33.それぞれの思惑、それぞれの輝き
その日、翡翠クラスの専用サロンを支配していたのは、かつての優雅な静寂ではなかった。
互いの喉元に言葉の刃を突きつけ合うような、冷え切った断絶だ。
「……認められん。あのような卑劣な職具の持ち込み、帝国の歴史に対する冒涜だ! 直ちに学園長へ申し立てるべきである!」
アルフォンスの側近だった少年が、震える拳で大理石のテーブルを叩いた。彼らにとって、テオドールの勝利は「あってはならない不協和」であり、自分たちの存在基盤を否定する事実に他ならなかった。
「……見苦しいですわね。耳を塞げば、不都合な真実が消えるとでも?」
窓際で冷めた紅茶を見つめていた少女――マチルダ・ベルンストルフが、冷徹な一瞥を投げた。その瞳には名門の驕りを冷笑する、鋭い知性が宿っている。
「あの場に、あのパン焼き窯を持ち込むことが許容された時点で、結末は決まっていました。……理を読み解き、現実を書き換える。虹彩の方たちは、すでに我々とは違う次元の『勝利条件』で動いていますのよ」
「貴様、マチルダ! あのような者共を肯定するというのか!」
「現実を直視せよと言っているのです。……アレクシア様は予測不能な方ですわ。今後も、新しい世界を見せて下さるでしょう。貴方は『伝統』という名の紙細工以外に、何をぶつけるおつもり? 追いつくことすら、今の貴方には叶わないというのに」
マチルダは立ち上がり、サロンを後にした。彼女の足取りは、新しい真理への期待に、微かに弾んでいた。
◇◇◇
一方、騎士科の紅玉クラスの修練場。
そこには、自分たちの「武」への疑念と、石英クラスを見下していた傲慢さへの深い反省が漂っていた。
「……俺たちは、あいつを外面の称号でしか見ていなかった」
少年騎士たちの議論を、少し離れた場所で一人の少女が聴いていた。
クララ・クライン。
長身で、しなやかな筋肉を纏った彼女は、よく鍛え上げられた騎士としての威圧感を持っている……はずなのだが。
(…………ふふふっ)
はしばみ色の巻き毛を揺らし、水色の瞳を細める彼女を見た人間は、一羽の「巨大な兎」がのんびりと草を食むのを幻視してしまうだろう。紅玉クラスの「兎の騎士」とは彼女の事だった。
「クララさん、どう思う? あのパン屋……テオドールの戦いぶりを」
仲間に問われ、クララは愛らしいウサギ口を綻ばせ、太陽のような笑顔を向けた。
「素晴らしかったです! あのテオドール殿の必死な姿。……そして何より、そんな彼を信じたアレクシア殿下……。あの日、私は『真実の騎士道』を目撃したと言ってもいいでしょう!」
「……え、あ、ああ。……そうか」
その笑顔の眩しさと、背後のウサギ(の幻影)の存在感に圧倒され、騎士たちは言葉を失う。
「……戦の形は変わるでしょう。ですが、殿下が道を示してくださるなら、私はどこへでもお供いたします! 殿下を侮辱する不心得者は、絶対に!許しませんからね!」
クララはそう言って、重厚なメイスを軽々と回してみせた。
騎士たちの瞳に、絶望と背中合わせの、熱い「希望」が宿り始めていた。
◇◇◇
実務科の黄玉クラス。そこでは、打算と不穏な熱を孕んだ議論が交わされていた。
「―― さて。結局のところ、誰につくのが一番『実入り』が良いんでしょうねぇ?」
サイラス・ギルダーシュタインが帳簿を閉じながら、退屈そうに問いかける。
「保守派の貴族か? それともマクシミリアン殿下の推し進める効率主義か……。まさかとは思いますが、皇帝陛下を擁立しない勢力が現れる、なんてことは?」
「よしてくれ。制度が変わると面倒だ。法の制定なんて考えただけでも気が遠くなるぞ。調整だけで一生休暇が取れなくなる」
誰かの言葉に、周囲が同意の溜息を漏らす。結局のところ、現状が変わらないことで得をする連中が、既得権を離すはずがない。それがアイゼングラードの不文律だった。……今までは。
「……でも、陛下がアレクシア様をあんなに溺愛してるとはなあ。アレクシア殿下のお友達募集中とか言ってたし……それに、虹彩クラスの制定。皇太子自らが次々と異分子を拾い上げている。皇帝一派が革新派だぜ」
「保守派の連中は面白くねえだろうなあ。俺だってぞっとするのに」
「ハハハ!革命とか起っちゃったりして」
一人の生徒が、冗談のつもりで不用意にその言葉を口にした。
刹那。教室内から、一切の音が消えた。
アイゼングラードにおいて、「革命」は死を意味する禁忌の記述。
自分たちの生活を支える鉄の規律を、根底から否定する物だった。
「じ、冗談! 今のは冗談だって!!」
口にした本人がしどろもどろに否定するが、一度発せられた音は消えない。
クラスの全員が、漠然とした、けれど確かな不安を共有していた。
自分たちが立っているこの「当たり前の日常」が、砂の城のように崩れ、今のままではいられなくなるかもしれないという、耐え難い予感。
アイゼングラードの条理は、今、目に見えない速さで「変異」へと向かっていた。
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