13.獅子と狐
ガチャン、と重い音がして、侯爵邸の正門が閉ざされた。
出迎えの使用人はいない。広いエントランスホールには、ただ冷たい空気が張り詰めていた。
「――遅かったな、穀潰しが」
階段の上から、侮蔑の込められた声が降ってくる。
そこに立っていたのは、ラファエルとよく似た金髪を持ちながら、その瞳に傲慢さを宿した青年 ―― 腹違いの兄、ギルバートだった。
ラファエルを例えるとするなら、「獅子」だ。ゆるくウェーブの掛かる、蜂蜜色の濃い金髪が、すでに騎士として完成された体躯に流れ落ちている。それは鬣のように、凛としたラファエルの美貌を引き立たせていた。
対するギルバートは―― 「狐」だろうか。同じく長髪ではあるが、ストレートの髪を一括りにしてゆったりと流している。細く切れ長の目は抜け目なく周囲をうかがい、隙が無い。
「兄上……。ただいま戻りまし――」
挨拶を終えるよりも早く、乾いた音がホールに響いた。
頬に走る熱。ラファエルの視界がぐらりと揺れ、床に膝をつく。
「恥知らずめ。貴様、身の程知らずにも皇女殿下と交流を持っているそうだな?」
ギルバートは、倒れたラファエルの髪を鷲掴みにし、無理やり顔を上げさせた。
「あまつさえ、怪我をして殿下に見舞いまでさせるなど……。これ以上、我が家の名に泥を塗るつもりか? 庶子の分際で」
内情が正確に伝わっていないのにも程があるが、ギルバートには真実など関係がなかった。弟を貶めることができればそれで満足なのだ。
庶子。
その言葉が、ラファエルの胸に深く突き刺さる。脳裏に、古い記憶が蘇った。
◇◇◇
――雨の降る日だった。
ラファエルは母一人、子一人で育った。優しい母親ではあったが、生活はお世辞にも楽とは言えなかった。困窮し、弱っていた母親は、冬の流行り病であっけなくこの世を去ってしまった。ラファエルが八歳の頃である。
冷たくなった手を握りしめていた幼い自分。そこに現れたのが、父である侯爵の使いだった。
『――“血”の回収だ』
男は、母の亡骸に一瞥もくれず、事務的に言い放った。
『当家の血脈を、これ以上野放図に晒しておくわけにはいかん。卑しき胎であろうと、種はヴァンデルハイムのものだ』
死期を悟った母親が、最後の可能性にかけて連絡したのだろう。
愛などなかった。貴族の血筋がみだりに市井に流れることを許さない、家門の冷徹な論理だけであった。引き取られた屋敷で待っていたのは、正妻である義母からの、存在そのものを無視するような徹底した無関心と、値踏みするような父親の視線。
そして、同い年である異母兄ギルバートからの敵意だ。食事は与えられていたが、屋敷の誰もがラファエルに積極的に関わろうとしなかった。ラファエルを哀れに思った洗濯女や庭師など、下働きの使用人達だけがラファエルの隠れた庇護者だったのだ。
剣を与えられたのも、「将来、兄の盾として使えれば重畳」程度の思い付き故だった。
――だが、ラファエルが目覚ましい剣の才能を見せ始めると、侯爵家の空気は奇妙に歪み始めた。鉄の帝国において、武の才能は絶対的な価値を持つ。たとえスペアとして引き取られた庶子であっても、その切っ先が嫡男よりも鋭ければ、周囲の見る目は変わらざるを得ない。
現侯爵である父がラファエルを見やる視線が変わったころ。
兄の嫌がらせもまた、苛烈になっていったのだった。
◇◇◇
「……申し訳、ございません」
「はッ ―― 金輪際、殿下にお目通りが叶うと思うなよ。何を勘違いしているか知らんが、お前には卑しい平民の血が混じっているのだ。卑賎なお前が、殿下の視界に入る事すら悍ましい!」
鋭く言い捨てると、ギルバートはラファエルの髪の毛をつかんだまま、床に押し付けた。満足したのか、兄が去っていく。扉が乱暴な音を立てて締まったのを確認してから、ラファエルは息を吐いた。
「……わかっていた事じゃないか」
握りしめた手が震えた。あんなに嬉しそうに(表情は全く動いていなかったが……)『また会いに行きます』と言ってくれたアレクシアを思い出す。
だが、やはり自分などが関われば、彼女には迷惑がかかってしまう。
ラファエルの胸を、鉛のような感情が満たした。
母が亡くなった時の、絶望の混じった寂しさに似ていた。
知らない間にラファエルは涙を流していた。床に突っ伏して声も出ずに泣く彼を、メイドが心配そうに見ていたが、声をかける事は叶わなかった。
引き絞るような嗚咽だけが、侯爵家のホールに響いていた。
◇◇◇
翌日。
放課後の校舎裏。鬱蒼と茂る木々の影で、湿った打撃音が響いていた。
泥の水たまりに、ラファエルは転がされていた。
「おいおい、どうした? 『天才剣士』様が聞いて呆れるな!」
嘲笑とともに泥水を蹴りかけたのは、兄、ギルバートだった。
彼の周りには、同じようにラファエルを妬む騎士科の生徒たちが数名、ニタニタと笑いながら取り囲んでいる。
「……っ」
ラファエルは唇を噛み締め、無抵抗のまま泥に伏していた。
彼が本気を出せば、こんな連中など数秒で制圧できる。だが、彼は剣を抜こうとはしなかった。
(ここで下手に歯向かえば、殿下に何かご迷惑がかかるのでは ……)
その呪縛が、彼の手足を縛っていたのだ。
「なんだその目は。何か文句でもあるのか? ―― そのすました顔が気に入らないんだよ!」
ギルバートのつま先がラファエルの腹部にめり込む。
ドスッ、という鈍い音。
それでもラファエルは呻き声一つ上げず、ただ耐えていた。それがさらにギルバートの劣等感を逆撫でする。
「黙っていないで何とか言ってみろ!ほら、言えよ!下賤な身の上で、剣なんか振り回しやがって!お前なぞ――…」
理不尽な暴力。吐き出される嫉妬。
目を瞑り、ひたすら耐えていたラファエルだが、聞こえてきた声に思わず目を見開いた。
「―― まあ、皆様。日々の鍛錬、お疲れ様です」
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