始まり
新年を迎えて十日が過ぎた昼下がり。特殊捜査室室長の神山一輝は、雑然としたデスクの椅子に深く腰掛け、部下たちから寄せられた報告書をまとめていた。次の指示を頭の中で組み立てていく。その時、無機質な電子音が部屋に響き渡った。目の前の内線電話が、けたたましく鳴り始めたのだ。受話器を取ると、電話口から上司の緊迫した声が聞こえてきた。
「神山、大変な事態だ。東北地方の、とある街で、3000人もの人間が忽然と姿を消した。跡形もなく消えたんだ」
「3000人もの人間が、ですか…?」
神山は思わず聞き返した。そんなことが、現実世界で起こりうるのだろうか。
「ああ。すぐに現地へ向かってくれ。事態は一刻を争う」
上司の口調は、いつになく厳しいものだった。
よりによって、部下は全員他の現場に出払っている。神山は小さく舌打ちをした。
(仕方がない。久しぶりに、私が直接出向くしかないか)
彼は元来、現場での捜査を好むタイプだった。現在は特殊捜査室の室長という立場上、デスクに座り、陣頭指揮を執るのが主な仕事だ。しかし、時には現場に出て、自分の目で状況を把握しなければ、勘が鈍ってしまう。彼はそう言い聞かせ、重い腰を上げた。
身支度を済ませ、東京駅へと向かう。東北新幹線に乗り込み、目的の駅で降りると、駅前に一台の黒塗りのセダンが静かに待っていた。
車から降りてきたのは、顔見知りの私服警官、近藤だった。
「久しぶりです、神山室長。まさか、こんなところでお会いするとは」
近藤は軽く頭を下げる。
「久しぶりです、近藤さん。今回ばかりは、私も駆り出される羽目にりました」
神山は軽く挨拶を返し、助手席に乗り込んだ。
「近藤さんが来ているということは、やはりマスコミは完全にシャットアウトされているんですね」
神山は念のため確認した。
「ええ。今回は、今までの事件とは規模が違いすぎます。半径四キロメートル以内にいた人間が、忽然と消えたんです。消えた住民の家族や関係者からの問い合わせが、各地の警察署や交番に殺到しており、マスコミを完全にシャットアウトできる時間も、そう長くはないでしょう。一刻も早く、何らかの解決の糸口を見つけなければ…」
近藤は疲れた表情で、現状を説明した。
近藤は隣に座る神山を見て不思議に思った。彼はスーツ姿で、コートも羽織っていない。にもかかわらず、東北の冬の寒さを全く感じていないようだった。近藤自身は、厚手のコートにマフラー、手袋という完全防寒装備だ。それでも、車の暖房がなければ凍えてしまうほどなのに。
(一体、この人は何者なんだ…?)
近藤は、内心で首を傾げた。しかし、そんな疑問も、目的地に到着するまでの短い時間の中に、かき消えていった。