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31/33

31.30キロも痩せたら苦労しないんだよ

 演習場を揺らした爆音。本来であれば、熱風と弾丸に晒されたアルフォンスは、文字通り肉片として弾ける他なかった。

 だが。


「……っ、げほっ……がはっ……!!」


 煤だらけになり、大の字に倒れたアルフォンスの周囲には、魔力障壁の残滓が揺らめいている。

 アルフォンスは、震える手で地面を這い、自分の身体を確かめる。全身に礫を浴びたような激痛と打撲傷。動くことは叶わないが、命がある。


「…………助けられた、だと……?」


 彼は理解してしまった。自分が敗北しただけでなく、その命すらも、自分が蔑んだ者によって拾われたのだということを。

 慈悲。それは彼にとって、死よりも残酷な屈辱であった。


「―― はー、だる。ったく、人の仕事増やしてんじゃねえよ」


 心底面倒そうな声が聞こえてくる。

 視線を動かす。とん、と演習場に降り立ったのは、彼が「死神の紛い物」と評した少年だ。


「……イ、イースラン……貴様……なぜ……」

「勘違いすんな。爆散した貴族の掃除とか、考えただけで気が滅入るわ。全ては殿下の采配だ―― 人様に、迷惑かけんじゃねえっての!」


 あくまでもアレクシアの慈悲が、アルフォンスを生かしているのだと宣言するイースランである。


「おい、担架!命に別状はねえ、はやく連れていけ!」


 控えていた医療棟の治癒師たちが、すばやくアルフォンスを退場させる。

 イースランは舌打ちをすると、尚も号泣しているテオドールの尻を蹴り上げた。


「ギャーーッ!!痛いっ!!り、理不尽の極み!!」

「うるせえ!泣くな!お前が勝ったんだよ!胸張って立ち上がれ!」

「そ、そんなこと言っても、腰が、腰が抜けて……!」


 ―― その瞬間だった。


「テオドールさあああああああああああんッッ!!!!!」


 観覧席の最下段。石英クラスの生徒たちが、堰を切ったように演習場へ雪崩れ込んできた。


「やった! やりましたね! パン屋の……僕たちの仲間が、翡翠のトップに勝ったんです!!」

「テオドール! お前、最高にかっこよかったぞぉぉ!!」


 リオを先頭に、数十人の生徒が泣きながらテオドールを取り囲む。彼らはテオドールの脂汗まみれの巨躯を、まるで英雄の帰還を祝うかのように担ぎ上げようとした。


「さあ! 胴上げだ! 勝利の胴上げですよ、テオドールさん!! せーのっ、わっしょ――ぐ、ぐわああああッ!!」


 そう!びくともしないのである!

 テオドールの百二十キロというわがままボディは、ひ弱な石英クラスの生徒たちの腕力では、残念ながら一ミリたりとて浮き上がらなかった。


「お、重い……! 重すぎますよテオドールさん!!もう、いいとこなのに台無しじゃあないか!!」

「いやあ、おかしいなあ!!こんな思いをしたら三十キロぐらい痩せるかと思ったんだけどなあ!!」


 泣きながら感謝を伝えたい生徒たちと、誤魔化すテオドール。感動のシーンが物理的な質量の前に敗北しようとした次の瞬間。


 騒がしい人混みの後ろから、ひょい、と一人の大男が姿を現した。

 エルマーである。彼は一言も発さず、けれどその慈愛に満ちた瞳でテオドールを見つめると、群衆を割って中心へと歩み寄った。


「あ……エルマーさん!」


 エルマーは黙って、テオドールの脇の下にその太い腕を差し込んだ。

 そして。


「…………」


 無造作に。まるで、焼きたてのクロワッサンを棚に並べるような軽やかさで、エルマーはテオドールのわがままボディを、文字通り天空高くへ「ぽいっ」と放り投げた。


「ひえええええええええええ!?!?!?!」


 テオドールが空を舞う。一回、二回、三回。

 エルマーが拾い上げ、放り投げるたびに、テオドールの悲鳴が演習場の天井に響き渡り、それが石英クラスの歓喜の声と重なっていく。


「テオドールさん、とっても嬉しそうですわ!正義は勝つ!ですわね!」


 観客席でアレクシアが満足げに拍手をする。その隣で、ラインハルト主任は安堵のあまり本当に意識を失いかけていた。


◇◇◇


 狂乱する演習場の片隅。

 黄玉クラスの観覧席は、冷たい静寂に包まれていた。

 掲示板に表示された「テオドール勝利」の文字を、悪夢のように見つめる生徒達。

 安牌もいいところだと笑っていた。1.01倍、せいぜいクラス全員がサイラスに昼飯をおごってもらう程度の軽い気持ちでいたのである。何分で倒せるか、のピタリ賞が当たれば小遣いが稼げる。まあ、侯爵家だし、払えなくなれば実家に泣きつきでもするのだろう。そう考えていたのだ。

 

 ピタリ賞などない。なぜなら、勝ったのはテオドールなのだから。

 そして。テオドールに賭けたのはただ一人。


「―――― ぎゃっはっはっはっは!! 俺の、俺の総取りだああああああああッッ!!!!」


 サイラス・ギルダーシュタインが、椅子を蹴り飛ばして立ち上がった。

 彼は狂ったように笑いながら、手を叩き、ガッツポーズを決める。

 それはそうだろう。何しろ、「総取り」だ。勿論999万ギルダーには届かないが、かなりの額が懐に入ってくるのである。

 さすがに教師の目もあるため、それ以上喜びを露わにすることはできなかったが、サイラスの体は高揚感ではちきれそうだった。


「……あいつ……わざとやったんじゃないのか?」

「テオドールが勝つって、最初から分かってて……?」


 黄玉クラスの生徒たちが、戦慄を覚えた目でサイラスを見つめる。

 だが、そこにいたのは「帝国の法理を恣に歪める相場師」などではなく、ただただ自分の幸運と他人の不幸を肴に絶頂する、救いようのないギャンブラーの姿だけであった。


(これで次の軍資金が貯まったな。サンキュー、パン屋)


 サイラスはニコニコ顔のまま、計算をコインの輝きの裏に隠すのだった。


◇◇◇


 そして、その喧騒の最中。

 来賓用の特別席や、貴族たちの応援席では、ある「怪奇現象」が発生していた。


「……え? 私のタルトが、ない……?」

「さっきまでここにあった、高級サンドイッチの盛り合わせはどこへ……?」


 騒然とする観客席。

 だが、その誰も気づかなかった。

 存在感を限界まで希薄にした少年が、人混みを縫うように移動し、片っ端から軽食という軽食を回収していたことに。


「あー……。…… 激しい試合だった。…… あんなの、見るだけでお腹が空くに決まってる……」


 カスパールは、ラファエルがアレクシアを狙った暗殺の破片を弾き落とした一瞬ですら、落ちてきた破片よりも「隣の令嬢が落としたマカロン」に気を取られていた。

 勝負の行方に興味を示すこともない。彼は戦利品を山ほど抱えてご機嫌に演習場を後にするのだった。


お読みいただき、本当にありがとうございました!

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