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26.虹彩の号令

 アイゼングラード帝立学園、校長室兼特別来賓応接室。


 分厚い防音結界が幾重にも張り巡らされたその密室には、本来であれば学園の権威を象徴するオーク材の椅子が、どこか小さく見えるほどの圧倒的な「圧」が満ちていた。


「 アレクシアに! 初めての! お友達が!! 三人もできたとはあああああ!!!」


 甲冑を軋ませ、御年七十歳児のゲオルギウス陛下が机を叩いて号泣していた。(いわお)のような体躯が揺れるたび、応接室の床が物理的な悲鳴を上げる。


「しかも、パン屋の息子まで仲間にするなんて! これぞ真の王道! 民衆との融和! さすがパパのビッグバン、慈悲の女神……エルゼの忘れ形見だあああああ!!」

「ち、父上。落ち着いてください。床の修復費は学園の予算ではなく、皇室の私費から出すことになります」


 その隣で、テノールの柔らかい声が響いた。

 皇太子マクシミリアン・フォン・アイゼングラード。黒髪を短く整えた姿は文官然としており、ゲオルギウスにはあまり似ていない。おっとりとした忠犬のような微笑を浮かべつつも、手元の分厚い報告書を捲る指を一瞬たりとも止めない。


「……ラインハルト主任。アレクシアの学園生活、扉の損壊状況以外については概ね良好と判断していいのかな?」

「は、はっ……。殿下は、その……非常に意欲的に、学友との交流を図っておられます。結果として、校門の爆破や、技術室の扉の粉砕、演習場の破壊、校舎の崩落、認識改変魔法の暴走などが起きてはおりますが……」


 帝立学園の誕生から現在までにおける最大の問題児であった。

 ラインハルトは、胃のあたりを抑えながら直立不動で答える。その顔は、戦場を幾度も潜り抜けた猛者のものとは思えぬほど疲弊していた。


「うーん。まあ、問題ないかな。想定の範囲内だ」


 ラインハルトは眉を下げて遺憾の意を示した。どんな想定だ。

 その間にも、皇太子の蒼瞳が、報告書の一枚を鋭く射抜く。その内側に潜む「狐」が冷徹に内容を値踏みしていた。表情も声も柔らかい。一見すれば、お優しい皇太子殿下だ。


「ヴァンデルハイム侯爵家を掌握したのは大きいね。現ヴァンデルハイム家は、旧弊な価値観の貴族そのものだからさ。

 そしてテオドール……。理論を凌駕する発明か。帝国産業の革命の鍵となり得る存在だね」


 マクシミリアンは微笑んだ。亡き母、ゲオルギウスの正妃に良く似た笑みである。

 ラインハルトは実直と誠実、そして類稀なる知性を武器に戦い抜いた正妃ベアトリスを懐かしく思い返した。そして、エルゼ。―― アレクシアの母。魔術王国の女王にして、秘された風花。鉄の皇帝が唯一愛したとされる女性の忘れ形見こそがアレクシアなのだ。


「アレクシアという最強の資源の周囲に、これほど短期間で最適な装置が集まるとは。……シグルド、君の毒の撒き方も、今回は評価に値するよ」


 窓際で退屈そうに外を眺めていたシグルドが、肩をすくめてニヤリと笑う。


「効率の鬼にそう仰って頂けるとは光栄ですねえ。皇太子殿下」

「……イースランはどう?」


 マクシミリアンの問いに、シグルドは腹を抱えて吹き出した。


「ああ、あいつか!もう、情緒は爆発!胃壁は壊滅!毎日飽きもせずに俺を呪殺しに来るから、笑いが止まらねえよ!諦めと顔色の悪さだけは帝国一だな」

「……イースランの損耗は帝国の損失だよ。適切な休養――物理的な拘束も含めて検討しよう。彼はエルゼ様が予言した、アレクシアを繋ぎ止める唯一の楔なのだから」


 マクシミリアンは報告書をパタンと閉じ、立ち上がった。

 その瞬間、部屋の空気が一変する。


「父上。準備は整いました。……アレクシアという帝国の太陽を、中心に据えるための儀式を始めましょう。彼女の齎す理不尽を、帝国の論理へと昇華させるための第一歩です」

「うむ! よおーし、アレクシアにお友達を紹介してもらうパパの雄姿、特等席で見せてやるからなあ!!」


 皇帝ゲオルギウスが立ち上がり、黄金の覇気が部屋を支配する。

 言っていることはボケ老人。佇まいだけは英雄のそれであった。

 ラインハルトが絶望に目を閉じ、シグルドが愉悦に瞳を輝かせる中――

 アイゼングラードの支配者たちは、三千人の生徒が待つ大講堂へと、その一歩を踏み出した。


◇◇◇


 アイゼングラード帝立学園、大講堂。

 全校生徒が集うその空間は、かつてない異様な威圧感に支配されていた。


 壇上に並ぶのは、学園関係者ではない。この帝国の支配そのものを体現する者たち。

 甲冑を纏い、巌のような体躯で中央に鎮座する、皇帝ゲオルギウス。

 そしてその傍らには、優し気な笑みを浮かべる皇太子マクシミリアン。


「……ありえない。陛下だけでなく、皇太子殿下まで。これはもう学園の行事ではありませんわ。まるで宣戦布告の儀式ですわね……」


 最前列の翡翠(ジェイド)クラスで、令嬢たちが震えながら囁き合う。

 その中で、アレクシアはぴんと背筋を伸ばし、壇上の父と兄を見つめていた。


(まあ! お父様にお兄様! お二人が一緒にいるなんて、めずらしいですわ!

