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15.卑怯者と皇女の剣

 かつて近衛騎士団で師範を務めた老剣士が、ヴァンデルハイム家を訪れた日のこと。


『――ふむ』


 老剣士は、ギルバートの剣を一目見て、興味なさそうに鼻を鳴らした。


『型はできている。だが、それだけだ。華がない』


 悪気などなかったのだろう。ただの感想だ。

 だが、幼いギルバートにとっては、存在そのものを否定されたに等しかった。

 毎日、血豆が潰れるまで素振りをした。夜も隠れて教本を読んだ。

 それでも、「華がない」の一言で切り捨てられたのだ。


 対して、弟のラファエルを見た時の老剣士の目は違った。

 まるで宝石を見つけたかのように輝き、熱のこもった声で称賛した。


『素晴らしい。これぞ天凛。帝国の誇る、光の太刀筋である!!』


 なぜだ。

 同じ血を引いているのに。同じように努力しているのに。

 なぜ、あいつだけが光の中にいて、俺は泥の中にいるんだ。


 それからのギルバートは、手段を選ばなくなった。

 正々堂々とやって勝てないなら、卑怯と言われようと勝つしかない。

 勝てば誰も文句は言わないはずだ。勝てば、俺を見てくれるはずだ。

 ―― そう思った。


 だが、現実は残酷だ。たとえ卑怯者の自分が勝ったとして、そこに名誉などありはしなかった。

 むしろ、安心して断罪できる「悪」として、嘲笑のやり玉にあがるだけだ。

 勝っても汚いと言われ、負ければざまあみろと嘲笑される。

 俺の努力も、苦悩も、誰も見てはくれない。

 英雄の影に隠れた、ただの惨めな敗北者として――。


 学園に入学してからは、帝王学を専攻した。領主としての気構え、具体的な領地の経営に関する講義など、嫡男であるギルバートが進むべき道であったからだ。

 表立って弟と比べられることはなくなった。だが、内情を知っている周囲からの視線は冷ややかで、ギルバートをいらだたせるには十分すぎるものだった。


 …… 騎士科の中で、ラファエルに後ろ暗い気持ちを抱いている人間がいると知ったときは、天啓を受けたと思った。己は少し水を向けるだけでいい。それだけで、あの、欺瞞に満ちた弟の光を、地に落とすことができるなら ――


◇◇◇


 だが。

 ラファエルの剣は、ギルバートの持ちうる全てを凌駕していた。

 泥にまみれながらも、その剣筋だけは白亜の塔のように揺るがない。

 基本に忠実で、無駄がなく、そして美しい王道の剣。


 カィィィンッ!!


 高い金属音が響き、ギルバートの剣が空高く弾き飛ばされた。

 ラファエルの切っ先が、兄の鼻先寸前でピタリと止まる。


「……俺の勝ちだ、兄上」


 静寂。

 ギルバートは膝をつき、呆然と弟を見上げた。

 完敗だった。どんな汚い手を使っても、この弟には届かなかった。


「……殺せよ」


 ギルバートが涙声で呻く。


「笑うんだろ。卑怯な手まで使って負けた、無様な俺を……!」


◇◇◇


 だが、降り注いだのは嘲笑ではなかった。

 パチ、パチ、パチ……。

 静かな拍手の音が響いた。


「見事でしたわ」


 アレクシアだった。

 彼女はラファエルの横を通り過ぎると、倒れ込むギルバートの前にしゃがみ込み、その目を真っ直ぐに見つめた。


「え……?」

「泥を使った目潰し。隠しナイフによる不意打ち。そして、相手の意表を突く足技……。どれも、騎士道においては褒められたものではないかもしれません」


 アレクシアは、淡々と言葉を紡ぐ。


「ですが、それは『生き残るため』の執念。泥を啜り、騎士の誇りを捨ててでも、ただ勝利をもぎ取ろうとする……それは、戦場においては最も必要な力ですわ」

「……は?」


 ギルバートの思考が停止する。

 罵倒されると思っていた。軽蔑されると思っていた。

 なのに、この女は。


「綺麗な剣だけが、強さではありません。貴方のその泥臭い剣もまた……誰かを守るための最後の手段になり得ると、わたくしは思います」


 アレクシアに嘘はない。

 彼女は純粋に、ギルバートのなりふり構わない必死さを、一種の「才能」として評価したのだ。

 ギルバートの目から、ボロボロと涙がこぼれ落ちた。

 父も、師も、誰も認めてくれなかった。

 「汚い」「卑怯だ」と蔑まれてきた自分の剣。

 それを、帝国の至宝である皇女が、肯定したのだ。


「あ……ぅ……、あぁぁぁ……ッ!!」


 ギルバートは言葉にならない叫び声を上げると、脱兎のごとくその場から走り去った。

 これ以上ここにいたら、自分の心が壊れてしまいそうだったからだ。

 逃げる背中は無様だったが、その心に刺さった棘は、確かに一つ、抜け落ちていた。


◇◇◇


 あとには、ラファエルとアレクシア、そしてイースランたちが残された。

 夕陽が校舎を赤く染め上げる。


「ラファエル様」

「は、はい……」


 アレクシアは、イースランの方へ手を差し出した。

 イースランは「へいへい」とため息をつきながら、用意していた剣を渡す。

 それは、「竜殺し」の代わりにイースランが街で見繕った、実用本位だが業物の長剣だ。

 アレクシアはそれを恭しく捧げ持ち、ラファエルの前に立った。


「出しゃばった真似をしてごめんなさい。ラファエル様のご事情もわからないまま、勝手なことを申し上げました」

「いえ!そのような事は……」

「わたくし、待っていたんですのよ」

「――――……!」

「ラファエル様を、お待ちしておりました。教室で。来ていただけなかったから、探しに来てしまったのです。…… はしたないと、思わないでくださいね?」


 そんな事をアレクシアが言うものだから、ラファエルは、それ以上彼女の顔を見ることができなかった。形容しがたい感情が襲ってきて、口元を掌で覆う。勝手に涙が溢れる。


「貴方の剣は、美しかった。けれど、貴方の兄上の剣もまた、別の形の美しさを持っていたと思います。…… どちらも尊いものですわ。でも、わたくしは、ラファエル様にこそ、この剣を贈りたいのです」


 アレクシアは微笑んだ。

 それは表情筋の死んだ微かな笑みだったが、ラファエルには女神の慈悲に見えた。


「受け取ってくださいまし。わたくしの、新しい『友人』の証として」


 ラファエルは震える手で、その剣を受け取った。


「……謹んで」


 ラファエルは片膝をつき、剣を胸に抱いた。

 涙が頬を伝い、泥を洗い流していく。


「この剣に誓って……。我が命、我が魂、その全てを貴女様に捧げます。……我が、あるじよ」


 それは、忠誠の誓いであり――生涯をかけた、愛の告白だった。



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