14.持たざる者の剣
「―― まあ、皆様。日々の鍛錬、お疲れ様です」
泥まみれのラファエルを見下ろす、ギルバートと騎士科の生徒たち。
彼らの背筋に、冷たい汗が伝う。
木立の中から現れた第五皇女アレクシアは、死滅した表情筋のまま小首を傾げた。
彼女の声は、春の陽だまりのように穏やかで、しかし絶対零度の威圧感を孕んでいた。
「皇女殿下、こ、これは―― その、」
「当てて見せます。多人数で一人を囲んでおられる。これは、『包囲戦』および『極限状態での生存訓練』ですわね?」
「は……、はぁ……?」
ギルバートが間の抜けた声を漏らす。
アレクシアは、倒れているラファエルに一瞥もくれず、真っ直ぐに加害者たちを見据えた。
「素晴らしい熱意ですわ。ですが、やる側も心苦しいでしょう? 寄ってたかって無抵抗の相手を痛めつける……そのような『汚れ役』を、未来の騎士たる皆様が担わなければならないなんて。訓練とはいえ、心が痛みますわよね?」
――痛むわけがない。彼らは楽しんでやっていたのだから。
だが、皇女に「心が痛みますわよね?」と問われて、「いいえ、楽しいです」と答えられる命知らずはいなかった。
「ま、まことに、胸の引き裂かれる思いでございました……!」
「ええ、やむにやまれぬ、騎士の責務としての、苦渋の選択でございます!」
生徒たちが必死に取り繕う。アレクシアは満足げに頷いた。
「やはりそうですわよね! ならば……」
彼女は優雅に手袋を直し、一歩踏み出した。
「趣旨を曲げてしまって申し訳ないのですけれど、わたくしもその訓練、参加させていただきます」
「へ?」
「さあ、ここからは死線<デスマッチ>と参りましょう。最後に立っている人が勝者ですわ。皆様、ご遠慮なくどうぞ」
アレクシア以外の全員が、『何言ってんだこいつ……』という顔で固まっている。
中には、あいまいな顔をして、ヘラヘラ笑っている令息もいた。お互いに目配せをし合い、口を噤んでいれば、状況が好転するとでも思っているかのようだった。
咳払いしたアレクシアは、声を張って宣言する。
「わたくしも皇族として、皆様をお守りする義務がある以上、こう言った状況にも対応できなくてはなりません! ―― さあ、皆様!行きますわよ!!」
次の瞬間。
ドォォォォンッ!!
アレクシアが足を踏み鳴らすと同時に、すさまじい衝撃波が大地を走った。
「ひぃぃぃッ!?」
騎士科の生徒がひとり、木の葉のように吹き飛ぶ。
魔法ではない。身体強化をかけたアレクシアが、目にもとまらぬ速さで踏み込み、殴りぬいたのだ。返す拳で右隣にいた令息を弾き飛ばすと、くるりとターンする。
―― そう!ローリングソバットである!
遠心力と反動でもう一人を泥に沈めるが、まだ止まらない。着地は美しく、次の踏み込みも優雅に。長い脚が軽やかに翻ると、アレクシアのグランジュッテが二人の生徒を真逆の方向に吹き飛ばした。
すべては一瞬の出来事だ。
泥濘の中に降り立ったアレクシアは、わずかばかりに目を細めてギルバートを見た。
◇◇◇
時は少しだけ遡る。
放課後の教室で、アレクシアはニッコニコ(※無表情)でラファエルを待っていた。
そう。昨日、彼は言ったのだ。「お嫌でなければ、私がお迎えに上がります」と。
(待ち合わせ!からの~!?騎士科の訓練場紹介かしら! まあああ!!!なんだか、青春の匂いがするのですわ!わたくし、礼を以ってラファエル様を迎えられるかしら!?それとも、「よっ!おつかれ!!」とか、言っちゃった方がいいのかしら!?!? ああっ、どなたかご教示くださらないかしら!お友達って、どう接したらいいんですの!?!?)
