29.決闘!翡翠の正典VSパン屋の息子
アイゼングラード帝立学園、第三演習場。
石畳に血と汗が染みこんでいる、帝立学園の聖域だ。
栄えある騎士や魔術師を輩出してきた学園の決闘場。
その中央で、百二十キロの巨躯をさらに巨大な鉄の塊―― 「魔導式オーブン」で隠すように抱え、ガタガタと膝を打ち鳴らしている少年がいた。
「……開けたら閉めて放り投げる……開けたら閉めて放り投げる……!!」
テオドールである。五枚目の眼鏡は既に脂汗で真っ白に曇り、視界はゼロに等しい。
意味不明な単語を言い募る姿に対し、観覧席の翡翠クラスの貴族たちからは容赦のない失笑が降り注ぐ。
「見ろよ、あいつ。パン焼き窯持ってるぜ」
「なんと無様な…… 早く楽にして上げてください、アルフォンス様!」
対峙するアルフォンス・ベルンシュタインは、汚れなきハニーブロンドを優雅にかき上げ、深い溜息をついた。
抜いた業物の剣を天に掲げる様は芝居がかっている。
やがて、朗々たる声でアルフォンスは語り始めた。
「ああ……アレクシア殿下。帝国の至宝にして、気高き菫の姫君よ。どうか、その曇りなき瞳で、ご自身の周囲をご覧になってください。……嘆かわしい、あまりにも嘆かわしいことだ!」
彼はわざとらしく額を手で覆い、深い悲しみに暮れる芝居を打つ。
「貴女の制服の裾には、今、見るに堪えない汚泥がこびりついている。
見てください、この不格好な肉の塊を。姓も持たず、ただ粉に塗れて汗を流すことしか知らぬ卑俗な羽虫。神聖なる審判の場にパン焼き窯などという鉄屑を持ち込むその無知、それこそが帝国の伝統に対する救いようのない冒涜だと思いませんか?」
アルフォンスは一歩、また一歩と優雅な足取りでアレクシアの方へ歩み寄る。テオドールの事は完全に無視していた。
「それだけではない。貴女の影に潜む、あの今にも土に還りそうな死神の紛い物……。あのような、不気味な小男を、あろうことか従者として側に置くなど。……ああ、殿下! 貴女はあまりにも純粋で、あまりにも慈悲深すぎるゆえに、寄生虫どもに甘い蜜を吸われていることに気づいていらっしゃらないのだ!」
彼は剣先をテオドールの喉元へ向け、冷酷な笑みを浮かべる。
「ヴァンデルハイムの兄弟も地に落ちたものだ。平民に混じり学ぶ事を是とするなど……だが、ご安心ください。帝国が誇る『翡翠』の正典たる私が、今ここで、この歪んだ劇を終結させて差し上げましょう」
アルフォンスは胸元に手を当て、最高に気障な礼を決めた。
「アレクシア殿下。ボクが、ボクのこの完璧な魔術によって、貴女をこの不浄なる深淵から救い出し、帝国の『あるべき正解』を取り戻してみせる!!
さあ――鉄理の審判を開始しよう。ゴミ掃除の時間だ」
静まり返る演習場。
アレクシアは表情を変えることなく、扇子を取り出すと優雅に口元を隠し、一点の曇りもない透明な声音を響かせた。
「……アルフォンス様。実に熱烈なおはなしをありがとうございました。
ベルンシュタイン家の方は、かくも言葉の端々まで命を宿されるのですね。詩文のようで感服いたしましたわ」
『―― 話の長いお方ですわ』
演習場の観客たちが全員、正しくアレクシアの意図を理解した ―― ように思われた。
ピクリ、とアルフォンスの眉が動く。アレクシアの菫色の瞳は澄んでいる。
「その美しい御髪が光に透ける様は、まさに最高級の魔石炭の輝きを想起させます」
『―― その髪、とても良く燃えそうですのね』
「帝国の事を一心に考えてくださる様にはわたくしも深く共鳴いたしました。その朗々たる陳情は、忠臣の鏡として記録させておきます」
『―― 貴方の黒歴史はわたくしが残して差しあげます』
「それではテオドールさん。よろしくお願いいたしますね。ご自身が最高に輝ける瞬間を、今か今かと待ち望んでいらっしゃるようですから」
『―― テオドールさん。爆破しておしまいなさい!』
観客達が一斉に震え上がった。アレクシアの心が、水面を伝播する波紋のように、物理的な圧を伴って正しく伝わってきた、と信じて疑わない。
アルフォンスの存在そのものを「燃料」として処理することを促す、あまりにも冷酷な死刑宣告……と聞こえたのだが。
(ふう……!びっくりしましたわ!宣誓があるだなんて知りませんでしたもの……!うまくお話できたかしら?)