 特にお兄様!もう目も回るぐらい毎日忙しくされていらっしゃって……

 心配しておりましたけれども、こうして元気な御姿を見れてよかったですわ!)


 内心、お花畑でヨーデルを歌い出しそうなテンションだ。

 だが鉄面皮の彼女が浮かべていたのは「今すぐ誰かを処刑台に送りそうな冷徹な無表情」であった。

 その隣で、死んだ魚の目をしたイースランが、マクシミリアンの視線に気づいて小さく震える。


(……嫌な予感しかしない。あの腹黒効率皇太子、いっつも何考えてるかわかんねえんだよな……アレクシアとは真逆のタイプだ)


 やがて、マクシミリアンが一歩前に出た。

 その静かな声が、魔法で増幅され、大講堂の隅々にまでに響き渡る。


「帝国市民諸君、ならびに次代を担う学生諸君。……本日、この学園における既存の階級制度を事実上解体することを宣言する」


 ―― 静寂。

 あまりの言葉に、学生たちの思考が停止した。

 翡翠、紅玉、黄玉、石英。

 数百年続いてきた血筋による選別を、たった一言で否定したのだ。


「これより、帝国は新たなる特異点を求める。血筋ではなく、魂の出力。家柄ではなく、技術の深淵。……その象徴として、全クラスより選抜された異能の集団、特異選抜クラス『虹彩(アイリス)』を設立する」


 マクシミリアンが指し示した先には、数人の名前が浮かび上がっていた。


『アレクシア・フォン・アイゼングラード』

『イースラン』

『ラファエル・ヴァンデルハイム』

『ギルバート・ヴァンデルハイム』

『テオドール』


「……なっ!?」

「テ、テオドール!? あの石英クラスのパン屋の息子が!?」

「ヴァンデルハイム兄弟が、二人とも……!?」


 ―― 騒然とする場内。既存の特建階級である生徒たちが、「在り得ない!」と叫んでいる。


「殿下!石英クラスであっても、実力さえ示せば虹彩(アイリス)クラスへ入れる、という事ですか!?」

「そうだね」

「どのような力があればいいのですか!?」

「既存の枠組みに囚われぬ力を求めているよ。剣、学問、商才、類は問わない」

「どうやったら入れるんですか!?」

「―― 方法は、至ってシンプルだね。特に試験は設けない。この私に、君という存在を資源として、今の帝国にはない価値があると認めさせればいいだろう。

 翡翠の血統。紅玉の誇り。黄玉の計算。石英の勤勉。

 ……そんな物は必要ない。今までの価値観は捨てることだ。既存の正解を書き換え、私に新しい正解を認めさせた者のみに、この虹色の椅子を用意しよう」


 矢継ぎ早に飛ぶ質問は、本来ならば不敬だと斬って捨てられる物だ。

 だが、皇太子は悠然と構えたまま、微笑みまじりに質問に答えていく。

 それが、宣言は本物であると―― 生徒たちに信じさせた。


 ラファエルはアレクシアの背中を見つめ、静かに剣の柄を握った。

 ギルバートは、懐の黒い小刀の感触を確かめ、薄く笑った。

 そしてテオドールは、三枚目の眼鏡がピキリと音を立てるのを、ただ呆然と聞いていた。


「ありえない!ありえませんよ!!これはまるで、帝国歴200年の『グスタフ王子の強制徴募』並みの悲劇ですよぉぉぉ!!」

「テ、テオドール!落ち着けよ!光栄じゃないか、特別クラスなんて!」

「何が光栄だ!アレクシア殿下みたいな方と一緒にいたら、命がいくつあっても足りないよ!!鉄の扉を片手でこじ開けるような人なんだぞ!!」


 隣の友人が興奮したように言うのを、テオドールは絶望しきった表情で否定する。眼鏡は既にバキバキに割れていた。

 阿鼻叫喚と熱狂が渦巻く中、ゲオルギウス陛下が立ち上がり、豪快に笑う。


「ガハハハ! よおーし! 学園の諸君! パパのビッグバン……もとい、アレクシアを全力で支え、遊び、学ぶが良い!! 予算は無限大だ!!

 アレクシアの、新たなお友達!!募集中!!」


 こうして、アイゼングラード帝立学園は、一人の皇女と彼女に焼かれた怪物たちによる、激動の時代へと突入したのである。


お読み頂きありがとうございました!

予約投稿できてなくて、スマホで上げたのでルビが打てなかった…

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