アレクシアの脳内は大変なことになっていた。~祭~から始まるキャッチコピーで村おこしができそうな熱量があった。
もちろん、それを死んだ目で見ているのはイースランである。
アホかこいつ……………。と思っているのは、間違いがない。だが、彼女が妄想を始めてから、優に半刻が経過しているのだ。流石に遅すぎる。
「おい、アレックス」
「はい!ラファエル様!ごきげんよう!」
「違うッ!!目が腐ってんのか!!俺のどこを見たらラファエルだと思うんだよ!!」
「――――…」
アレクシアの喜びが、目に見えて沈下した。イースランの聞き間違えでなければ、皇女は「チッ」という舌打ちさえしたのである。
「…… アレックス?てめぇ、いい身分だな……??」
「イースランのせいですわ!!わたくしの喜びをぬかにした罪は重いのですわ!!ていうか、ぬか喜びのぬかって何なんですの??ヌカ・コーラのヌカなんですの????」
「ぬか漬けのぬかだよ!!刀差してる東方出身の奴にでも聞けよ!!俺が言いたいのは、そういうこっちゃねえんだよ!!!!!!
―― あのなあ、ラファエルが、簡単に約束を違えるような奴だと思うか?」
「いえ」
アレクシアの、曇りなき菫色が瞬いた。
「思いません」
「じゃあ、答えは絞られる。来られねぇッてんなら、その旨伝えるようにするだろう。連絡も無いのは?」
「―― 非常事態」
「もしくはな。妨害されてんだよ。お前、自分の地位とか権力とか、ちゃんと考えろ。
その上で選べ。ラファエルを、探しに行くか?」
「イースラン。髪を結んでくれますか?」
はーっとため息をつくと、がたがたっと行儀悪く椅子を鳴らして、イースランは立ち上がった。髪ひもを取り出して、流星のような銀の髪を手早くポニーテールにまとめてやる。イースランが髪から手を離すと、アレクシアは黙って立ち上がった。
「ありがとうございます」
「ラファエルの魔力は追ってやる。そこからは、自分でできるな?」
「はい。でも、わたくしが間違えてしまったら、その時は……」
「心配すんな。後ろにはいてやるよ」
「はい!」
―― そして、時は、木立からアレクシアが現れた場に繋がるのである。
◇◇◇
「ば、化け物……ッ!」
腰を抜かしたギルバートが、這うように後ずさる。
アレクシアが、無表情のまま彼に歩み寄る。
「まあ、ご遠慮なさらないで? ―― さあ、訓練を続けましょう?」
殺される。
ギルバートが死を覚悟した、その時だった。
「――お下がりください、アレクシア殿下!!」
泥の中から立ち上がったラファエルが、二人の間に割って入った。
その手には、腰に差していた訓練用の剣が握られている。
「この場は……俺が収めます。兄上。―― 俺と決闘を」
「ラファエル、お前……ッ!」
「これ以上、殿下のお心を煩わせる訳にはいかない。俺が勝ったら、二度と俺に関わらないでください。兄上が勝ったら…… 俺を煮るなり焼くなり、好きにすればいい」
ラファエルの碧眼が、初めて強い意志を持って兄を射抜いた。
ギルバートの顔が歪む。恐怖と、それ以上の屈辱で赤黒く染まる。
「この! 薄汚い、鼠の分際で!誰に向かって剣を抜いているか分かっているのかッ!!」
ギルバートが抜剣し、ラファエルに襲いかかった。
その剣筋は、邪道だった。
真正面から打ち合うと見せかけて、ラファエルの視界に泥を蹴り上げる。
(おッ! ―― いいねえ、卑怯者の剣じゃねえか!)
イースランが目を見張った。魔術で姿を消していたが、少し離れた場所から、場をうかがっていたのだ。貴族の子息で最初から、ここまであからさまに勝利を狙ってくるのは、彼にしてみれば英断に映る。プライドや見栄えを重視していたらこんな真似はできない。おそらく実力では敵わないことを知っているのだ。
だが、ラファエルは動じなかった。
泥を最小限の動きで躱し、突き出された刃を剣の腹で受け流す。
ギルバートは止まらない。
剣の柄に仕込んでいた隠しナイフを展開し、至近距離から弟の喉元を狙う。
さらに、靴のつま先に仕込んだ鉄板で、脛を砕きにかかる。
ありとあらゆる「反則」のオンパレード。
―― なぜ、そこまでギルバートが勝利に拘泥するのか。
話は、幼少期まで遡る。




