砂鉄
静琵殿(セイビデン)の開門時刻である早朝、やっと後宮から出て自分の執務室に戻れた。
今回の御前披露『清佳人』の計画書を見ながら我ながら頑張っているなぁと感心する。
一、後宮の権力者たちの根回し。
これはひと月前から後宮に顔を出し続けた成果が実を結んだ。
二、費用。
これはもう漠円公の持つ財産と彼を支持する貴族からの寄付をあてにしていたが、後宮のためならばと天帝殿下から施しを賜(たま)わったため問題ない。
問題なのは、昨日の瓊瑠妃(タマルヒ)さまの要求、宝物庫の使用許可である。宝物庫の管理が王太后の一族であり、漠円公とは犬猿の仲なので申請を出しに行ったとしても拒否される可能性が高い。
「まぁ、あんたなら良い返事がもらえるかもな」
同じく漠円公の部下である隻(セキ)が申請書を書きながらそんなことを言う。30歳を少し越えたばかりだが童顔であり、大きな目を面白そうに輝かせている。
「また適当なこと言って」
「大丈夫だって!なんてったって蓮花の君(レンカノキミ)だもんな。
あんた後宮で人気者になりすぎて、そんな呼び名が王宮内でも広まってるってこと知らんだろう」
「・・・・はい!?」
「いや~うらやましいなぁっと!なんだ?足音が」
「蓮殿はおるか!!」
慌ただしく現れたのは、ひげ面顔(づらがお)を真っ赤にした男だった。
王都は外敵からの侵入を防ぐため、深い溝の水掘に囲まれている。堀の中には川から引いた水がなみなみと流れており、気軽に王都に近づけない。東西南北にそれぞれ橋が架かっており、そこから出入りすることが出来る。
この男は南の橋を守る南方将軍の部下の一人であり、蓮とは面識があった。
「蓮殿!すぐに南の関門橋に来んか!厄介な客を呼び寄せて、こっちは迷惑しておるわ」
「なんです、いきなり。客人なんて呼んだ覚えはないですよ」
「白銀の髪の、蓮という者がいるはずだ会わせろと、手形もなしで関所を通ろうとして暴れてる奴がおる!蓮殿以外、そんな色彩を持つ人間などわしは他に知らんわ」
「なんだぁ。胡散臭い話だなぁ。んなの、天下の赤の甲冑武官に応援を頼めば良いだろうが」
隻が呆れてそんなことを言ったが、よけいに怒らせただけであった。
「気軽に呼べるか、愚か者!とにかく、早く話をつけてくれんと困る。あぁ、わしが関所の任の日に限ってこんなことが起きるなんて」
「その、人物の、名は?」
嫌な予感がする。悪寒を感じてぶるりと身体を震わすと、事もなげに彼は言った。
「砂鉄(サテツ)」
忘れていた名前だった。すでに記憶の彼方に消えて、一生思い出すこともないものだと。
見物人の山をかき分けて関門橋の入口まで進むと、果たしてそこに男がいた。縄で縛られていながらも、周りを鋭く睨みつけている。まだこちらに気づいていないようだが、その壮年の男を見た瞬間、隻は目を疑った。
「あれが蓮のとうちゃん!?人違いだろ」
うん、私もそう思いたい。
男は、胡坐をかいた姿勢からでも全身が筋肉に覆われているのが分かるほど、見事な体躯をしていた。
身長も高くこの中津国の平均を軽々と上回っているだろう。優美さや雅(みやび)さを追求した中津国の人から見れば、全身凶器のこの男は畏怖の対象である。灰色の髪に藍色の目の異国人。
どんな厳しい鍛練(たんれん)をしたらこんな体つきになるのかと、新人兵士が怖々と槍を突き付けるふりをしている。槍の先が少しでも男の肩に触れたりしたら殺される。汗を流しながら救援を求め目をさまよわせる。
だが目に飛び込むのは、始めに砂鉄を取り押さえようとした五人の兵士たちの倒れ伏した姿だけである。無事だった関所の兵士十人は、砂鉄を縛りつけた後、その場を新人兵士一人に任せて遠くへ退避してしまった。
ああ、誰でも良いから来てくれ。
必死の思いが伝わったのか、遠くの人垣が割れ一人の人物が近づいてくる。
「れ、蓮花の君!?」