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1.筆頭魔術師の苦悩

 帝国の心臓部、謁見の間。

 ―― 本来であれば静寂が支配するはずのその場所で、額を石畳に擦り付けるようにして深く平伏する男がいた。

 帝国の至宝。魔導の申し子。あらゆる二つ名で称賛される、その魔術師――


「イースランよ。そなたに勅命を――」

「嫌です」

「……へ?」

「嫌です」


 帝国きっての天才と謳われた男、イースランは、頭を垂れたままさらに畳み掛ける。その姿勢は恭順を示しているようでいて、「現実を直視したくない」という強い意志の表れだった。


「アレックス殿下に関することは、全て。謹んで。全身全霊を込めて。魂の底からお断り申し上げます」

「まだ中身を言ってないんだよなあ」

「……聞かずとも分かります。殿下の名前が出た時点で……」


 ギリギリ、とイースランの尖った八重歯が軋る。


「そいつは『災害処理』の依頼ですからね」


 百年の不眠症を思わせる黒ずんだ隈、どろりと濁る三白眼と相まって、その顔は幽鬼のようだった。

 魔術師の声には二十代前半とは思えぬほどの深い疲労と諦観が滲んでいる。彼は知っているのだ。第五皇女アレクシアに関わるとはどういうことか。


 ―― それは、火口に身投げするか、徒手空拳でドラゴンに挑むのと同義であると。


 玉座の方から、にわかに立ち上がる音がしたかと思うと、猫なで声が響き渡る。


「イースランさ~~!! お願いだよぉ~! アレックスを御せるのは、そなただけなんだから~!!」


 イースランは耳を塞いだ。


「な~~~~~、イースラン!!アレックスはさ~~~!老いてからの子だからさ、かわいいんだよなあああ!!」


「嫌です」


「アレックスは、『国民を幸せにする』っていう崇高な使命感に燃えておるの!それを助けたいって思うのは親心だとわしは思うんだよね~~~~」


「その使命感が強すぎて、昨日も『お腹を空かせた野良犬』を助けるために、デモングリズリーを狩ってきたそうですね。地方都市を一つ壊滅させるレベルの魔獣ですが。そして、『お腹を空かせた野良犬』とやらは、実はフェンリルの仔犬だったともっぱらの噂ですが…」


「すごいよね~~!わし、感激したよね!自慢の末娘!!末は精霊王!!」


 イースランのこめかみに青筋が浮かんだ。


「―― 陛下がそうやって適当だから、アレックス殿下が”ああ”なるんでしょうがッ!!

 いいですか!!フェンリルってえのは、害なせば国に災いを齎す、神獣スレスレの幻獣な訳で!!一歩間違えたら、幻獣様に親か番か友人認定されてたんですよ、おたくの皇女様はッッ!!それを!!尻ぬぐいして!!懐かせないように!!

 引きはがして、いい話風で、よーーーーーやく終わらせたのがおれなんですよ!!!

 もう、殿下の尻ぬぐいはまっぴらごめんなんだッ!!」


 悲痛すぎる叫びであった。

 ―― 第五皇女アレクシア。

 皇帝と魔女との間に生まれた特異点。稀有で希少で哀れな…『哀れだった』娘。彼女は『悪』ではない。むしろ、誰よりも『善』でありたいと願っている。 ただ、その手段が特殊であり、そして、ちょっぴりブレーキが壊れているだけなのだ。


「堪えてくれ、イースラン。あの子の『善意』が暴走せぬよう、制御できるのはお前しかおらん」

「俺を魔高炉の制御棒扱いしないでください」


 皇帝は玉座にドカッと座り直すと、頬を膨らませ、唇を尖らせた。老いてなお、筋骨隆々とした背をちいさく丸めていじいじしている。


 ゲオルギウス・フォン・アイゼングラード。当代きっての辣腕皇帝である。帝国が誕生してから今日に至るまで、最大の版図を獲得した皇帝。最高の名君と称される、「鋼鉄の帝国」を統べる老年の君主が、お菓子を買ってもらえない少女のようにむくれていた。地獄絵図である。


「冷たいのう。イーちゃんや。そなたが開発した『調律の腕輪』のおかげで、あの子はやっと外の世界に出られるようになったのだぞ? いわば、そなたはあの子の翼を作った親のようなものではないか」


「イーちゃんって金輪際言うな。翼を作った覚えはありません。俺はただ、爆発寸前の魔力弾に制御弁を作っただけです」


「言葉を選べ、言葉を。……で、その制御弁が外れないように見張るのが、作った者の責であろう?」


「製造者責任法の拡大解釈が過ぎますね。第一、おれがやる筈の『砂漠の平定』をお忘れですか?この話、謹んでお断りいたします」


 イースランは再び額を床につけ、影の中に逃げ込もうとした。しかし、皇帝の次の言葉が、その退路を完全に断った。


「―― これは『勅命』である」


 空気中の魔力がビリリと震える。 先ほどまでのふざけた空気が霧散し、抗えない王の言葉としての重圧がイースランの肩にのしかかる。


「第五皇女アレクシアは、帝立学園に入学する。そなたも『特待生』として同行し、卒業まで彼女を護衛せよ」

「……正気ですか。おれは平民ですよ。しかも成人しています」

「年齢詐称など、お主にかかればどうとでもなるだろう」


 皇帝はニヤリと笑い、懐から一枚の羊皮紙を取り出して、イースランの前に放った。


「拒否権はないぞ、イースラン。だが、もし受けてくれるなら……そうだな。予算の都合で却下された『闇魔法研究棟』の建設費、あれを倍額で承認してやってもよいが?」

「ッ……!!」


 イースランの肩がビクリと跳ねた。 飴と鞭。しかも、とびきり甘い飴と、棘だらけの鞭だ。 研究費。魔術師にとって、それは魂よりも重い対価。

 長い、長い沈黙の後。 謁見の間に、深いため息が響き渡った。それは、自由な独身生活への別れの歌のように聞こえた。


「……謹んで……お受けいたします……」

「やっぴー! 皇帝超うれし~~~!」


 皇帝がきゃるん☆と両の拳を口元にあてて特大のウインクをかました。 イースランは虚ろな目で天井を見上げる。


(ああ、終わった。俺の平穏な人生は、今日ここで死んだんだ……)


 ―― イースランは影に溶け、王の間を辞した。闇に通じ、最も深き夜から生まれたと噂される、帝国最強の魔術師は、ここから否応なしに光の道へと引きずり出されることになるのである。



お読みいただき本当にありがとうございました。

ずっと読専だったのですが、初めて投稿してみました。

第一部の完結まで書き終えておりますので、コンスタントに投稿していきます。

少しでも面白いと思って頂けましたら、ブックマークや評価をいただけますと、大変嬉しいです。

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