嵐の前 弐
李羅は男という生き物に恐怖しか感じたことがなかった。この美しい人に出会うまで。
後宮生まれ、後宮育ちの李羅の周りには女性しかいなかった。小さい李羅に意地悪をしようとする側妃がいなかったわけでもないが、正妃のお気に入りの女官の娘だったため、陰ながら皆に守られてきた。
その李羅が二年前、八歳の時に身体中傷だらけで後宮の庭園から駆けてきたことがあった。
初めは皆が心配し聞き出そうとしたが、頑なに何も言おうとしない李羅を見た正妃が何か思い当たったのか、声を震わせた。
「あの庭園で誰かに会ったのか」
「・・・・わからない。こわい目をしたものがいたの」
「こわい目?」
「まっくろい目で私を睨んできた。こわくて、こわくて、泣いたらフケイだって叩かれた。ごめんなさいって言ったのにやめてくれなかった」
正妃の顔色が蒼白になり、女官達も俯いたまま静かに嗚咽を零すのを見て、やっぱり自分が会ったのは化け物だったんだと思った。寝る前によく母が話してくれたお伽噺に出てくる邪(ジャ)のもの。
お姫さまを攫う悪いもの。きっと昔に後宮で悪戯をしたために庭園に封印されていたんだ。
だからその夜、眠ったわたしの枕元で、母が泣きながら謝っていた言葉なんて知らない。
『御免なさい、李羅』
『あぁ、なんと酷いことを。あれほど賢帝と言われた王よ』
後宮の庭には化け物がいるけれど、朝から昼には現れなかった。それは光射す庭園は聖なる白い樹木に護られているからって母が言っていた。だから、新しい後宮の管理官が来るって聞いて皆が起きる前から大門がある白い樹木の庭へ忍んで行った。
そこでわたしは出会った。
聖なる人に。
厳かに開かれた扉の向こうから、中津国最強の武団に背中を守られ、現れた、白銀の髪色をした人に。