクリームを頬張りながら嬉しそうに笑っていた。
翌日、俺は他のハンターや俺のような俄かハンター達と共に森へ向かった。
杉や檜の間を通る道に沿って一時間ほど歩くと、少し開けた場所に出た。ハンター全員がその場所につくと、例の銀髪の男が前に進み出た。
「ここからは各自、自由行動だ。この周辺の何処かに必ず棺は隠されている。見つけだして仕留めたらホテル・ヘルシングまで首を届けること。以上」
相変らず、そっけない奴だ。俺はコンパスを取り出して方向を確かめると、道の西側の木々の間に分け入って、足元に絡みつく蔓や行く手を阻む枝をナイフで切りながら更に奥へと向かっていった。樹木だらけの森の中の一体何処に棺桶などが隠されているのだろう。地面に埋められていれば探しようがないし、まさかそのまま置かれているわけではあるまい。唯一の可能性は洞窟がありそうな山に沿った急な斜面の部分か川の周辺の岩場だろう。俺は、そう検討をつけて探してみたが、めぼしい場所は既に大勢のハンター達が占領していた。五、六時間は歩き回ったと思う。俺は、半ば諦めかけた。やっぱりシロウトには無理だったかな。
ぼうっとして歩いていたせいか俺は草に覆われた崖の縁に気付かず、足を踏み外してまっさかさまに転がり落ちてしまった。崖の高さは五メートルくらいだろうか。草がクッションとなってどうにか怪我をせずにすんだ。よじ登ろうとした俺は崖の草に覆われたところに、何かが光っているのに気が付いた。草を手でのけて見ると、そこには真鍮のドアノブがついた木製のドアがあった。岩に蝶番で固定され、灰色のペンキが塗られたドアは岩の色と同化して、ちょっと見ただけでは気が付かない。三十年の日々は木製のドアにかなりのダメージを与えていたので、鉈を使い、やすやすとドアを叩き壊すことができた。
ドアから覗くとそこは四角くくり抜かれた部屋になっていた。足元から階段が下のほうへ続いている。小さなカンテラをリュックから取り出して灯をつけ、下に降りていく。階段を降りきるとすぐ目の前に細かい彫刻が施された、立派な木の棺が見えた。
ビンゴ! 俺は注意深く辺りを見渡した。天井に大きな蝙蝠の飾り物が下がっている以外には何もない。そっと棺の傍に近づいてみると、棺にはしっかりと南京錠が掛けられ、左右それぞれ一枚ずつ、蝙蝠の絵と見たこともない字が書かれた紙が張られている。これが封印のお札なんだろう。俺はカンテラを天井にあったフックに下げ紙を破り取ると南京錠を鉈で壊した。棺の蓋を両手で力いっぱい持ち上げる。錆付いた蝶番が軋む音が響く。中にいるヴァンパイアはどんな奴だろう。俺は勝手にクリストファー・リー扮する吸血鬼ドラキュラのような中年男を想像していた。蓋が持ち上がり、カンテラの灯に中身が映し出された瞬間、俺は息を呑んだ。