実際のアレクシアは、頑張ってそれらしいことを捻りだしただけであった。傍らにたたずむラファエルをちらりと見上げると、彼は誇らしげに笑い、胸に手を当てて臣下の礼をとった。
「アレックス殿下のお心、しかと感じました。信じて待ちましょう」
「―― はい!」
腹芸ができる殿下も美しい、と勘違いしているラファエルなのであった。
そしてアルフォンス。
全生徒の前でこき下ろされた彼の額には、青筋が浮かんでいる。
ギルバートは笑いが止まらなかった。あのプライドの塊が、情緒を滅茶苦茶にされているのだ。これで舞台は整った。
「く、くくくッ――…! 殿下にご満足いただけるように、この平民は、細切れにして献上しよう!!」
「うわあああぁあッ!!あ、開けたら閉めて、放り投げるッッ!!」
アルフォンスの剣先から、一分の狂いもない音韻構成による『炎の槍』が放たれた。
◇◇◇
―― 話は二日前、決闘状を受け取った日に遡る。
学園の地下。第三廃棄物処理場に、テオドールたちは集結していた。
「いいか、テオドール。あいつの魔法はなァ、教科書通りのお綺麗な術式だ。言ってみりゃあ、均一だから対策しやすいんだよ。吸気弁の機能をこの『魔晶板』で上書きすれば、吸引の壺みたいにあいつの魔素を吸い込める」
「どっどっどっどういう事ですか?」
「―― ラファエル、俺とクソ野郎が戦った時の事を覚えてるか?」
「はい。きちんと理解できているとは限りませんが……」
「……おーいラファエル君。クソ野郎ってもしかして俺の事かあ?」
ウザ絡みし始めたシグルドを、アレクシアが「お兄様、今はちょっと……」と窘める。
シグルドの顔が驚愕に歪んだ。アレクシアから突っ込まれたのだ。
赤ん坊から道理を説かれた様な衝撃を受け、さしものシグルドも両手の人差し指をつんつんしながら黙り込んだ。
「えーー……、気を取り直して。あの時、この性格ドブ川野郎が俺の炎を書き換えて、雷にしただろ?」
「はい!確かにそうでしたね」
「魔素と術式には、それぞれに「揺らぎ」があるんだよ。音程みたいなもんだな。その、特定の「揺らぎ」さえ掴むことができれば、取り込んで自分のモンにできるし、打ち消すこともできる。和音と、対消滅だな。ここら辺は小難しい理論になるからパス」
「……つまり、解析さえできれば防御できる、という事ですか?」
「そーー、飲み込みが早いねえ。んで、「教科書通りの術式」が生きてくる。こんなに解析しやすいモンもねえだろう。全魔術の防御なんてのは、今の魔導工学にゃあ成しえねえ。ただ、判り切ってるモンなら防げる。テオドールのオーブンはな、『アルフォンスの炎の魔術限定の吸引機』になれるって事だ」
そう言うと、イースランはテオドールのオーブンに無理やり『吸引』の術式が刻み込まれた魔晶板をねじ込んだ。そして、ポンとテオドールの肩を叩く。
イースランの笑みは、邪悪に染まっていた。
「お前は戦おうなんて思うな。アレックスにパンを献上する時の、あの必死なツラでオーブンにしがみついてろ。……あとの『味付け』は、俺がやってやる」
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